第10話 社交辞令

 そして出された紅茶を一口飲んでから、アメーリアが口火を切った内容は、事情と実情を知らない者が聞けば、心温まる姉妹の会話だった。


「クラリーサ、結婚おめでとう。結婚祝いを探しに昨日と今日はアルデインに来ていて、夕方にはリスベラントに帰る予定だったの。何やら式の直前だと言うのに、仕事が忙しくて抜けられないと言われたから、直に顔を見るのは諦めていたのだけど、お茶をする時間があって嬉しいわ」

「私も、思いがけず姉様の顔を見る事ができて、とても嬉しいです」

 優雅に笑いかけた姉に、クラリーサも同種の笑顔を返す。それを無言で眺めた藍里は、密かに感心した。


(うん、完璧に社交辞令って分かる。二人とも笑顔が完璧。流石だわ)

 そんな事を考えていると、アメーリアは標的をルーカスに変えた。


「ルーカスも、お仕事を頑張っているみたいね。最近では随分女装も板に付いたとか。まあ、あなたは自力で生活基盤を確立しなければいけない立場だし、色々な経験を踏むのは大切な事よね」

「……ええ、こちらに引っ込んでいては体験できない貴重な経験をして、日々過ごしています」

 明らかに侮蔑的な発言に対して、ルーカスは表情を消して慇懃無礼に応じた。それを見た藍里が、容赦ない判断を下す。


(こっちは姉達に比べたら、まだまだ青臭いわよね。つつかれるんじゃ無いかしら?)

 しかしアメーリアはそれ以上ルーカスには絡まず、父親に向き直って皮肉気に問いを発した。


「ところでお父様。クラリーサの結婚式の招待状が、まだ私の手元に届いておりませんの。担当者は誰かしら? 私自ら足を運ばなくてはいけない事態を引き起こす無能は、即刻クビにして下さい」

(うわ……、仮にも花嫁の姉に、マジで招待状を送らなかったんだ。どれだけ仲悪いのよ、この一家。断られると思っても、一応出す物じゃないかしら? それとも出席させたら騒ぎを起こすから、最初から無視したとか?)

 半ば呆れ、半ば疑問に思いながら、藍里がランドルフを凝視すると、彼は渋面になりながら重々しく答えた。


「招待状を送らなかったのは、私の判断だ。お前が出席するとは思えなかったのでな」

 しかしそれを聞いたアメーリアが、わざとらしく声を張り上げる。

「まあ、お父様! どうしてそんな事を仰るのかしら?」

「領地に引っ込んだアンドリュー殿に付いて、お前も暫くはオランデュー伯爵領に居るかと思っていた」

「どうして私が、オランデュー伯爵領に居なければいけませんの?」

 全く理解できないと言わんばかりの娘の口調に、ランドルフは若干戸惑った表情になった。


「どうしてって……。あの試合の結果、お前とアンドリュー殿の挙式は無期限延期となったが、婚約者である事に変わりは無いわけだから、療養を始めたばかりの彼に付き従って行ったのだろう?」

 そんなランドルフの問いかけを、アメーリアは楽しげに笑い飛ばした。


「何か、情報の行き違いがあったみたいですね。益々公宮が機能不全を起こしているみたいですわ」

「どういう意味だ?」

「この前オランデュー伯爵領に出向いたのは、正式に私とアンドリュー殿の婚約を破棄する為でしたのよ?」

「何だと?」

 ランドルフははっきりと顔色を変えたが、アメーリアは殊勝な物言いで、その事情を説明した。


「勿論私としては、婚約解消など不本意極まりなかったのですが……。アンドリュー殿が『こんな役立たずな身体になった、不甲斐ない自分に貴女を縛り付けるなんて、私の矜持が許さない』と仰って。身を切られる思いでしたが、泣く泣く婚約を解消致しました」

 そう言ってしおらしく俯いたアメーリアを見て、周囲は唖然とした表情になったが、藍里はすこぶる冷静にこの情景を眺めた。


(白々し過ぎる……。分捕った私が言える筋合いじゃないけど、聖騎士位を失って伯爵位の継承も絶望的になったからって、あっさり切り捨てたのに決まってるわよね)

 そこで俯いたのも束の間、アメーリアが顔を上げて再びルーカスに話しかけた。


「ところでルーカスは、今年分の任務を仰せつかったそうね」

「え、ええ。そうですが……」

「それが辺境域の魔獣討伐ですって? なんて野蛮なお仕事なのかしら。辺境域に出向く事自体、まともな人間なら避ける事なのに、本当に大変よね」

 そこでわざとらしく溜め息を吐いてみせたアメーリアに、ルーカスは淡々と答えた。


「ディルとしての任務ですので。与えられた職務を、滞りなく遂行するまでです」

「そうね。同行者は使い勝手の良い使用人崩ればかりだし、適当に上手く使って首尾良く終わらせて来なさい。下の人間を上手く使うのも、上の人間の力量と言うものよ」

(さっきからしっかり私と界琉を無視してると思ってたけど、私もルーカスの付属品扱いですか。そのブレなさは、いっそ天晴れだわ)

 素っ気なく言い捨てたアメーリアに、藍里は怒るのを通り越して感心したが、ここで彼女からすれば余計な事をルーカスが口にした。


「姉上!」

「あらルーカス、血相を変えてどうしたの?」

「今度の任務は、同じディルのアイリ嬢と共同で行う事になっておりまして」

「……あら、そうなの」

 鼻で笑いながらアメーリアが話の矛先を自分に向けてくる気配を察知した藍里は、心の中でルーカスを罵倒した。


(ちょっと! せっかく石になってたのに、わざわざ話を振らないでよ。本当にこいつ、空気読めないボンボンよね!)

 そんな風に腹を立てた藍里に対して、アメーリアは初めて彼女の存在に気付いた様に、表面上は穏やかに微笑みながら声をかけてきた。


「アイリさん、お久しぶりね。お元気そうで何よりだわ。尤も……、いつぞやの様に、暴れ回るだけが取り柄なのでしょうけど。ルーカスまでアンドリュー殿の様にならない様に、お願いしますね?」

 そして売られた喧嘩は倍返しが家訓の藍里は、その嫌味を真っ向から受けて立った。


「ご無沙汰しています、アメーリアさん。ルーカスは己の力量はしっかり認識できているので、自滅するような間抜けな事にはならないと思いますからご心配無く」

「それなら良いのだけど」

「ところで、アメーリアさんの婚約解消の件、今初めて聞いて驚きました。残念でしたね」

「確かに残念だけど仕方がないわ。縁が無かったと言う事でしょうね」

「でもアメーリアさん位才色兼備な方なら、すぐに他の求婚者が現れるんじゃありませんか?」

「まあ、それなりにね」

 満更でもない表情になったアメーリアだったが、ここで藍里は前日悠理から聞かされていた、内容の一部を織り交ぜて反撃した。


「本当に、リスベラントは魔女の末裔の国だけに、剛毅な方が揃っているみたいですね。普通だったら婚約していた人間が二人とも立て続けに再起不能になったりしたら、『悪運付きの女』とか言われて周囲からこぞって忌避されそうですけど、アメーリアさんに限ってはそんな事は無いみたいですし」

「何ですって!?」

「あら、アメーリアさん。どうかされました?」

 辛辣な台詞を淡々と藍里が口にした途端、アメーリアが怒りで顔を紅潮させ、椅子を背後に倒しながら勢い良く立ち上がった。しかし平然と仰ぎ見た藍里の言葉に重ねる様に、ランドルフの叱責する声が室内に響く。


「アメーリア。いきなり立ち上がった上に喚き立てるなど、淑女の嗜みとは言えないのではないか?」

「失礼させて頂きますわ!」

 冷静に指摘された彼女は、それ以上反論や口答えなどはせず、藍里を憎々しげに一瞥してから足音荒く退室して行った。その姿が見えなくなってから、ランドルフが藍里に向かって謝罪の言葉を口にする。


「やれやれ。騒々しくて申し訳無かった」

「いえ、こちらも遠慮が無さ過ぎる事を申しました」

「だがアイリ嬢が口にした事は、本当の事だからな」

 鷹揚に頷いたランドルフだったが、この間我関せずとばかりに無言を貫いていた界琉が、神妙に妹を窘めてきた。


「本当の事だからと言って、何でも口にして良いと言う訳ではない。少しは自重しろ」

「はぁ~い」

(自分の娘に対して、失礼な事を言った事はスルーですか。それならそれで良いんですが。しかしずっと黙ってたくせに、ここで口を挟んでくる界琉って、本当に意地が悪いわね)

 半ば投げやりに応じて藍里がカップを口に運ぶと、公爵一家は先程までの険悪な雰囲気が嘘の様に、和やかに話し始めた。その変わり身の早さに呆れながら、藍里が考えを巡らせる。


(さて、邪魔者も居なくなったし、そろそろ悠理から聞いていた話題が出る頃かしら? この場合、先手を打っておくべきよね。他人の都合の良い様に、ダシにされるのは御免被りたいし)

 そんな不穏な事を考えながら、藍里は黙って一家の会話に耳を傾けていた。

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