第12話 披露宴、もとい疲労宴

 界琉がヒルシュ子爵当主である伯父と養子縁組みの上、ヒルシュ子爵位を正式に譲り受けた事は、既にリスベラント公宮に届け出て受理されていた。

 しかし爵位継承に関する正式な披露は、界琉と現公爵令嬢クラリーサとの挙式披露も兼ねる事にしていた為、央都でのリスベラ大聖堂での二人の挙式後、ヒルシュ子爵邸で夕刻から開催された披露宴は、公爵家とヒルシュ子爵家の縁戚以外の貴族達も興味本位で押しかけ、かなりの盛況となっていた。


「はぁ~、うっざ!」

 前当主であるサムエルが、披露宴の開催を告げてから一時間あまり。藍里が早々と周囲の人間には分からない様に悪態を吐くと、グラス片手に隣に立っていた悠理が、結い上げた彼女の頭を拳で軽く叩いた。


「こら、藍里。淑女がなんて言葉遣いだ」

「だって寄って来る連中、金太郎飴の様に殆ど同じ反応をして、殆ど同じ内容を口走るのよ? 何回同じ台詞を口にしたと思ってるのよ」

 如何にも飽き飽きしたという口調の藍里の主張に、周りにいた彼女の従兄姉達が、顔を見合わせて苦笑いする。


「確かにそうね」

「暇だったから、人数を数えておいた」

「うわ……。ジェイク、絶対面白がってるわよね?」

「当然」

 そして親戚だけの気安さでくだけた口調で雑談をしながら笑い合っていると、彼女の従姉であるシンディが、含み笑いで藍里に告げてきた。


「アイリ、本来なら真っ先に来る筈のお客様よ?」

「本当だ。どうやら公爵家関係者と、呼ばれもしないのに押し掛けていらした麗しの長姉殿下一党のお相手で、今まで離れられなかったらしいな」

 従兄に当たるジェイクがチラッと視線を向けて幾分同情気味に推察する中、悠理が無言でグラスを傾ける。そんなヒルシュ家の若手が集まっている所に、ルーカスが単独でやって来て、藍里に声をかけてきた。


「やあ、こんなところで……」

 しかしすぐに彼の視線が、肩を出したデザインのドレスを着た彼女の胸元に釘付けになり、声を途切れさせる。これまで何回も繰り返された行為だとしても、不躾に胸元を見られて嬉しい筈も無い藍里は、不機嫌さを隠そうともせずに問いかけた。


「殿下。何かご用でしょうか?」

「あ、いや……、その、一緒に少し踊らないかと……」

 普段は見えない事になっている、三連三日月紋がくっきりと肌に現れていた為、思わず凝視してしまったルーカスだったが、その声で我に返り、しどろもどろになりながら誘いの言葉を口にした。しかし藍里はにっこりと笑いながら、恐れ入る事無く断りを入れる。


「生憎と、慣れないヒールで靴ずれしておりまして。自虐趣味は無いもので、皆様からのお誘いには、丁重にお断りしております」

「それなら会場内に、誰か治癒能力保持者はいるだろうから、その人物に頼んで」

「祝宴の席で、他人に足を見せる様な、はしたない真似はできませんから。仮にも兄の披露宴なのですし」

「それなら、何か軽く飲みながら話でも」

「申し訳ありません。リスベラントとアルデインでの、飲酒可能年齢は存じませんが、日本では二十歳以降にならないと、飲酒は法律違反になるもので。これまでの皆さんにも、全員丁重にお断りをしております」

 相変わらず愛想笑いを絶やさずにきっぱり断りを入れた藍里だったが、ルーカスは疑わしい顔つきになって確認を入れた。


「いや、しかし……。最初にワインで乾杯したよな?」

「果汁百%のブドウジュースです。それだけ叔母が手配して下さいました」

 そんな風に平然と言い返されたルーカスの顔が、僅かに引き攣った。


「公爵に『一緒に酒を』と言われても、飲まないかジュースで通す気か?」

「仮にも一国の国主たる方が、宗教上の理由や社会通念上の理由から飲酒できないと申し出た人間に、それを無理やり強要する様な狭量な振る舞いをするでしょうか?」

「…………」

 小首を傾げてわざとらしく問いを発した藍里に、その場の誰も答えなかった。そして渋面になっているルーカスとは対照的に、ヒルシュ家の面々は、笑いを堪える表情で口々に言い出す。


「他の方なら、次の話題は『ルーカス殿下との関係はどうなっていらっしゃるんですか?』ですけど」

「ご本人がそれをお尋ねになる筈も無いしな」

「殿下の次の質問は、ズバリ『何の事だ?』だ」

 したり顔の悠理の台詞に、ルーカスは内心で腹を立てたものの、確かに説明はして欲しかった為、怒りを抑えながら問いかけた。


「一体、何の話をしているんだ?」

 それに悠理が、苦笑しながら応じる。

「大した事では無いんですが。この宴が始まってから、藍里に声をかけてくる人間の反応が、揃いも揃って同じで。四人で笑いを堪えていたんです」

「三人の間違いでしょう? 私は全然面白くないわ」

「同じ?」

 面白く無さそうに藍里が吐き捨てるのと、益々当惑したルーカスが呟いたのはほぼ同時で、それを受けてシンディが説明を加えた。


「つまり、まずアイリに声をかけてきた人間は、彼女の鎖骨の下の聖紋に目が釘付けになって、色々考えてきた挨拶の言葉をすっ飛ばしまして」

「次にダンスか酒か、はたまた両方に誘うものの、あっさり袖にされ」

「婚約者たるルーカス殿下との仲を探ろうとして、藍里の『そう言えば婚約者でしたねぇ』的な答えに、微妙な顔つきになりながら退散するってパターンができていまして」

 シンディに続けてジェイクと悠理が説明した内容を聞いて、藍里が心底うんざりした声を上げた。


「後何回、同じやり取りをしなくちゃいけないのよ……」

 その妹の呻きに、会場を見回した悠理が、情け容赦なく判断を下す。

「そうだなぁ……、見たところ、まだ五・六人は様子を窺ってるか?」

「暇人揃いなのね」

 がっくりと肩を落とした藍里だったが、ここで怒りの表情になっていたルーカスに、ジェイクが白々しく声をかけた。


「おや? 殿下。何かご不満でも?」

「お前達……、何人にそれを言った?」

「何人だったっけ?」

「さぁ?」

「何人も居たから、一々覚えていないしな」

 唸る様に言ってから、ルーカスは本気で腹を立てたらしく声を荒げた。


「どうして婚約者らしい返答をしない!? 俺達が不仲だと思われるだろうが!」

「婚約者という意識は、この間皆無でしたし。第一、私と殿下のどこがどう、婚約者らしいと仰るんでしょうか?」

「いい加減、そのわざとらしい言葉遣いは止めろ!」

「まあ、酷いですわ殿下。私はTPOをわきまえているだけですのに」

「もう良い!!」

 如何にも決裂という感じでその場を離れていくルーカスの後ろ姿を見ながら、シンディとジェイクは顔を見合わせて小声で笑いあった。


「あらあら。あんな顔で離れたら、不仲だと一目で分かるでしょうに」

「声を荒げて余計な注目を浴びたし、まだまだ若造だな」

「何で勝手に婚約者にされた上に、相手の都合の良い様に振る舞わなくちゃいけないのよ。そうして欲しかったら、最低限頭を下げて頼む位は必要よね。これで愛想を尽かして、婚約破棄してくれないかしら?」

 ふてくされながら藍里がささやかな願望を口にしたが、悠理はそれを言下に否定した。


「それは無いな。公爵にしてみれば、聖紋持ちのお前は、自身の勢力保持とルーカス殿下を後継者にする為に必要な駒だ。離すわけにはいかないだろうさ。今回界琉の指示で、ずっと聖紋を出しっぱなしにして、出席者を威圧してたんだから尚更だ」

 その指摘に、思わず舌打ちする藍里。


「全く……。魔力をコントロールして、聖紋を好きなように出したり消したりできる様にしておけって厳命されたから、言われた通りこっそり練習してたけど、やっぱりろくでもなかったわ」

「それでも真面目に練習したんだな」

「当たり前よ! 界琉に逆らったり怒らせたりしたら、ろくな事にならないもの!」

「俺達は弟妹だから、それは身にしみて分かってるがな。世間には、分かっていない人間の方がはるかに多いんだ」

 そう言った悠理が一度口を閉ざして視線を向けた方向に、他の三人も自然に顔を向けると、主役の二人とランドルフやルーカスを囲んでいる、公爵家と比較的近しい集団が目に入った。そして悠理が再び妹を見下ろしながら、面白がっているとしか思えない口調で囁く。


「公爵あたりはあの坊やに、今度の任務中にしっかりお前を口説いておけとか、発破をかけているんだろうな」

「そんな事はどうでも良いのよ。それよりも、早く終わって欲しいわ」

「あらあら」

「殿下も大変だな」

 素っ気なく切り捨てた藍里に、ジェイクとシンディが苦笑いする。するとここで、新たな声が割り込んだ。


「はじめまして、アイリ嬢。少しお時間を頂ければ……」

 そして振り返ると同時に繰り返される光景に、藍里は(本気で逃げようかしら)と、物騒な考えを脳裏に浮かべながら、引き続き愛想笑いをその顔に浮かべていた。

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