恋神様かく語りき

咲川音

前編

 ああ、もう鬱陶しい!


 美琴みことは頬杖をついて教室中をふよふよと漂う赤い糸を睨みつけた。室内を埋め尽くす勢いで張り巡らされているそれは、いくら払い除けても視界に入ってくる。

 手を動かす度に、自分の小指からも伸びている糸がふよんふよんと動くのも、また癪に障った。

 ああ、やっぱりあの時ちょっと情けを見せたのが間違いだったんだ。知らんふりして通り過ぎるべきだった。

 でも、まさか思わないじゃない。猫を助けただけで「神様」に認定されてしまうなんて、そんな馬鹿げたこと……





 か細い声に気がついたのは、昨日の帰り道のことだった。

 あっ、猫の鳴き声だ。そう思うと同時に、ペット禁止のマンション、里親募集の貼り紙、それに伴う手続き諸々……猫を拾い上げた後に起こる面倒が一瞬で頭をよぎり、そのまま歩みを進めようとしたのだが。

 どこか訴えかけるようなその声を放っておけず、美琴は声の主を探した。


「あ」


 鬱蒼と茂る草むらをかき分けた先に「それ」はいた。ダンボールに入り、いかにも私は捨て猫ですよという体でニャーニャー鳴き続けている。

 白い艶やかな毛並みに、くるりと丸い緑の瞳。抱き上げると日差しが金色に差し込んで、まるで神秘的な森をガラス玉に閉じ込めたようだ。


「綺麗な猫……本当に捨て猫なの?」


 にゃん、と腕の中で一つ答えて、スラリとした体を胸元にすり寄せてくる。首輪についた鈴がチリチリと可愛い音をたてた。


「もう……仕方ないなぁ、とりあえず連れて帰るか」


『うん、まあ合格ね』


 近くで声がして、慌ててあたりを見渡した。けれど一本道には誰もいない。鈴を転がすような声が、ころころと笑う。


『どこ見てるのよ。ここよ、ここ』


 瞬間、美琴はギャッと叫んで手に抱いていた猫を思い切り放り投げてしまった。だって……確かに今腕の中から……


『酷い、何も投げなくてもいいじゃない』


 ストン、と足元に着地した猫は理不尽極まりないといった様子で声を上げる。

 恐る恐る下げた目線が緑のそれとぶつかった瞬間、美琴はもう一度キャーッと悲鳴をあげてその場にへたりこんでしまった。


「猫……猫が喋ってる」


『ああ、驚かせちゃった? ごめんなさいね、でもこうしないと人間に近づけないから』


 猫は優雅に毛並みを整えながら喋り続ける。


『いくら代わりって言ったって、それなりの性格の人を選ばないと後々面倒だからねぇ。取り敢えず捨て猫を拾ってくれる人ならまあ心根はそんなに悪くないだろうと思って』


「はあ……」


 話が全く見えない。


『そういう訳であなた、私の代理をして下さらない?』


「代理? ……猫の代理?」


『いやぁだ、猫が喋るわけないでしょ。ほんとにこの子で大丈夫かしら』


 サラリと酷いことを言う。猫のくせに。


『私は神よ。ほら、そこをちょっと登ったところに小さな神社があるでしょう。あそこが私の神社。縁結びが専門よ』


 そこなら知っている。恋が叶う神社として最近学校で噂になっているからだ。


『ここの所どうしちゃったのよ。毎日毎日人間たちがゾロゾロ来ては、やれあの人とくっつけろこの人とくっつけろって。自分で言うのもなんだけど、前はあんなに寂れた神社だったのに』


「はあ……」


『最初調子に乗って縁を結びすぎたのがいけなかったのねぇ。もう次の日になっても疲れがとれなくて』


 年寄りみたいなことを言う。ああ、こんな時になんて冷静なツッコミ。どうやら現在進行形で起こっている異常事態に、脳が考えることを放棄したようだ。


『それでさ、私の疲れが取れるまででいいのよ。あなた、代わりに頼まれてくれない? 恋神こいがみの仕事』


「は」


 恋神?


『大丈夫大丈夫、簡単だから。赤い糸をちょちょっと結ぶだけ。ね、詳しい説明は明日神社でするから、取り敢えず力だけ貸しておくわね』


 そんな、神になるなんてとんでもないことを部活の勧誘のように言わないでほしい。


「ま……待って! 私するなんてまだ一言も……!」


 柔らかい肉球がふに、と額に押し付けられる。その瞬間、パチンと白い光が弾けて、次に目を開けた時には恋神様とやらは目の前から消え失せていた。





 で、次の日にはコレである。


「何なのアレ! どこ見ても変な糸ばっかりで邪魔くさいったら!」


 美琴は通学路から少し外れた例の神社に駆け込むなりそう訴えた。

 諸悪の根源は昨日の猫の姿のまま、呑気に賽銭箱の上に寝そべっている。


『変な糸ってねぇ……あなた聞いたことない? 運命の赤い糸ってやつ。あれがそうなのよ』


「へえ……赤い糸ってほんとにあったんだ……」


『そうよ。運命の相手、尚且つ互いに気持ちが向いた時に初めて結ばれるの。普通は運命だからどうしようもないんだけど、唯一好きに操れるのが私達』


 そして恋神代理のあなた、と長い尻尾がこちらを指す。


『因みにね、今のあなた、他の人から見えてないわよ』


「えっ?」


 思わずペタペタと自分の身体を触る。


『さっき鳥居を通って来たでしょ? あれを潜ると、所謂透明人間になるの。参拝客に姿を見せる神様なんていないでしょ』


 そう言うとスクッと立ち上がって、神様は説明を始めた。


『ここでのあなたの仕事は一つ。参拝客から伸びる赤い糸にその手で触れてあげること。そうすればその人は望んだ相手と縁を結ぶことができる。勿論、叶えてあげるかどうかはあなた次第よ。気に入らないと思ったら、帰るまで無視してなさい』


「いや……いやいやいや、ちょっと待って!そうじゃなくて、私は断りに来たんだってば!」


『それこそ運命だと思って諦めなさいな。別に永遠にやれと言ってるわけでもなし』


 大口を開けて欠伸をする猫に、ますますイライラが募る。


「あんなのただの待ち伏せでしょうが! 大体それならいつまで神様やればいいの?」


『昨日言ったでしょ。私の疲れが取れるまで』


「そんなこと言って、ズルズルと引き延ばすの目に見えてるじゃない! ちゃんと明確な期限を決めて!」


 あれ、勢いで言っちゃったけど、なんでやる前提で話が進んでるんだろう。


『期限? ふーん、そうねぇ……じゃあ、あなたの恋が実ったら』


「は?」


『あなた、恋してるんでしょ? あーダメダメ、神様の目は誤魔化せないわよ』


 思いもよらない言葉に、頬がカッと熱くなる。


「なっ……私恋なんて……! それに私自身が恋神様になっちゃったら、叶えるも何も無いじゃない!」


 大きな目が、楽しそうにキュッと細まって美琴を見つめる。


『恋神様にできる事はもう一つ。目の前に糸が複数あれば、切るも結ぶも自由自在。どんなに仲のいい恋人達でも立ちどころにその気持ちが消え失せれば、どんなに犬猿の仲でも心から愛し合うようになる。三人同時に結んだら、そうねぇ、永遠に終わらない三角関係かな。ね、面白いでしょ。あなたの恋の実現にも大いに役立つ能力だと思うんだけど』 


 そんな、人の一生を全く変えてしまうようなことを、簡単に。どこかゾッとする思いに美琴は手を握りしめた。

 面白いと笑うこの猫を恐ろしいと思った。仕事を投げ出してぐうたらしていても、やはり神は神なのだ。


「ほら、早速来たわよ。初仕事宜しくね、恋神様」


 ポン、と尻尾で背中を叩かれ、美琴は溜息をつきながらお賽銭を投げ入れる女性の前に立った。





 そうと認めたくない気持ちはさておき、あの猫が言った通り、美琴はいま恋をしている。


「みこちゃん、リーディングの教科書貸して!」


 相手はコイツ、隣のクラスの里中さとなかかける。中学からの付き合いで、何故か高校まで同じになってしまった腐れ縁……嘘、同じ高校に通いたくて去年必死に勉強した。


「もう、また忘れたわけ? 毎日何かしら貸してない? あとみこちゃんって呼ぶのはやめて」


「ええー、俺とみこちゃんの仲じゃん」


「な……ば、馬鹿なこと言ってないで早く自分の教室に帰りなさいよ」


 かあっと顔に血が集まるのが分かる。それを隠すように教科書を押し付けながら、ちらりと駆の小指を盗み見た。……良かった、まだ誰とも結ばってない。


「ところでみこちゃん、縁結び神社って知ってる? ほら、ここの近くにあるやつ」


「……まあ、噂でちらっと」


 噂どころか、今の美琴はそこの神様だ。


「前にさぁ、タカシが椎名先輩に片想いしてるって話したじゃん。なんとアイツ、あの神社にお参りした後先輩に告られたんだよ。それまで全然話したことなかったのにさ。しかも先輩、あんなカッコイイ彼氏振ってまで」


 元彼さん可哀想に。あの猫の気まぐれの餌食になったのね。

 心からの同情を寄せていると、


「ねえ、一緒に行ってみようよ」


 眩しい笑顔でそんな恐ろしいことを言うから、美琴はぶんぶんと首を振った。


「い、行かない行かない! 全然興味無いし!」


 なにせ鳥居をくぐった瞬間姿が消えてしまうのだ。不思議どころの騒ぎではない。


「みこちゃん好きな奴いないの?」


「い、いない!」


「……そっか、いないのか」


 駆は一人うんうんと頷いている。


「駆は……? なんか随分興味あるみたいだけど」


 心臓が早鐘を打つ。なるべく自然に聞いたつもりだったのに、声が上ずってしまった。


「んー、気になる?」


 いたずらっぽい目でふいとのぞき込まれて一瞬息が止まる。


「全然! あんたが誰とくっつこうがこれっぽっちも興味無いし!」


 ああ……またやってしまった。心の中ではこんなに好きだと叫んでいるのに、喉というフィルターを通すと正反対の言葉ばかり出てきてしまう。こんな調子じゃあの赤い糸が別の誰かと繋がってしまうのも、時間の問題かもしれない。





 慣れとは恐ろしいもので、数日もするとこの異常な状況を楽しむ余裕すら出てきてしまった。

 クラス公認のラブラブカップルの赤い糸がそれぞれ別の方向に伸びていたり、思いもよらない二人の糸が結ばっていたり。

 自分の小指を見やると、美琴から伸びた赤い糸は、途中から空気に溶け込むように消えてしまってその先が見えないでいた。

 駆も含めクラスメイトの殆どがこのタイプだが、かの猫曰くこれは想い人に気持ちが届いていないか、まだ運命の相手に出会っていないか、一生独身かのどれからしい。


「独身だったら嫌だな……」


 放課後、社の前の階段に座ってぼやく。


「嫌ならさっさとその想い人の糸と結んじゃえばいいのよ」


 答える猫は残暑にやられたのか、日陰にぐでっと伸びている。


「いや、流石にそれは人として……というか、あなたがそんな事を言うから私は毎日好奇心と闘っているわけですよ」


 教室に行き交う糸を見る度に、これを適当に結んだら本当に結婚しちゃうのかしら、と何度手を伸ばしそうになったことか。


「折角だからやってみればいいのに。神様なんだから」


「代理なだけで人間です。それに私が運命を変えたせいで本当に出会うべき人に出会えなかったら、責任の取りようがないもの」


 はあ、とため息をついて顔を上げた美琴は、その瞬間驚きに目を見開いた。

 鳥居を潜ってこちらに歩いてくる人影は……


「駆……」


 駆はびっくりして動けないでいる美琴の前に立つと、お賽銭を投げ入れてガランガランと勢いよく鐘を鳴らす。

 それからパンッと手を鳴らして「あれ、神社は叩くんだっけ……」と独り言。そして目を閉じるとぶつぶつと何かを言い始めた。

 モゴモゴと動く口に耳を近づける。よく聞き取れなかったが、「付き合えますように」という言葉だけ耳に飛び込んできて、思わず呆然と立ち尽くしたまま、


「やっぱり好きな人いたんだ……」


 ぽつりとこぼしてしまった。


「えっ?」


 必死に祈っていた駆が弾かれた様に顔を上げる。美琴は一歩後ずさると、慌てて猫の方を振り返った。


「あ、姿が見えないだけで声は聞こえるのよね」


 大丈夫、ちょっと変えてあるから、とウインクが飛んでくる。


「……気のせいか」


 周りを見回すのをやめて、駆はこちらに背を向けた。


「あっ、待って……!」


 思わず呼び止めてしまって、美琴はしまったと口を押さえた。声をかけてどうするというのか。けれどこの機会を逃したら、二度と聞けなくなってしまう。


「誰?」


「わ……私はこの神社の神です」


 まさか神ですなんて自己紹介をする日が来ようとは。

 言われた駆はぽかんと口をあけて固まっている。そりゃそうだ。


「神って……え、あの神様?」


「そう、恋神と呼ばれているあの……神です」


 およそ神らしくないたどたどしい口調でも彼を信じさせるには十分だったようで、


「ええと、神様が来てくれたってことは、俺……いや、僕の願いを叶えて下さるって事ですか?」


 恐る恐る聞いてきた。純粋って怖い。

 縁を結ぶのは簡単な事だ。駆の糸にこの手で触れてあげればいい。けれど……


「あの、相手はどういう人……なんですか」


 何を聞いてるんだろう。咄嗟に出てきた言葉に自分で驚く。


「どういう人……そうだなあ、可愛くて優しくて、素直で、真面目なんだけどたまに空回るところがあって、そこがほっとけないというか……まあそんな子です」


 その相手を思い浮かべているのだろうか、甘く溶けるような表情でそう語る駆に目の前が真っ暗になった。

 可愛くて優しくて素直なんて、自分と全く正反対じゃないか。駆が恋しているのは誰なんだろう。少なくとも自分ではないという事実に、わかってはいながらもショックを隠せない。相手の名前を聞く気にもなれず、ただ一言


「そう……」


 と項垂れるしかなかった。


「……え? おしまい?」


 そのまま黙りこんでしまった美琴に、拍子抜けした顔で駆が問う。


「いえ、えっと……もう少し吟味する必要がありまして」


「吟味って?」


「その彼女が、あなたの運命の相手かどうか」


 だってこれが駆の片想いで、その人は別に好きな人がいたら可哀想だもの。そう言い聞かせるけれど、結局のところただの悪あがきだ。


「それでもし運命じゃなかったら?」


「その時は残念ですが」


「そうか……」


 まさに絶望といった表情で俯いてしまう。その様があんまり痛ましくて、後ろめたさから思わずこんなことを言ってしまった。


「でもアドバイスくらいならできますので……」


「本当に?」


 何が悲しくて好きな人の恋愛相談なんか受けなくてはいけないのだろう。


「もうちょっと積極的に行動すればいいんじゃないでしょうか。頻繁に連絡を取るとか」


 しかも経験値が低いあまり雑誌の占いコーナーみたいな事しか言えない。


 それでも駆はその答えに満足したのか、嬉しそうにお礼を言って走って行ってしまった。

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