小さな恋の物語⑥想いは星の川を越えて

 藤が散り、しばらく続いた長雨があがり、朝露が新しい季節に光る日のことでございます。ところは宮中、皆さまの職場でございます。

 夕さまが宮中の掲示板を見つめていらっしゃいます。よっし、と小さい声を漏らし、拳を握りしめられます。


「やったな。夕、おめでとう」

 夕さまのご友人のひのきさまでございます。夕さまと肩を組んで祝福なさいます。夕さまは微笑みで応えます。

「ほら、行くんだろ?」

 桧さまの問いにまた夕さまは無言で頷かれます。

「グッドラック。行って来い」

 そう言って桧さまは夕さまの背中を押し出されました。夕さまは掲示板の前のひとだかりをかきわけ、とあるお部屋を目指します。


 今日は宮中の昇格試験の発表日でございます。今回の試験で夕さまは三位の官位となり近衛大将このえのたいしょうという役職につくことになりました。もちろんまだ上の官位がありますが、ひとまず目標にしていた官位と役職にたどりついたことになります。

 夕さまは雲子さまのお父さまである内大臣さまの執務室へと向かいます。内大臣さまも以前は中将さまでしたが、その後大臣の位にまで出世されていたのでございます。


 気もそぞろに早足で渡殿を進まれます。内大臣さまの居室の入り口で取次を願い、中へと通されます。


「内大臣さま。お話がございます」

 夕さまが中にいらっしゃる内大臣さまにお声がけなさいます。

「来ると思ってたよ」

 内大臣さまもこっちへおいでと御簾内をお許しになられます。

 

 今や宮中人気ナンバーワンの称号を独占している夕さま。光る君とうりふたつの整ったお顔立ちでございます。お父さまの光る君が甘やかな雰囲気なのに対して夕さまには爽やかさが感じられます。ひたむきで常にまっすぐなご気質で穏やかな雰囲気は誰からも好かれております。

 いつの間にか背丈は光る君を抜かしたようでございます。四位以下の官位と三位以上の官位では宮中での服装も異なります。恐らく見納めとなる夕さまの四位の緋色のお衣装です。好青年らしくすっきりと着こなしていらっしゃいます。

 内大臣さまは母である今は亡き大宮さまのお言葉を思い起こされます。

(雲子には夕しかいませんよ。理想の結婚相手ですよ)

(本当にそのとおりだな)


 緊張のためか強張った表情ではあるもののその立ち居振る舞いはそれこそ舞を舞うかのごとく優雅でございます。内大臣さまの前に座を落ち着けると最後に袖のたもとがふわりと羽を休め、焚きしめた香木の香りがあたりに漂います。

「試験合格おめでとう」

 内大臣さまが夕さまにお声をかけられます。

「ありがとうございます」

 夕さまは手をついて最高礼で内大臣さまのお言葉を受けられます。

「これで君も大将だね。立派になったね」


 夕さまは一度の失敗もなくいくつかの昇格試験をクリアされていらっしゃいました。日々の業務も真面目にこなし、同僚、上司、お仕えしている東宮さまからの信頼も人一倍厚く、その仕事ぶりは内大臣さまもすでにご存知でいらっしゃいます。

「まだ未熟者でこれからもますます努力して春宮さまや主上にお仕えせねばと思っております」

 内大臣さまも頷かれます。


「まずは三条大宮邸での雲子さまに対する振舞いや行いに対して心からお詫び申し上げます」

「親御さまである内大臣さまにご挨拶もせず、お許しもいただかずに共に過ごしていたこと誠に申し訳ございませんでした」

 幼い頃から一緒だったからとはいえ、元服や裳着を迎えようとしている男女が一緒に過ごしていたことは今思えば非常識なことだったと夕さまは思っていたのでございます。お互い好きだからとスキンシップをとってしまったことも、でございます。


「夕……」

 さっそく結婚の申し込みをしてくるかと思っていた内大臣さまは思いもかけない夕さまからの謝罪にとまどっていらっしゃいます。

「すべては僕がいたらなかったせいで内大臣さまにご不快な思いをさせ、雲子さまを傷つけることになってしまいました」

(母上、やはり夕しかいませんね)

 内大臣さまは心の中で母の大宮さまにお話しかけになります。

「そう思っていてくれたのならもうこのことは不問としよう」

 すでに内大臣さまも夕さまをお認めになっていたのでございます。あとはタイミングだけだったのかもしれません。

 

「内大臣さま。雲子さまとの結婚をお許しください」

 一度内大臣さまのお顔をご覧になってから夕さまは深く頭を下げられます。ご自分の妹、葵子さまの遺した子。純粋に一途に娘を愛してくれる。最大限の誠意を示していらっしゃる夕さまに内大臣さまは目を細められます。


「そうだね。こちらからもお願いするよ。雲子を幸せにしてやってくれ」

 頭をたれていた夕さまがお顔をあげられます。晴れ晴れとした内大臣さまのお顔でございます。

「ありがとうございます」

 もう一度夕さまは頭をさげられます。

「雲子も待ってるよ。行きなさい」

 内大臣さまが夕さまを送りだされます。夕さまが内大臣さまのお部屋を退出なされます。外廊下である簀子縁に出た瞬間に夕さまは駆け出されました。



「行った?」

 隣室から入ってきたのは光る君でございます。

「ああ、すっとんでったよ」

 内大臣さまが姿勢をくずしてくつろがれます。

「まあ、いろいろあったなぁ」

 内大臣さまは扇子で扇ぎながらふう、とため息をつかれます。内大臣さまなりに緊張されていたのでしょうか。

「今までも親戚だったけど、また親戚だな」

 光る君がおっしゃいます。

「だな」

 内大臣さまも微笑まれます。

「今日はウチで飲むか? 花嫁のおとーさん?」

 光る君が茶化して内大臣さまを誘われます。

「アホか。ウチに花婿を迎えるのにオレが留守でどーすんだ」

 正式な結婚ですので花婿は3日連続で花嫁の元へと通うのがしきたりでございます。

「そっか、そっか。ゴメン」

 光る君は夕さまが駆けて行った方角を眺められます。

 

「俺たちも子供が結婚するようなトシになったんだな」

「まあな」

「それにしてもさ……」

 光る君が格子戸を開けて外をご覧になります。

「なに?」

「ああいうのを一途って言うんだろな」

「そうだろな。ホントにお前の子か?」

 内大臣さまも光る君の近くにいらっしゃいます。

「俺だって誰にだって一途だぜ?」

 内大臣さまが吹き出しながら首を横にお振りになられます。

「葵子に似たんだな」

「おま……」

「反論あるか?」

 やはりこのおふたりはライバルである前によき友でいらっしゃいます。


「ちょうどいい日だったな」

「そうだな」


 光る君と内大臣さま、花婿と花嫁のお父さま同士で格子戸の向こうの空を眺めます。


「おわっ! 夕どうした?」

 内大臣さまの居室から飛び出してきた夕さまは宮中の渡殿で同僚でもあるご友人と出会い頭にぶつかったようでございます。

「あ、ごめん! 急いでるからまた今度!」

 取れそうになった冠を押さえて挨拶もそこそこに夕さまが走っていかれます。

「なんだよ、あいつ、あんなに慌てて」

 温厚で真面目な夕さまが職場の渡り廊下を走るなど考えられない行動でございます。


「天の川を超えるんだよ」

 桧さまがそうおっしゃいます。桧さまは内大臣さまのご子息で雲子さまのお兄さまでいらっしゃいます。

「はぁ???」

 夕さまと雲子さまのことは内大臣家と光る君のご一族しか知らないことでございます。

「彦星が織姫に会いに行くんだよ」

 桧さまはずっと友人と妹の恋を側で見守ってきたのでございます。

「彦星って夕が? って織姫って誰っ!!」

 桧さま以外のご友人はどなたもご存知ないことでございました。



 七夕の夕暮れに引き離されてから実に7年が過ぎていたのでございます。奇しくも今日はあの日から7回目の7月7日でございます。

 宮中に飾られている笹の葉が風に揺れます。


 いよいよおふたりの願いが叶います。

 おふたりが願ったたったひとつの願い。


 今宵幼かった想いが恋の川を渡ります。


 本日は宮中ならびに内大臣家、光る君ご一族皆さま平安なり、でございます。

 そして夕さまと雲子さまは大安なり、でございますわね。



☆本日のBGM♬

Can't Help Falling In Love You    Elvis Presley



✨『げんこいっ!』トピックス

 宮中の職務では官位によって着る衣装の色が決められている。夕の最初の官位の六位は深緑、五位が浅い緋色、四位は深い緋色、今回昇進した三位、二位が浅い紫、一位が深い紫。

 ちなみに帝しか着てはいけない禁色きんじき黄櫨染こうろぜんという赤茶色。

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