第8話 策動

 終業式を終えて、いつもよりはるかに早い時間に下校した藍里達は、まっすぐ来住本家に足を向けた。すると当主である基樹は留守で、一成の出迎えを受ける。


「やあ、藍里。頼まれた物はできているよ」

「ありがとう、一成さん」

「じゃあちょっと、奥に来てくれるかな?」

「分かったわ」

 玄関に上がるなり言われた内容に、素直に頷いて後に続いた藍里だったが、何気なく同行しようとしたルーカスに、背後を振り返った一成が、横の居間を指差しながら申し出た。


「ああ、申し訳ありませんが、殿下はこちらで少々お待ち下さい」

「え?」

 当惑したルーカスだったが、一成はにこりと人好きする笑顔を浮かべながら、尚も説明を続ける。


「同じ屋敷内に居ますから、襲撃時に多少離れていても、すぐ対応できるでしょう。今度の物はなるべく人目に触れない様にして、皆さんを驚かせたいんですよ」

「いや、しかし。実際どんな武器を所持しているか分からないと、咄嗟の判断に影響が」

「勿論、そんな不測の事態にならない様に、殿下を初めとする護衛の皆さんが、しっかりその役目を果たしてくれると信じておりますので、今日渡すものも無用の長物になりそうですから、一々ひけらかすのが恥ずかしいと言うのが本当の所なのですが」

「それは……」

 そこまで言われて強く出る事もできずにルーカスが口ごもると、一成は笑顔を保ったまま藍里を奥へと促した。


「じゃあ藍里、行くよ」

「あ、ちょっと待って」

 そして背後でルーカスが大人しく居間に入っていく気配を感じながら、藍里は前を歩く一成に声をかけた。


「何か一成さん、今日はちょっと意地悪?」

 それに小さく噴き出してから、一成が軽く振り返って歩きながら答えた。


「そういうわけじゃ無いが、若者をからかうのは、年長者の特権だからね。悠理からもちょっとからかってやれと、唆されたし」

「悠理が?」

「この前、うちに国際電話をかけてきたんだ」

「妹を無視して、何やってんのよ……」

 無意識に眉間に皺を寄せた藍里を見て、一成は更に笑い出したいのを堪えながら足を進めた。


「それで今回の話を聞いて、準備したのはこれなんだ」

「中を見ても良い?」

「勿論だよ」

 道場に隣接した収納庫に入った一成は、一つの戸棚から取り出した布袋を、藍里に手渡した。その掌にギリギリ収まる大きさの割に感じる重量感と硬い感触に、一体何かと思いながら巾着袋の紐を緩めて中を覗き込んだ藍里は、何とも言えない表情になる。


「一成さん?」

「何かな?」

 飄々として問い返す従兄に、藍里は巾着袋の中から一つのビー玉を取り出して目の前にかざした。透明なガラスの中に、何やら虹色に輝くラメ入りらしいそれを目を細めて凝視しながら、藍里が確認を入れる。


「これ……、ちょっと変わってるけど、ビー玉にしか見えないんだけど?」

「だって、ただのビー玉だし」

「か~ず~な~り~さぁぁ~ん?」

 ビー玉の塊片手に藍里が凄んでみせると、一成が苦笑いしながらも、尚も弁解するように話を続けた。


「何もしなければ、ただのビー玉なのは事実だし」

「どうすれば、ただのビー玉じゃなくなるのよ?」

 その問いに、一成は益々人の悪い笑みを浮かべながら、巾着袋の中身について説明し、それを聞いた藍里はげんなりしながら巾着袋を片手に居間へと戻った。


「お待たせしました、ルーカス殿下」

「悪かったわね。帰りましょうか」

 長居は無用とでも言わんばかりに、藍里が持って来た布袋を鞄に突っ込んで立ち上がった為、ルーカスは無言で頷き、一成に挨拶してから彼女の後を追った。


「一体、何を渡されたんだ?」

 並んで歩きながらのルーカスの問いかけに、藍里はどうしようか迷う素振りを見せてから答える。

「帰宅してから説明するわ」

 それきり口を閉ざした藍里に、ルーカスはそれ以上追及する事無く、大人しく来住家に向かって歩き続けた。

 そして二人が帰宅して、まずそれぞれの部屋で私服に着替えていると、電話が鳴ってジーク達が来訪する旨を伝えられた。それに了解して着替え終わった二人が待っていると、三人が揃って顔を見せる。


「いらっしゃい。リスベラント行きは明後日だし、それについての打ち合わせ?」

 来訪の目的を藍里が尋ねると、ジークが冷静に頷きながら応じた。


「そんなところです。大まかな移動経路と設定について、早めにご説明しておこうかと思いまして」

 そうしてジークがリビングのテーブルに持参したリスベラントの地図を広げ、一通りルートについての説明を済ませると、それを黙って聞いていた藍里は、地図を眺めながら呟いた。


「ふぅん? オランデュー伯爵領は通過しないのね」

「幸いな事に、そちらに寄ると遠回りになりますので、十分避ける理由になりますから」

「それで、設定って?」

 先程引っかかりを覚えた言葉について説明を求めると、ジークが若干言いにくそうに話し始める。


「その……、ですね。リスベラントでは、貴族や裕福な商人はともかく、一般人が遠くまで旅をする様な習慣というか文化が無いわけです。その為、旅人は凄く目立ちます」

「宿泊施設が無いから野宿とか?」

「辺境域まで行かなければ、ちゃんとした宿泊施設はありますが、このまま出向くと一発でアイリ嬢の一行だとバレる事が確実なので、ちょっとした変装をして頂きたく……」

 横からウィルが非常に申し訳無さそうに言い出した為、藍里は怪訝に思いながら言い返した。


「ウィルさん、そんなに恐縮しなくても良いですよ? 髪だって目の色だって、魔術で変えても構いませんけど。あ、ルーカスみたいに男装しても良いですよ?」

 何気なく口にした藍里だったが、その台詞に、普段不本意な女装をさせられているルーカスが、盛大に噛み付いた。


「なんだそれはっ! 俺は元々男だぞ!?」

「だからあんたが女装してるみたいに、私も男装しても良いって意味に決まってるでしょ?」

「尚更悪いぞ!」

「五月蠅いわね! 本当の事でしょうが!」

「あのっ! アイリ嬢には女装して頂きたいんです!」

 慌てて揉め始めた二人の会話に割り込んだウィルだったが、それで藍里達は口論を止めたものの、二人から何とも言えない視線を向けられる事になった。


「女装って……」

「ウィル、お前な……」

「すみません。言い間違えました。セレナが辺境域の村から、央都の大商人に見初められた奥方で、実家の親が大病にかかってしまい、その見舞いに十何年かぶりに里帰りをすると言う設定で、アイリ嬢がその侍女、俺達は奥方の護衛と言う触れ込みで移動する事にしようと思っています」

 恐縮しながらウィルが語った内容を聞いて、漸く藍里は納得した。


「なるほど。物見遊山で辺境域に出向こうなんて考える人、いるとは思えないものね」

「それで、人前でアイリ様を、侍女扱いしてしまう事になってしまうので、誠に申し訳無く」

 そこでセレナが、如何にも申し訳無さそうに言い出した為、そういう事かと更に合点がいった藍里は、笑顔で手を振った。


「いいのいいの、そんな事気にしないで! 第一、どう考えたって、セレナさんの方が奥方様って感じだもの。寧ろ侍女で結構。何でもやっちゃうから」

「……もの凄く不安だ」

「横でゴチャゴチャ五月蠅いのよ! 本当にあんたって、小姑みたいよね!?」

「何だそれはっ!」

 再び勃発した言い争いに、今度は慌ててセレナが口を挟んだ。


「あのっ! たしか今日は、来住本家にいらっしゃって、今回の任務の為の、新たな武器を用意して頂いたのでは?」

 その申し出に、藍里がピクッと反応して言い争いを止めた上でセレナに向き直る。


「確かに貰って来たけど……、見たい?」

「はい、できれば。どんな物か興味がありますので」

「じゃあ持って来るから、ちょっと待っててね」

 そう言って藍里がリビングを出て行くと、その隙にウィルが疲れた様にルーカスに声をかける。


「殿下……、相変わらずアイリ嬢と仲が悪いですね」

「あいつが、俺の神経を逆撫でするからだ!」

「そうは言われましても……、公爵からご指示は受けておられるのですよね? 私共で、なるべくフォローはしますが」

「分かっている」

 苦々しい顔付きになったルーカスを、ジーク達が困惑した様に眺めているうちに、巾着袋を手にした藍里が戻って来た。


「お待たせ。貰ってきたのはこれなんだけど」

 そう言いながらテーブルに置いた巾着袋の中から、藍里は数個のビー玉を取り出してテーブル上に置いた。それを見た他の四人の目が、例外なく丸くなる。


「ええと……」

「これは?」

「見ての通り、ビー玉。因みに名前は《白虹》よ。紅蓮に収納して持って行くわ」

「………………」

 その場に若干の沈黙が満ちてから、ルーカスが何とか気を取り直し、再度尋ねてきた。


「それで? これはどうやって使うんだ?」

「こんな風に……、よいっと!」

 無造作に藍里が手元のビー玉を指で弾くと、一直線に転がって行ったそれは他のビー玉にカツーンとぶつかり、それが勢い良く転がってテーブルの縁から落下した。しかし下が絨毯敷きの為に、それ以上の衝突音は聞こえず、再びリビング内に静寂が満ちる。


「おい……、ふざけているのか?」

「本気。役に立たなくても、暇潰しにはなるわよ」

「もう良い」

 ブスッとして会話を終わらせたルーカスに、藍里は(気持ちは分かるけど)と無言で肩を竦め、そんな二人の様子を眺めた三人は、何とも言えない顔付きで互いの顔を見合わせ、今回の任務の困難さを悟った。

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