後編
翌日の放課後。美琴は神社に向かう道をトボトボと重い足取りで歩いていた。
昼休みに見た光景が瞼に焼き付いて離れない。
「じゃあ、これ連絡先だから」
図書館へ向かう途中、突然聞こえてきた駆の声に、美琴は反射的に柱の影に逃げ込んだ。人気のない階段に座る駆の横には、見知らぬ女の子が寄り添っている。
サラサラの長い髪に小動物を思わせる大きな目。駆から受け取ったメモを胸に抱きしめ、嬉しくてたまらないといった笑顔で見上げている姿は同性から見てもとても可愛らしいものだった。
「可愛くて素直……そっか、あの子のことだったんだ」
あの様子なら美琴が手助けしなくても駆の恋は叶うのだろう。
鳥居を潜ったはいいが、とてもじゃないけれど人の恋路を手伝う気力が出ない。賽銭箱横の定位置に突っ伏すようにして、五人ほど見送った頃「今日の神様は辛辣なのねえ」と猫が笑った。
恋神解雇の条件は美琴の恋が実ったら。
「このままじゃ、一生神様やるハメになりそう……」
もう帰ろうと立ち上がったまさにその時、向こうから駆けてきたのは今一番会いたくない人物だった。 目の前に来るなり息を切らしながら尋ねてくる。
「神様、吟味はまだ終わらないんですか?」
もうその必要はなさそうだけれど。
「……もう少し待って」
「昨日言われた通りにメッセージを送ってみたんですけど、なんか微妙な反応で……返事もそっけなかったし」
嘘だ。あの子、あんなに嬉しそうにしてたじゃない。
駆は一体どんなメッセージを送ったんだろう。きっと好意をほのめかすような初々しいやり取りをしていたに違いない。
一方で昨夜美琴に来たのは小テストで何が出たか教えてほしいという、色気もへったくれもないもの。妄想ながらその差に悲しくなってくる。
「じゃあ何かプレゼントでもしてみたらどうでしょう」
もうやけっぱちだ。そんな投げ捨てるような言葉にも、駆は目を輝かせて頷いていた。
案の定、駆は例の女の子に贈り物をしたらしい。目の前で繰り広げられる光景に、ジワリと視界が滲んだ。小さな包みを受け取ったその子が頬を赤らめて何かを言っていたが、思わず逃げ出してしまったためその後どうなったかは分からない。
「ごめんね美琴、このお礼は絶対にするから!」
重いため息を仕事を押し付けられる不満と勘違いしたのか、クラスメイトが青ざめる。
「あ、ごめんごめん。違うの、ちょっと考え事してて……気にしないで行っておいで」
目の前にはプリントの山。本来ならばいま何度も謝りながら教室を出ていった彼女の仕事だが、片想い中の人から映画に誘われたらしい。神社に向かう気にならないのも手伝って、代わりにやっておくと申し出てしまったのだった。
橙に染まる一人ぼっちの教室がうら悲しい。パチンパチン、とホッチキスの音が心にかけたボタンを一つずつ外していって、開いたそこから涙が溢れだして止まらなくなった。
もっと素直に話せばよかった。好きだと言えばよかったのに。
と、鞄の中で携帯が震えた。目元を拭いながら取り出すと、ディスプレイにはまさに今想っていた人物の名前が表示されていた。
驚きに落っことしそうになりながら慌てて通話ボタンを押す。
「あ、みこちゃん、今どこにいるの?」
「教室だけど……」
「ごめん、ちょっとそっちに行ってもいいかな?」
うん、と短く答えて会話を終えると、ゴシゴシと目を擦って手鏡を覗いた。瞼が腫れて、鼻の頭が真っ赤になっている。
「ぶっさいく……」
好きな子を語る駆を思い出す。もしあんな笑顔を自分に向けてくれたなら、きっと世界で一番可愛くなれるのに。
「みこちゃん!」
ガラッと音がした方を振り向くと、駆が小さく片手を上げた。こちらに歩いてきて、目の前の席に座る。
「あれ? みこちゃん係違うよね?」
「あ、うん。係の子が用事あるから代わりにやってるの」
「そっか。優しいね」
柔らかく微笑まれて、もう顔を上げられない。俯いた先に駆の赤い糸が見えて、美琴ははっと息を飲んだ――近いうちにあの子と結ばれてしまう糸。今これを掴んで私のものと繋げたら、駆はあんな風に想ってくれるのだろうか。あんな、インチキ神様の助言も素直に聞き入れてしまうほど真っ直ぐで真剣な想いを、私に……
「あれ、どうしたの? なんか目が腫れてる……何かあったの」
つい、と頬に手を添えられる。じんわりとした温かさが伝わった瞬間、思わずその手を思いっきり払い除けてしまった。バチンと響いた音に、はっと駆を見る。大きく見開いた彼の瞳はやがてふっと翳ると、そのまま伏せられてしまった。
「ごめん、みこちゃん……俺……」
「駆、違う、違うの、あのね」
「うん、今日はこれを渡しに来ただけだから」
可愛らしくラッピングされた袋を手に乗せられる。駆はもう一度ごめんね、と言うと背を向けて教室を出て行ってしまった。
呆然と立ち尽くしていた美琴だったが、暫く後我に返ると震える手でリボンを解く。
中から出てきたのは可愛らしいストラップだった。ガラスで出来たカラフルな花が夕陽を取り込んでキラキラと光る。
美琴はその輝きを胸にぎゅっと閉じ込めるように抱きしめると、勢いよく教室のドアを開けて走り出した。
すれ違う赤い糸の群れを真っ直ぐに駆け抜けていく。
好きになってくれなくてもいい。無理やり結んだ赤い糸もいらないから、今のこの気持ちだけ聞いてほしい。
走って走って、一直線に伸びた道の遠くに、歩いて行く背中を見つけた。
「駆ー!」
ピクッとその肩が揺れてこちらを振り返った。
「みこちゃん!」
駆け寄ってくる彼の元に私も走る。ええい、もう言っちゃえ!
「さっきはごめんね! 私、駆の事が好きなの! ほんとはずっと好きだったのー!」
勢い余って正面衝突しそうになりながら、二人向かい合う。
あ、この場所。あの日、恋神様を拾ったところだ。
「……今、なんて」
ぜいぜいと息を切らして、駆が呟くように言う。
「何度も言わせないでよ! 好きだって言ったの!」
「嘘だ……ほんとに?」
魂が抜けたようになっている駆がおかしくて、こんな時なのに笑ってしまった。
「ほんとに! ほんとのほんと! 大好き!」
次の瞬間、強く腕を引かれて、気が付けば駆に抱きしめられていた。
「えっ、ちょっと」
「俺も好きだよ! ずっとずっと好きだったんだ、気付かなかった? 嘘みたいだ、信じられない」
「信じられないのはこっちよ……ほんとに?ほんとに私なの?」
思いがけなさと高揚感でぐちゃぐちゃになった気持ちが涙になって頬を伝う。
二人は長い時間そうやって寄り添っていたが、やがてどちらからとも無くそろりと身体を離す。美琴はふと思い出して聞いてみた。
「でも、あの子は? あの女の子が好きなんだとばっかり思って、私……」
「あの子って?」
「お昼休み一緒にいた、髪の長い……」
ああ、と駆は目を丸くする。あれ見てたの? と。
「同じクラスの安藤さん。うちの部活の先輩のことが好きで、俺が橋渡しになってたんだ」
内緒ねと目を細める駆に、ヘナヘナと座り込みそうになった。じゃああの連絡先のメモも、プレゼントも彼女の嬉しそうな顔もみんな……
「……良かったぁ」
「あれ?もしかして妬いてくれたの? 嬉しいな」
そんなんじゃない! といつものように言い返しかけて慌てて口を噤む。いけないいけない。これからはもっと素直になるんだった。
駆は分かってるよというようにポン、と優しく頭を撫でてくれる。
「あ、荷物教室に置いてきちゃったんだった。プリントもまだ途中だし……」
「じゃ、一緒に戻ろう。作業も二人でやれば早く終わるよ」
そう言って手を差し出してくるから恋愛初心者の神様は困ってしまう。散々オロオロした挙句、えいっと効果音が付きそうな勢いで右手を重ねた美琴に駆は笑いかけると、子供のようにブンブンと繋がれた手を振った。赤面する美琴はされるがままだ。
「こういう所が素直なんだよね、みこちゃんて」
「え?」
「それからとっても可愛い」
「な……」
口をパクパクさせる美琴に、駆はアハハと楽しそうに笑う。
あーあ、これからもこのペースに乗せられていくのかな……ま、いいか。うん。幸せだからいいや。
と、その時、二人の小指から伸びる赤い糸がふわっと浮かんでするすると絡まっていくのが見えた。それらは固い結び目で繋がると、そのまま夕陽に溶けこむようにすうっと消えていく。
遠くで、猫の鳴き声が聞こえた気がした。
恋神様かく語りき 咲川音 @sakikawa_oto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます