小さな恋の物語③織姫と彦星

 急に雲子さまのお引越しが決まった三条邸では従者も女房も忙しく立ち動いております。長い時間照らし続けた夏に向かう太陽も沈みゆこうとしております。もの言わぬおふたりの庭に西日が射しております。黄昏誰ぞ彼時が庭の池を柿渋色に染めます。


「雲ちゃん!」

「夕くん!」

 雲子さまのお部屋に夕さまがするりと忍び込んでいらっしゃいます。すぐにおふたりは誰にも見つからぬようにお部屋の片隅にある屏風の奥に隠れます。


「僕が迎えに行くから、それまで待ってて」

「私、絶対に誰とも結婚なんかしないから」

 おふたりは手をとり合います。御格子みこうし(障子)越しに夕陽がお部屋にまで差し込みます。


「おじさんに認めてもらえるように頑張って官位を上げる」

「信じて待ってる」

 引き離されてしまう前に夕さまと雲子さまは想いのたけを伝えあわれます。どんなに願っても、どんなに望んでも、今までのふたり一緒の生活がとりあげられようとしております。 


「いつも想ってる」

「私も想ってる」

 同じような夕暮れの中、結婚の約束を交わしたのはついこの前のことでございました。夕陽がおふたりの頬だけでなく心までも赤く染め、明るい夢と希望がおふたりを包み込みました。


 どうしてこんなことに。鼓動が早まり手が震えます。大切なものが零れ落ちないようにおふたりは必死でお互いの手を包み込もうとなさいます。今までおふたりで温めてきた幸せが手から零れ落ちていくようです。いつまでもそこにあると思っていたおふたりの未来。掴むことも掬うこともできません。


「夕くん、これ私だと思って持っていて」

 雲子さまが小さい紙を取り出されます。

「これ……」

 少し古びた和紙のようでございます。

「覚えてる? 小さい頃結婚ごっこしたでしょう?」

 春の庭で遊んだ淡い思い出。幼い夕さまが作った可愛らしい贈り物。


「あのときのれんげの指輪?」

「うん。押し花にしてしおりにしてたの。夕くんが持ってて」

 大きくなったらけっこんしようね。あの時の約束でございます。


「雲ちゃん」

「夕くんと一緒にいる」

 ずっといっしょにいようね。あの頃おふたりは指切りをなさいました。ついこの前の夕暮れの日にもいつまでも一緒にいようと約束なさいました。その約束が守れなくなる日がくるなんて、しかもこんなにすぐに守れなくなるなんておふたりは思いもしなかったことでしょう。夕陽はあの日と変わらないのに。ご自分たちのお気持ちもあの日となにも変わらないのに。


「じゃあ僕の扇も雲ちゃんが持ってて」

 夕さまが懐から扇を取り出されます。

「これ、おとうさまからいただいた大切なお扇子でしょう?」

 いつかのクリスマスに光る君が夕さまに譲られた扇子でございます。元々は光る君も父帝から贈られたものでございました。

「大切なものだから大切な雲ちゃんが持ってて」

「夕くん……」

 夕さまが雲子さまに扇を握らせます。

「僕もいつだって雲ちゃんと一緒だよ」

「うん」

 雲子さまの頬を涙がつたいます。夕さまは雲子さまの両肩に手を置いて瞳にご自身を映されます。その雲子さまの瞳から涙が溢れます。


「雲ちゃん、大好きだよ」

「私も夕くんが大好き」

 夕さまが雲子さまを抱きしめられます。お互いの温もりを忘れないように。お互いの香りを残すように。お互いの感触を覚えているように。


「逢えなくても想ってる」

「うん。私も想ってる」

 雲子さまの頬を涙がとめどなく流れます。夕さまが指で拭いますが溢れる涙は止まりません。


「雲ちゃん、愛してる」

 夕さまはそう言うとそっと雲子さまに口づけられました。雲子さまはもう涙で言葉が継げません。


「忘れないで」

「覚えていて」

 夕さまのお言葉に雲子さまは必死で頷かれます。

 ぽとりぽとりと涙の雫がおふたりのお心を濡らします。


 出発の準備が整ったようで雲子さまに知らせにくるのでしょうか、数人の足音や衣擦れの音が聞こえてまいります。


「ゆっ、ゆうっ、ゆっ、うぅぅぅ」

 雲子さまの嗚咽に夕さまも涙ぐまれます。


 雲子さまを呼ぶ声が次第に大きくなってきます。夕さまは見つかる前に雲子さまの部屋を出ようとなさいます。

 

「絶対に迎えに行くからね」

 最後にそう言って夕さまはもう一度強く雲子さまを抱きしめられました。

 



 頬を染めた初恋色した太陽が姿を消し、あたりは薄暗くなり、おふたりのお心のような墨の色した夜のこと、雲子さまは住み慣れた三条邸をあとになさいました。


 あたりまえに続くと思われていた夕さまと雲子さまの仲睦まじい生活も、幼いながらもふたりで描いた微笑ましい未来も、その夜の暗さよりも暗い闇の色で塗りつぶされてしまいました。


「大きくなったらけっこんしようね」

「ずっといっしょにいようね」


 何がいけなかったのか。

 おふたりは悲嘆にくれます。

 従姉弟同士が想い合うのはそんなに許されないことなの?

 好きな人と一緒にいたいと願うのはそんなにいけないことなの?

 離れ離れになった空の下で同じ絶望の淵にたたずんでいらっしゃいます。


 夜空には今日も星が瞬いております。

 みやこの空を覆う幾千もの星々。

 連なる星の川の両岸で煌めくふたつの星。

 今日は1年に一度逢瀬が許される天空の恋人たち。


 奇しくも本日は織姫と彦星の伝説の7月7日でございました。



 天上の川にかかるかささぎの橋。

 割れてしまった地上の川の流れ、瀬の早み。




 本日はこれ以上何も申し上げられません。




BGM

小フーガ ト短調 BWV578 バッハ





☆その二 恋絵巻 壁ドンあごクイ ときめいて   fin.


 Next その三 仁義なき 戦い裁き 平安なり?





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