第9話 絡み合う人間関係

 翌日にはアルデインを経由してリスベラントへ出向こうという日、アルデイン在住の悠理から、藍里に電話がかかってきた。


「どうだ、元気にしてるか? 藍里。お前が明日こっちに来るのは分かってはいるが、仕事が忙しくて出迎えに行けないし、結婚式まで殆ど別行動だと思ったからな」

 挨拶の言葉をすっ飛ばした上に、明らかに面白がっている兄の口調に、藍里のこめかみに青筋が立った。


「それでわざわざご多忙の中、電話をかけてきて下さったわけ? 涙が出るほど嬉しいわ、お兄様。私はすこぶる元気だけど、機嫌は最底辺を這ってるわよ」

「高校生最後の夏休みが吹っ飛んだもんなぁ……。うん、同情する。何て可哀想なんだ」

 地を這う様な自分の声音にもびくともしない悠理に、藍里の怒りは増大した。


「明らかに、他人事の口振りよね……。妹に降りかかった難儀を、代わってくれようとは思わないわけ?」

「当たり前だ。誰が好き好んで、あの女の下僕がうようよしてる場所に行くか。胸くそ悪い」

 そこで吐き捨てる様に言い出した兄の発言を聞いて、藍里は思わず怒りを忘れて言い返した。


「ちょっと驚いたわ……。悠理がそこまで他人を悪し様に言うのを、初めて聞いたかも。外面は界琉以上に良いのに」

 正直に感想を述べると、悠理は小さく舌打ちしてから、気を取り直した様に話を続けた。


「これまでにあの女とは、直接間接に色々あってな……。そんな事より、お前がアルデインに来る前に、ちょっと耳に入れておいた方が良い事があったから、知らせておこうと思って電話したんだ」

「何?」

「俺とお前の敬愛する兄上様と、義理の姉上になられる予定のお方についてだ」

 悠理が電話越しに淡々とそんな事を言い出した為、藍里は固定電話の子機を握り締めながら、思わず遠い目をしてしまった。


「界琉同様、ろくでもない話を聞かせる気ね?」

「ろくでもないかどうかは、全て聞いた上でお前が判断しろ」

 冷静に前置きしてから悠理が語った内容が進むにつれ、藍里は徐々に肩を落として項垂れた。そして語り終えた悠理が「じゃあまたな」とあっさり通話を終わらせても、応じるのを忘れたまま、のろのろと耳から子機を離し、机上の充電器に戻す。


「やっぱりろくでもないわ。聞くんじゃ無かった……」

 そして電話から手を離すなり、藍里は近くのベッドに仰向けに転がって呻いた。しかし天井を見上げながら、自問自答を始める。


「でも、そういう事か……。お父さんの突然の辞職の、本当の事情が分かったわ。さて……、それを知ったからには、どうしたものかしらね?」

 難しい顔で暫く考え込んだ藍里だったが、そろそろ交代で風呂に入ろうかと、ルーカスに声をかける為に部屋を出て行った。


 翌日になり、藍里はルーカス達と共に自宅の物置からリスベラント支社を経由して、アルデイン公宮へと出向いた。

 所要時間二十分足らずの非常識っぷりに、未だに慣れない藍里が内心で呆れていると、対応役らしい男性が、恭しく藍里とルーカスに向かって声をかけてくる。


「ルーカス様、アイリ様。リスベラントへの移動予定時刻まで暫く余裕がありますので、公爵がお茶の席を設けておられます。こちらへどうぞ」

「分かった」

「あら、ルーカスだけじゃないの? それに私が呼ばれるならジークさん達は?」

 声をかけられたルーカスは当然の様に頷いたが、藍里は怪訝な顔で問い返した。


「公爵におかれましては、ご家族水入らずで過ごしたいとのご意向ですので」

「私、公爵閣下の身内じゃ無いけど?」

「クラリーサ様とカイル殿も同席される予定ですし、アイリ様はルーカス様の婚約」

「ああ、そっか~! 界琉繋がりで、一応親族に準じる扱いになるわけね。漸く分かったわ!」

「いえ、あの」

 案内役の男性が何やら言いかけたのを遮る様に、突然藍里は両手を打ち合わせて納得したように言い出した。そして、尚も何かを言いかけた相手の台詞を遮りながら話を続ける。


「公爵様が気を遣って、界琉のおまけ扱いで呼んで下さったわけね。じゃあお待たせしたら拙いわ。さっさと行きましょう。こっちかしら?」

「あ、いえ、そちらになりますので!」

「じゃあこっちね! 先に行ってるから!」

「あのっ! お待ち下さい!」

 言うだけ言って勝手に廊下を駆け出した藍里と、その場に取り残されたルーカスを交互に見ながら、その彼は途方に暮れたが、それを見たルーカスは溜め息を吐いて、ジーク達に断りを入れた。


「それでは後で」

「畏まりました」

 恭しく一礼したジーク達に背を向けて、ルーカスは忌々しい気持ちを抑えながら、案内役の男に先導されて、父達が揃って居るであろう部屋のドアまでやって来た。そして警備役の人間に留められていたらしい藍里が「遅い!」と文句を言ったが、聞かなかったふりでドアを開ける様に促す。


「公爵閣下。ルーカス殿下とアイリ嬢がお見えになりました」

「入って貰いなさい」

「どうぞ、お入り下さい」

 ドアを開けて室内に声をかけた男性の声に、聞き覚えのあるランドルフの声が続き、二人は広く開けられたドアから室内に足を踏み入れた。


「お久しぶりです、父上」

「やあ、良く来たな、ルーカス。アイリ嬢も」

 執務の合間らしく、明らかに上質なスーツ姿の父親にルーカスが挨拶すると、ランドルフは息子に笑顔を向けてから、藍里に視線を移して声をかけてきた。それを受けて、藍里も失礼の無い様に頭を下げて挨拶する。


「ご無沙汰しています、公爵。最近は無粋な襲撃者も鳴りを潜めて、快適に過ごしております」

「それは良かった。カイルと顔を合わせるのも、先月以来だろう? 式の前後には顔を合わせるとは思うが慌ただしいと思うし、せっかくこちらに来たのだから一緒にお茶をと思ってな」

「ありがとうございます。失礼します」

 そして給仕役の男性が引いてくれた椅子に座ると、丸テーブルの向かい側からクラリーサと界琉が声をかけてきた。


「ルーカス、久し振りに顔が見れて嬉しいわ」

「俺もだよ。姉さんの顔を見ると、帰って来たって実感できるし」

「アイリさんも、わざわざ出向いて下さってありがとう」

「相変わらず元気そうで何よりだ」

 しれっとした界琉の物言いに藍里はピクッと口元を引き攣らせたものの、表面上は穏やかな表情を保ちつつ、クラリーサに挨拶を返した。


「兄の結婚式に出席するのは、当然ですからお気遣いなく。寧ろ愚兄の面倒をみてくれる女性がいただけでも驚きなのに、クラリーサさんみたいな素敵な女性が結婚相手だなんて、未だに信じられません。今後とも宜しくお願いします」

「まあ、そんな……」

「おい。『愚兄』って言うのは俺の事じゃ無いだろうな?」

「界琉以外に誰がいるって言うのよ?」

「悠理」

「どっちもどっちよね!」

 平然と言い返した界琉に藍里が本気で怒り出し、公爵達が苦笑いしたところで、何やらドアの向こうから言い争う様な声が聞こえてきた。


「……れは!」

「……っと、……さい!」

「……が!」

 ルーカスと藍里の前にティーカップが配られ、手を付けようとしたタイミングでの騒動に、ランドルフは僅かに不愉快そうに眉を寄せた。


「何事だ?」

「見て来ましょうか?」

 そう言って界琉が立ち上がりかけたその時、ギリギリ乱暴にならない程度の勢いでドアが開け放たれ、1人の女性が姿を現した。そして一直線に丸テーブルに向かって歩きながら、他の者に口を挟ませない勢いで、しかし優雅にまくし立てる。


「家族水入らずでお茶の時間を過ごすつもりだと、側近の方々にはお話しになられたみたいですわね、お父様。それならどうして、この私に、声がかからなかったのかしら? 同じ公宮内にいるのに公爵令嬢を無視するなんて、随分職務怠慢な侍従も居たものですね。即刻首になさるべきですわ。本当に、施政の上層部に出自の知れない輩が多数入り込んだせいで、公宮全体の質が落ちたと見えますね」

「……アメーリア」

 そして勧められもしないのに、空いている席に勝手に着いた娘にランドルフは渋面になり、クラリーサとルーカスは困惑した表情になったが、密かに長兄の顔色を窺った藍里は、一見平然と見えるその顔の裏側を悟って、心底うんざりした。


(絶対、わざとこの女性の耳に入る様に仕組んだわね? 本当に底意地が悪いんだから。取り敢えず、成り行きに任せよう。揉め事は御免だわ)

 そうして横柄に給仕を促し、自分用のお茶を淹れさせているアメーリアの隣の席で、藍里は完全に傍観者を決め込み、無言のままカップを口に運んだ。

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