第6話 癒し姫の真実
「アイリ様には、この間リスベラントの地理や簡単な社会情勢などをお教えしていましたが、国の中央に位置する央都トラディスを含むディアルド公爵直轄領を囲んで、東西南北の四地方に大きく分けられるのは覚えていらっしゃいますか?」
セレナが繰り出してきたその質問に、藍里は冷や汗を流しながら、なんとか思い当たった内容を話し出した。
「え、ええと……。確かに聞いたわよ? 各地方に中心となる伯爵家が一つ、それに子爵家が四つあって……」
考えながら口にした内容に引っ掛かりを覚えた藍里は、無言で考え込んだ。そしてすぐに、先程聞いた家名と記憶の中の情報が一致して声を上げる。
「あ、そう言えば! 西部地方にはオランデュー伯爵家の他に、デスナール子爵家の領地も有ったわ!」
「やっと思い出したか……」
「あのね」
嬉々として答えた藍里の横で、ルーカスが呆れた様にぼそりと呟く。それに藍里は腹を立てたが、そこですかさずセレナが、場を取り成す様に話を続けた。
「はい、その通りです。それで、同じ地方に属する家同士の繋がりは昔から割と強くて、公爵と伯爵が対立したりすると、その地方の子爵達が央都の公爵の意向を無視する様な事も、偶に起きたりします」
「随分面倒なのね。公爵様って央都でふんぞり返ってるだけじゃなくて、結構気苦労が多いみたい」
「当たり前だろうが!」
「五月蠅いわよ! 一々耳元で怒鳴らないで!」
お約束の様に藍里達の間に険悪な空気が漂ったが、ここでジークが深刻そうな声音で呟いた。
「しかし、今回の派遣先が西部のデスナール子爵領とは……。西部地方を突っ切る必要があるから厄介だな」
「西部地方を通過するのに、何か不都合があるの?」
思わず口を挟んだ藍里に、彼女以外の全員が難しい表情になった。
「簡単に言えば、その地方にアメーリア姉上の信奉者が多いんだ」
「下手をすると、狂信者に近いものがありますね」
「アメーリア様はアイリ様を目の敵にしていますから、魔獣騒ぎを画策して西部地方におびき寄せた上で、刺客を放つ可能性もあります」
「この時期、他のディルは大方今年の任務は済ませておりますし、このタイミングで騒ぎを起こせば、お二人のうちどちらか、あるいは両者が派遣される可能性は高かったですから」
口々に詳細を説明された藍里は、憮然としながらも頷いた。
「私もあの人と積極的にお友達になりたいとは思わないから、嫌われてても構わないけど。それで? どうして彼女はそんなに崇拝されてるわけ? あの人は聖騎士じゃなかったわよね。公爵令嬢だから?」
「アメーリア様は、戦闘能力は殆どありませんが、リスベラントでも有数の治癒能力の持ち主なんです」
「へえ? そうなんだ。じゃあ医者として活躍してるの?」
藍里としては当然の推測を口にしたのだが、何故かそれを聞いた周囲の者達は揃って苦りきった顔付きになった。
「いや……、通常、ある程度以上の治癒能力保持者は、きちんと現役の医師と師弟関係を結んで、医術に関する修行をする事になっているが、姉上は医術を習得していないし、医師として働いてもいない。リスベラントに来た時に暇で気が向いた時、勝手気ままに無制限に病人の治癒をしているだけだ」
ルーカスのその口調には、明らかに非難と軽蔑が混ざっていた為、藍里は益々不思議に思った。
「何か微妙に怒っているみたいだけど、病人を治して人助けしてるんだから、良いんじゃないの?」
「それも、やり方と程度による」
「どういう事よ?」
「殿下、私からご説明しますから」
全く要領を得なかった藍里だったが、ルーカスでは一応血の繋がりがある分言いにくいかと、再びセレナが説明役を買って出た。
「アイリ様、一般的に治癒能力と言うのは、それで病巣自体を消滅させるわけではありません。あくまで人間が本来備えている免疫力を強化して回復を早めたり、体調を整える能力です。つまりその前後の処置が重要になってきます」
「治癒させておしまい、じゃなくて?」
益々意味が分からなくなってきた藍里に、セレナが若干考え込んでから、具体的な事例で説明し始めた。
「分かり易く例を挙げますと……、落石事故で足を骨折したとします。普通の医師なら、まず外傷部分の処置をしてから、触診で折れた部分の確認をし、次いできちんと本来の位置に骨を継いで固定してから、治癒能力を最低限行使して回復を促します。この間、麻酔も最小限です」
「力を最小限? だってそれなら痛むし、早く治った方が楽だと思うけど」
「どこをどうすればどう痛むかを、本人にきちんと申告して貰わないと、医師が判断し難いんです。レントゲンはありませんし」
「ああ、なるほど。麻酔がばっちり効いてたら、却って適切な処置ができないって事ね」
そこで納得した藍里だったが、セレナは続けてアメーリアの事例について言及した。
「ですがアメーリア様の場合、どの様に折れたかなど一切判断せず、すぐに痛覚を抑えて患者に痛みを感じなくさせた上で、強力に組織再生を促すのです。確かに本人は無痛で楽ですが、骨が曲がった状態で繋がって歩行に支障が生じたり、周囲の組織や神経が圧迫されて後々影響が出たり、更には急激に回復力を高められたせいで、その後の免疫系に影響が出てその部位が化膿しやすくなったりと、医学的には却って問題が生じる事態になります」
「ちょっとそれ、酷くない!? 治療された人だって、文句を言うわよね?」
「それが……、普通の医者より痛みを感じなくて治りも早くしてくれて、ありがたいと感謝する人間が多いんです。後から具合が悪くなったのも、偶々そういう治りが悪い状態だったのだと納得しますし」
「はぁ? 何よ、それ?」
自分の常識から考えるとありえない話を聞いて、藍里は本気で呆れたが、セレナは溜め息を吐いて話を続けた。
「その他にも、例えば内臓系の疾患の場合、普通の医者であれば患部そのものを治療する薬物治療を、長期間に渡って根気強く進めていきますが、あの方の場合、ただ痛みや吐き気だけを急激に抑えたり、うっ血などを引かせたりするだけで。患者は、医者にも治せない症状をいとも簡単に消し去る事ができる聖女様と崇め奉って、医者にかかるのを止めてしまいますが、そんな事をしている間にどんどん病状は悪化して、手遅れになるんです。ですがアメーリア様は『ヤブ医者にかかっていて、手遅れになったわね』などと放言するので、諸悪の根源呼ばわりされた医者達は、アメーリア様を敵視しています」
そこまで聞いて、藍里は漸く以前次兄が愚痴っていた内容を思い出した。
「そう言えばリスベラントに行った後、悠理が言ってたのを聞いた事があったわ」
「ユーリ殿が、何と言っていたんですか?」
「『安易に物事を考えて、やたらと目先の症状だけ抑えて悦に入っている馬鹿は始末に負えない。ちょっとした痛みを取る為に、どんどん量を増やして麻薬を投与する様なものだ』って。『同僚の医者に、そんな安易な考え方をする人がいるの?』って聞いたら、『リスベラントの人間だ。衛生観念や医療知識のレベルが低いから、そういう人間はあっさり騙される。だから公爵や父さん達が、リスベラント内の識字率を高めようと努力してるんだ』とも言っていたの」
それを聞いた他の面々は、同感という様に揃って頷いた。
「二十年前から比較すると、公爵直轄領とヒルシュ子爵領地内の識字率は、格段に向上しましたからね」
「貴族や、商人ならともかく、他の地域の一般人は殆ど文盲ですから。特に幼小児期の死亡率や流行病が勃発した時などの対応に、歴然とした差が出ています」
「一々人を集めて口頭で伝えるのと、一律に重要事項を記載した紙を配って周知徹底を図るのと、どちらがどれだけ効果的か分かるだろう?」
「確かな知識を普段から身に付けておかないと、医学的観点からみると迷信でしかありえない行為や、却って命に係わる事をやってしまう事が多いんです」
「本当よね。その話を聞くまでは、どうして識字率と死亡率が関係して来るのかって、全然分からなかったんだけど」
神妙な顔で述べた藍里だったが、そこでセレナは再びアメーリアについての話に戻した。
「直轄領内でのその様な振る舞いについて、地元の医師から苦情が出まして。それを受けた公爵がアメーリア様に、きちんとした医術全般の指導を受けるか、直轄領内での治療行為を禁じる命令を下したのですが、彼女は直轄領内では無く、伯父が治めるオランデュー伯爵領で同様の事をやり始めたのです」
「どうしてきちんと指導を受けないの? ちゃんと対処法を覚えれば、治療しても良いんでしょう?」
「『この私が平民に師事するなどありえません』だそうだ」
一層苦々しい顔付きになったルーカスが吐き捨てる様に告げた内容に、藍里は呆れ返った。
「すっごい傍迷惑な人ね。でもオランデュー伯爵領では問題になっていないの?」
「なっているらしいが、伯爵が姪可愛さに放置しているそうだ。公爵と言えども、他家の内政に強く干渉できないし、そうこうしているうちにまともな医者程嫌気がさして、伯爵領から一人二人と移住して、医師不足が問題になっているらしい」
ルーカスがそんな懸念を口にすると、ウィルも難しい顔のままそれを補足する。
「オランデュー伯爵が金を積んで医師を集めているみたいですが、『姫様はもっと痛みを楽にしてくれた』とか『姫様は必ず治ると言ってくれた』とか、無責任で中途半端な治療や言動の尻拭いをさせられる方は、たまったものじゃありません。それで医師の定着率が低いらしく、きちんとしたデータはありませんが、徐々に影響が出ているらしいです」
その意味する所を悟った藍里は、瞬時に渋面になった。
「それって……、有病時の生存率が下がってるとか?」
「恐らくは。そして医師が不足している分、癒やし姫の出番が増えて、信奉者が更に増えるという悪循環。最近ではアメーリア様は直轄領やアルデインより、ちやほやされる西部地方に出向いている方が多い位です」
ジークがそんな事を断定してきた為、藍里は心底うんざりとした表情になった。
「良く分かったわ。西部地方があの人達のホームグラウンドだって事が。道を歩いているだけで、石やら弓やらが飛んできてもおかしくないわけね」
「それ位の認識で頂ければ良いかと」
「弓どころか、火球や氷柱が飛んで来そうだな」
控え目に頷いたセレナの台詞に被せる様に、ルーカスが面白く無さそうにろくでもない予想を口にした為、藍里は益々顔を顰めた。
しかし愚痴ばかり言っている訳にも行かない一同は、より安全に辺境域に到達する為の手段について、それからひとしきり意見を交わし合った。
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