小さな恋の物語⑦天の川は恋の川
初夏の京の町はこれからやってくる盆地の酷暑にそなえる準備に加え、七夕の支度も行われ賑やかな様子でございます。屋敷周りに水を打ったり、笹を飾ったり、五色の糸の七夕飾りを売っているところもございます。
宮中から都大路へと飛び出された夕さまは、そのまま走って雲子さまの元へと向かわれるようでございます。夕さまは貴族でしかも高級官職についていらっしゃいます。普段の移動は牛車が普通でございます。馬に乗られることもございますが、決して街中の
そんな宮中にお勤めの
夕さまは人の目も気にせずに走り続けます。夕さまの三従士である露、霜、雹が後方から追いかけます。
ようやく、なのでございます。
あの突然何の前触れもなく引き離された日から7年。
許され、認められ、雲子さまの元へと駆けつけられるのでございます。
必死になるのも、人目を気にしないのも無理はございません。
鴨川にかかる三条大橋を駆け抜けます。
おふたりを隔てていた試練の川にも橋がかかります。
10代前半での別離から7年。
青春時代は勉学と仕事に捧げました。
すべてはあの約束のためでございます。
すべてはたったひとりのかけがえのない彼女のためでございます。
内大臣家の豪奢なお屋敷が視界に入ってきたようでございます。
「雲子さま、お持ちしましたよ」
内大臣家では雲子さまのSKJが『号外 月刊宮中ニュース』を雲子さまに届けます。この号外に昇格試験の結果が載っています。
号外をご覧になった雲子さまがほぅっと温かいため息を漏らされます。
「おめでとうございます。雲子さま」
「よかったですわ。雲子さま」
「さすが夕さまですわね。雲子さま」
SKJたちが口々に雲子さまを祝福します。
雲子さまも安堵してお部屋の前の簀子縁まで出ていらっしゃいます。
空を見つめて何か想いを巡らせていらっしゃいます。
あんな記事は出たものの、雲子さまは夕さまを案じていらっしゃいます。
噂の真偽はわかりませんが、それでも夕さまを忘れることなどできるはずもなく、お心を乱しながらもやはり試験の結果をお気になさっておりました。
ひとまずよかった、と雲子さまは安心なされたようでございます。
するとなにやら目の前の庭の生垣がガサガサと音を立てて揺れ始めます。
「え?」
何か人影のようなものが生垣を乗り越えてこちらに立ち入ってきます。
「雲子さま! 危ないっ」
「お隠れください!」
あられやしずく、かすみなどの雲子さまのSKJが危険を察知して雲子さまをかばいます。
生垣を乗り越えた人物が植栽の合間を縫って白砂の庭へと姿を現します。
「雲ちゃん……」
現れた人物が雲子さまを認め、呼びかけられます。
「……夕くん?」
雲子さまの心の中の夕さまより大人びた目の前の夕さまでございます。すらりと伸びた背丈に可愛らしいばかりだったお顔は頬が引き締まり男らしくおなりですが、瞳はあの頃の優しさをたたえたままでございます。冠の下の髪も多少ほどけて無造作に垂れております。けれども走ってきて息を乱している様子とあいまり精悍さを強調しております。
7年ぶりに見る初恋の君のお姿でございます。
「雲ちゃん」
後ろから追ってきた露、霜、雹も通用門から庭先へと入ってまいりました。
色とりどりの紫陽花の花が咲く初夏の庭を夕さまは雲子さまの元へと進まれます。
「夕くん……」
あの日と同じ夕暮れでございます。
淡い橙色、蜜柑色、杏色、柿色。
ヴェールのような雲が夕空にグラデーションを描きます。花撫子という赤系統のお色目の小袿の雲子さまが夕陽に照らされます。
雲子さまのいらっしゃる簀子縁の下まで夕さまが歩み寄られます。
「雲ちゃん、来たよ」
「ゆぅ……」
おふたりのお姿が夕陽に溶け込みます。
簀子縁の手すりに添えてある雲子さまの両手を夕さまが温かく包みこまれます。
あの頃よりずっと大きくなった手。
あの頃よりずっと柔らかくなった手。
おふたりともお言葉を発しません。
触れ合った手や見つめ合った瞳で想いをかわしていらっしゃるのでしょう。
その想いに触れるたびに笑みをこぼし頷かれます。
その頷きとともに涙の雫が頬を伝います。
お互いの背丈も顔立ちも。
重ねた手の感触も違うけれど。
見つめる瞳に宿る眼差しや、
触れた手から伝わる想いは、
7年前と何も変わってはおりません。
それどころかお互いを想う気持ちや優しさはあの頃より増しているのかもしれません。
どれほど、この瞬間が訪れることを願っていたことでしょう。
どこかほっと安堵の表情を浮かべていらっしゃるおふたりでございます。
約束どおり迎えに来ることができた。
約束どおり迎えを待ち続けていた。
微笑みを交わし合うおふたりの目頭が滲みます。
週刊誌のゴシップはやはりゴシップだったのでございます。
目の前の誠実な夕さまのすべてがそれを物語っております。
「「「ううっ、うぅぅぅぅぅ」」」
側に控えていた雲子さまのSKJたちが泣いております。ずっと近くで雲子さまを支え、この恋を応援してきました。
「「「ううっ、うぅぅぅぅぅ」」」
庭先の夕さまの三従士も涙ぐんでおります。こちらもまた誰よりも近く夕さまにお仕えし、努力する姿を見てきました。
渡殿からもうひとりやってきます。源ちゃんズの弦三郎のようでございます。光る君から内大臣さまへのお使いにやってきたようで、雲子さまのお部屋へも寄ったようですね。弦三郎といえば夕さまが産まれたときから見守ってきておりました。
夕さまが
もう一度雲子さまの両手を握りしめ、ご自分は膝まづかれます。
「僕と結婚してください」
「うううううっ!」
弦三郎が泣き崩れます。
だっこした赤ちゃんの夕さま。
一緒に蹴鞠をして遊んだ幼少の夕さま。
楽器を教えて、と共に演奏した少年の夕さま。
この日のために人一倍努力なさってきた青年の夕さま。
「ううっ!うっ、うっ、うっ!!」
想いは走馬灯のように巡り、弦三郎の嗚咽は止まりません。
「はい」
「「「うぅぅぅぅぅぅ」」」
SKJたちも号泣でございます。
「「「うぅぅぅぅぅぅ」」」
三従士もハモります。
「うっ、うっ、うっ」
弦三郎も加わり涙のシンフォニーでございます。
そんな泣き声オーケストラをBGMに夕さまが立ち上がられます。
そっと雲子さまを抱き寄せられます。
そのおふたりを祝福する7月7日の夕陽。
赤く赤くおふたりを包み込みます。
おふたりが見つめ合われます。
微笑みながらお互いの頬を濡らす涙をぬぐいます。
「もういつまでも一緒だね」
お互いのお顔が近づきます。
夕さまの瞳に映る雲子さまが目を閉じられます。
おふたりが距離を縮めるにつれ、シルエットが赤く染まった茜雲と緋色の夕陽を遮ります。
うぉぉぉぉぉぉぉん
あうううううううぅ
もうハーモニーどころではございません。懐紙で涙をふき、鼻をかみ、また懐紙をとりだしては顔を埋めての号泣でございます。
「ほんっとによかった」
と言っては泣き、
「なんて素敵なプロポーズ」
と感激し、
「雲子さま、おキレイ」
とまた泣き、
「ナマの夕さま、カッコよすぎ」
とこれまた泣き崩れ……
うぉんうぉんうぉんうぉん
ううっうっうっうっ
大合唱でございます。
「うっ、懐紙がなくなった……ううう」
「それでっしたら、ひっく、こちっ、らどうっぞぉぉぉ」
「あっ、ありっ、がっとうごっざいますぅぅぅ」
「よか、ったでっすわっねぇぇぇ」
「ホントにぃぃぃ」
「ふぅぅぅ」
懐紙を切らした弦三郎と懐紙を渡したかすみが手を取り合って泣いております。
うぉんうぉんうぉんうぉん
ううっうっうっうっ
うぉ、うぉん?
「お、おわっ、失礼しました!」
見ず知らずのSKJの手を握ってしまっていた弦三郎が慌てて謝ります。
「いえっ、こちらこそ……」
かすみもあわてて扇子を取り出して口元を隠します。
「うぉっ! いぇっ、えぇぇぇ?」
その場から一歩飛び下がります。弦三郎の言動が意味不明でございます。
「へ?」
「ああ、あなっ、あなたはひいらぎの君!」
「はぁぁぁ?」
それまでの号泣はどこへやら、わけがわからないのはかすみです。弦三郎ひとりがおたおたとうろたえております。そういえば、弦三郎には印象的な出会いがあったのでございます。まあ、たったいま、思い出したのですけれど。
何年か前にどこかでぶつかり出会った木漏れ日のようにまばゆい笑顔の女性。ひいらぎの扇子の君はかすみだったようですわね。
あたりは夜の帳に包まれ、瑠璃紺の夜空に煌く天の川がかかります。
天の神がこの日だけはと恋人達が逢うことを許した日。
天の恋人達も逢瀬を叶えていることでしょう。
地上の恋人達は晴れてこの日を迎えました。
幾千の星の数ほどもいる地上の人々。
その中でたったひとり逢いたかった人。
ようやくめぐり逢えたふたり。
どちらも忘れませんでした。
どちらも守り抜きました。
「大きくなったらけっこんしようね」
「ずっといっしょにいようね」
~ 雲追ひて 愛し君に
夕さまのお歌でございます。
~ 恋ひ慕ふ 想ひは天の 川越へて
願ひ叶ひし 七夕の夢 ~
雲子さまの返歌がこちら。
超訳は……、必要ございませんわね。
おふたりの傍らにはお互い預けあった扇子としおりが置かれています。
「雲ちゃん」
「なぁに?」
「そういえば、訪問の手紙や先触れも忘れてた」
元来が真面目な夕さまは今頃になって来訪の手順を踏まえなかったことに気づいたようでございます。
「ごめん、慌ててたから花も持ってこなかった」
あまりにも夕さまらしい思考にくすくすと雲子さまが笑われます。
「明日持ってきて?」
「そうする」
「それからもう少しオシャレしてきて?」
夕さまの髪についた葉を雲子さまがおとりになります。
「そうする」
ふたりから笑みがこぼれます。
ようやく取り合えたお互いの手と手。
空の織姫と彦星も京の織姫と彦星を見つめているでしょうか。
小さな恋が大きな愛となり、ふたりの恋の川がひとつの流れに戻ります。
煌く幾千の星の川
たったひとつの恋の星
いつまでも輝き続けることでしょう。
ところ変わってパレス六条でございます。
「花ちゃん、乾杯」
ヴィレッジさまーの
「よかったわねぇ」
花子さまが涙ぐんでおられます。
「綺麗な天の川だね」
ヴィレッジさまーの天上も一面の天の川でございます。
「夕くんの想いが天の川を超えたわね」
夕くんたちも見ているかしら、と花子さま。
夏の庭の竹林が心地よさげに揺れております。
さわ、と笹が涼やかなメロディを奏でます。
「花ちゃん、ありがとね」
ううん、と花子さまは首を横に振られます。
「光る君が見守ってあげたからよ」
弦二郎がカクテル"ブルームーン"を光る君に渡します。
「もう一度乾杯しよ」
カクテル言葉は「奇跡」、ブルームーンとは滅多にみられない月のことでございます。
「そうね、乾杯」
「夕とそれから花ちゃんにも」
「私?」
「夕と雲子ちゃんが彦星と織姫なら、花ちゃんは俺の乙姫だからね」
天の川のようなミルキーブルーのカクテルを掲げながら光る君が花子さまにウインクなさいます。
「いい夜だね」
「ほんとうね」
本日こそパレス六条、ならびに内大臣家大平安なり、でございます。
♬BGM
愛唄 GreeeeN
✨『げんこいっ!』トピックス
この日夕が駆け抜けたルートは「恋ロード」と呼ばれるように。三条大橋はもちろん「恋の架け橋」
☆その四 君だけに 誓うLovingYou 永遠に fin.
Next その五 ときめいて死ぬほどキミに恋したらパレス六条平安ならむ
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