小さな恋の物語⑤割れてしまう瀬の早み

 さて、かように離ればなれにお暮らしの夕さまと雲子さまでしたが、こっそりとお手紙のやりとりはしておりました。おふたりが想い合っていて結婚の約束をしていたということは公には知られておりません。一緒に住んでいらっしゃったお屋敷の中の出来事なので三条邸の人たち以外は父親である頭中将さまや光る君でさえあの別離の日まで知らないことでございました。


 雲子さまが頭中将さまのお屋敷に引き取られ、夕さまが花子さまとお暮らしになっているのもそれぞれが元服と裳着をして成人したからだと世間では思っているようでございます。


 独身同士でお付き合いすることには特に問題のないおふたりではございましたが、頭中将さまに反対されているため、お手紙のやりとりですら隠れて目立たないようにするしかありませんでした。夕さまのお父さまでいらっしゃる光る君は反対こそしていませんが、積極的に頭中将さまに話をするでもなく、息子の夕さまに任せているようでございます。


 季節のお話

 どんな花が咲いているのか

 どんな鳥がやってきたのか

 綺麗な景色

 その季節に一緒に過ごした想い出のこと

 嬉しかったこと

 楽しかったこと

 面白かったこと


 おふたりの交わすお手紙の内容でございます。


 最近読んだ本のこと

 最近見た絵のこと

 習っている音楽のこと

 

 逢えなくて寂しいこと

 逢えなくてつらいこと


 そしていつもこんな風にお手紙は終わります。


「キミの見ている同じ空を見上げてる」

「同じ空の下ね。私たちの空ね」


 雲が流れる。夕暮れが訪れる。

 はからずもおふたりのお名前は空につながるものでございました。

 離れていても同じ空を見てる。見上げる月や太陽だって同じもの。

 想う相手は同じ空の下にいる。

 今でも一緒に空を見上げている。


 おふたりはそう念じながらいつも空を見つめていました。お互いがお互いに預けた扇子やしおりを握りしめながら。


 春が過ぎます。

 夏が通ります。

 秋が暮れます。

 冬が眺めます。


 同じまちの別々のお屋敷から物言わぬ雲や夕陽に語りかけながらの日々が何年も重ねられました。


 夕さまが宮中でのお仕事でご活躍なさっていることはお手紙以外からも知ることができました。お父さま始め兄弟たちも同じ宮中にお勤めですから夕さまの様子を聞くこともございました。真面目な夕さまは成績も優秀で職場での上司である大臣や大将からの信任もあついとのことでございます。


『月刊宮中ニュース』にもよく夕さまは取り上げられました。


「雲子さま、最新号お持ちしましたよ」

 SKJのかすみが発売したての『月刊宮中ニュース』を持ってまいります。

「ますます素敵になられますね。夕さま」

 SKJたちと一緒に雑誌の夕さまの記事やグラビアを眺めるのが唯一の楽しみでございます。

「今回の桜の宴特集は特にカッコいいですわ」

 同じ女子同士、雲子さまにお仕えしながらもSKJたちも全力でおふたりを応援しているようです。

「ほんとね。うふふ」

 雑誌の夕さまのお姿にそっと雲子さまが手を添えられます。




 そんなあるとき『週刊平安』にこんな記事が載ったのです。


 ―― 宮中人気ナンバーワンアイドルに熱愛のウワサ ――


 お相手とされているのは宮中でお仕えしている女官Aとあります。記事によると宮中でのお仕事をご一緒になさるうちに恋愛に発展したとのことだそうにございます。


「うそ、うそでしょう?」

 もちろん雲子さまは動揺なさいます。頻繁とはいかないまでも今でも夕さまとお手紙のやりとりは続いています。しかしながら誰にも明かせないお付き合いなので、世間的には夕さまは恋人や婚約者のいない独身貴族ということになっております。


 雲子さまはあのとき渡された夕さまの扇子をお手になさいます。

「いつも一緒にいようね」

 あの約束はしょせん子供のごっこ遊びだったの? 

 他愛ない子供の口約束だったの?

 雲子さまのお気持ちが揺らぎます。


「信じちゃダメですよ。雲子さま」

 SKJのかすみが雲子さまに話しかけます。

「『週刊平安』なんてゴシップ誌ですよ。この記事もデタラメですよ」

 しずくも雲子さまを励まします。

「そうですよ。夕さまを信じましょう?」

 あられは雲子さまのお手を握ります。


 追い打ちをかけるように噂は大きくなっていきます。


 ―― 人気者の夕さまがとうとう結婚するらしい ――


「どうして? 誰と? 本当なの? 夕くん」


 カッコいい夕さまが女の子に人気があるのは知っていました。

 結婚もしていなくて恋人もいないというのが人気に拍車をかけておりました。

 それでも夕さまは浮ついた態度をとることもないので、女官たちが騒いでいるだけの状況だったはずです。今までの『月刊宮中ニュース』の記事もその類でございました。ゴシップの『週刊平安』とは無縁でございました。

 

 恋愛に発展したって、結婚するらしいって、本当なの?

 私のことなんて忘れちゃったの?


「雲子さま、お手紙ですよ。夕さまからの」

 あられが御文を持ってきました。

「きっとあの記事は間違いだって書いてありますわよ」

 しずくがそう言います。


 

 少しずつ日が長くなってきたようです。さくらの季節が終わり、庭の藤棚が花盛りです。夕暮れの爽やかな風が藤の花房を優雅に揺らします。


 雲子さまはひとりで夕焼け空をごらんになっていらっしゃいます。


「私たち、もうダメなの?」


 夕さまからのお手紙には週刊誌の記事のことは何も書いてありませんでした。

 いつもと変わらぬ、いえ、いつもと変わらなさすぎる内容のお手紙だったのです。


 5月になって藤の花が咲いていること

 パレス六条のヴィレッジさまーでの暮らしのこと

 橘の木の新緑の香りがとても素晴らしいこと

 先月の桜の宴は緊張して疲れてしまったこと

 もうすぐ昇格試験があるから頑張っていること


「今日も空の雲を眺めています」


 雲子さまは混乱なさっておいでです。


 私が記事のことを知らないと思っているの?

 どうして違うよって書いていないの?

 もしかして本当のことだから否定しないの?

 私のことなんてもうなんとも想っていないの?

 だったらどうして手紙なんかくれるの?

 どうして雲を眺めてるだなんて書くの?


「今日は雲が邪魔で夕陽が見えません」


 雲子さまのお返事はそれだけでございました。


 今度は夕さまが混乱なさいます。


 なんなんだ?

 雲が邪魔って一体どういうこと?

 雲ちゃん、どうしたっていうの?

 何か……、あったの?

 何があったんだ?


 もう一度手紙を、と夕さまは筆をお取りになりますが、その筆も元に戻されます。


 手紙だけのやりとりなんて限界がある。

 このままじゃすれ違っていくばかりだ。

 わからない。彼女が見えなくなる。

 離れていってしまう。


 いつまでこんな状態が続くんだ?


「大きくなったらけっこんしようね」

「ずっといっしょにいようね」


 あんな子供の頃の約束を信じているのは僕だけなのか?

 時が経てば、人の想いなんて変わっていってしまうのか?


「僕たち、もうダメなのか?」


 こんな夜に限って雲ひとつない澄みきった藍空です。


「雲ちゃん、何があった?」

「雲ちゃん、どうしてるんだ?」


 冴え冴えと白く輝く月が夕さまと雲子さま、それぞれを静かに照らします。



 本日はとても平安なりとは申し上げられませんね。



 ♬BGM

 ピアノソナタ第17番ニ短調 Op.31-2 ベートーヴェン


 ✨『げんこいっ!』トピックス

 一連の報道に関して夕中将ゆうのちゅうじょうはノーコメント。仕事に集中したいとのことだが、結婚を控えているからと思われる。

 ――『週刊平安』より抜粋

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