第8話 精霊使いと軌道猟兵
全身に稲妻をまとい
闇に包まれた広大な空間に、ゲルダ・ノーマンズフィールドはすでに上下の感覚を失っている。前面モニタに表示された三次元計器は、狂ったように回り続け、確かなのは速度の数値だけだ。
《運ばれているな――強力な重力偏向だ。トンネルの真ん中をどうぞお通りくださいって、わけだ》
雷精霊の軽口に、ゲルダは神妙にうなずく。言葉の軽さに反して、どこか疑念の残る響きがあった。いい傾向ではないのだろう。だが何者かの意図が働いているにしろ、このまま従うしかない状況だ。
遠くに、明かりが見えた。
「雷精霊!」
ゲルダの叫びに応じて雷精霊が光に向かって加速する。速度計の数字が大きくなり、周囲はまだ闇に包まれていて、だが、小さな光は徐々に大きくなり、――一瞬後、視界がホワイトアウトする。
朝日の、やわらかな光に目が慣れてくると、足元には街が広がっていた。灰色の建造物を緑が飲み込もうとしている街だった。
風が、躯体を揺らす。はるか高空に太陽を模したやわらかな照明。ふきつける湿度の高い風が大気の循環を教えてくれる。高度な重力制御が働いているのか、雷精霊はゆるやかに地表に向かって降下していた。
《おいおい、まさかオニール・シリンダーだっていうのかよ?》
雷精霊がぼやく。
なにそれ、というゲルダの疑念を受け、モニタにすぐさま注釈が流れ出す。
眼下に広がった街は、ほんとうに人が住むことができる――しかし、ゲルダは不審に思う。直線に区画整理された灰色の街並みは、自由に繁茂する木々に侵食されていて、どうしても人の気配を感じられなかった。遺跡、だった。かつて東にあって砂漠に、つまり大砂蟲に飲まれたという街はここのことなのではないか――。
《いや、まさか、これは――》
地表が徐々に近づくにつれ雷精霊の動揺が大きくなる。
《 これはVRだ。ここは、知っている街だ》
同期適応――雷精霊の思考が流れ込んでくる。
《そうだ、ここは俺のよく知っている街だ。なぜだ、そのままなのか? あの山肌に沿って造成された戸建ての高級住宅街と、平野に密集している船員たちの巨大集合住宅群。ああ、山の上の緑地公園と
ふわりと雷精霊が街路に着地する。木々がつくる濃い影のなか、雷精霊は周囲を索敵している。ただ大砂蟲の腹の中ということもあってうまくいかないようだ。
「ここを知っているっていうことはさ」
《そうだ、
「そこまで行けば、止められる?」
《おそらく、な》
のしのしと雷精霊は歩き出す。砕けたアスファルトの隙間からは雑草が生え茂り、住宅の壁は蔓草が覆っている。人の気配はなかった。
ただ――そこかしこに人の腕や足、身体が転がっている。細い、女性の身体に見える。
だが、よく見れば切断面は人体のものではない。よくわからない配線がむき出しになっている。どうやらちらばっているのは、人のかたちを模した
その時だった。がしゃがしゃ、がしゃがしゃと聞き慣れない音が周囲から近づいてくる。
草に覆われた壁の向こうから場違いに、ま白いスーツ姿の女性が現れた。友好的な微笑みをうかべ、手を振りながらこちらに向かって歩いてくる。
「雷精霊、人がいるよ」
《ほんとうにそう思うか?》
「思わない、かな」
なぜなら雷精霊は友好的に声をかけるにはかなり凶悪な見た目をしているからだ。そんな雷精霊を出会い頭に自分の
ガン、という軽い衝撃がまず響き、続いて雨滴が屋根打つ衝撃に雷精霊の躯体が次々に叩かれる。
どこに隠れていたのか、聞き慣れない音を響かせて
違う。おそらく正面の躯体がこいつらを操ってて――。
《だな。まずい》
ひときわ強い衝撃が雷精霊を襲う――機械人形の自爆。
《逃げ――》
雷精霊の思考が伝わるまえに連鎖的に自爆が続く。
《少し――揺れ――》
「なに――」
次の瞬間、ゲルダは空にあった。機械人形たちを振り落とす、脚力にまかせた雷精霊の大跳躍。凄まじい高Gがかかって、ゲルダの視界は一瞬でブラックアウトする。
失神から目覚める。
ゲルダは街路に転がっていた。雷精霊に放り出されたのか。上半身を起こすと、むわっとした空気に身体が包まれる。一瞬で体感温度が上がった。くしゃみがでそうだ。暑いわけではないけれど、繁茂した木々のせいか空気が濃い。乾燥した
がしゃんがしゃん、とひっきりなしに破砕音が響いている。
まだぼんやりした視界でゲルダは音の出所を探す。
雷精霊が、数多の機械人形を相手取って暴れまわっていた。――いや、一方的な虐殺だった。躯体の強度が根本的に違うのか、雷精霊が腕をふるうと、機械人形が枯れ木のように粉砕される。雷精霊が光をまとって突進すると、次々と機械人形が宙を舞う。計ったように街路の端には、機械人形の残骸が山積みになっていく。
ゲルダはふらつく足取りで、雷精霊を追いかける。
遠くから雷精霊の
残骸の影から、無傷だった機械人形が這い出してくる。
目が合う。
「ヒトだ! ヒトが来た!」
機械人形が叫び出す。呼応するように地鳴りが響き出す。がしゃんがしゃん、と砕けた機械人形たちが動き出し、列をなしゲルダを追いかけてくる。
雷精霊が行ってしまった前方からも、がしゃんがしゃんと音が響いてくる。ゲルダを中心に機械人形が集まりつつあるのだ。
「ヒトだ! ヒトが来た! ついに来たぞ!」
機械人形たちの唱和はどんどん大きくなっており、すでに耳を聾する轟音になっている。何かが始まろうとしている――ぼんやりした頭がはっきりするには充分な音量。耳を押さえて、残骸の街路を雷精霊を追いかけゲルダは走り出す。
角を曲がった瞬間、ピタリと音がやんだ。
雷精霊の背中と、その向こうに一体の機械人形がいるのが見えた。
「雷精霊?」
《マスターに、用があるとさ》
そう言って雷精霊はあごをしゃくってみせる。いままで見たことのなかった、雷精霊の人間じみた仕草に、ゲルダは思う。やはりいままでは演技で、いまの姿が本来の彼なのだ。
「ヒトの子よ、こちらに来ていただけますか?」
とてもなめらかな呼びかけだった。まるで人間と変わらない。
しかし一方で違和感も拭えなかった。彼女たち機械人形はどれもこれも寸分変わらない顔をしていた。彼女たちを見ていると、どうしてか鼻の奥がつーんと痛み、涙が出そうになる。モデルでもいるのだろうかどこかで見たことがあるような、でも決して思い出すことができない――そんな印象を受ける彼女たちは、相変わらず柔和な笑みを浮かべ続けている。あれだけの殺戮を行った雷精霊を前にしていても――。
正面の機械人形が欠けた腕をかかげて、ゲルダを誘った。さきに立ち、歩き出す。
雷精霊を見上げる。雷精霊は肩をすくめてみせる。
ゲルダはうなずき、機械人形についていくことにした。
街のいたるところで。機械人形同士の戦闘が行われている。
相手を壊すことよりも、触れあうことが目的のように見える戦い方――ゲルダには機械人形同士の愛撫に見えて、思わず目を背けてしまう。ただただお互いを破壊するという、決して埋まることのない空隙を埋めるための、物寂しさすら感じる行為だった。
ゲルダたちがそばを通ると行為をやめ、「ヒトだ! ヒトが来た!」とその事実がいかに重要であるのか喧伝するのだった。
坂道を登りきると、視界がひらける。山の上の緑地公園――ここが街の、宇宙コロニーの中心だ。ゲルダはそう直感する。公園の中央には苔むした
「ヒトの子よ、ようこそ、我らの
祈りの尖塔のふもとに、機械人形がいた。白いスーツに柔和な笑み。いままで見てきた機械人形と寸分違わない存在だ。
「ヒトの子よ、よく来てくださいました。これにより我々は空へ発つことができます」
ゆっくりと近づいてくる。透明度の高い
「ヒトの子よ、あなたはこれから、この
「ヒトの子よ、我々はあなたを待っていました」
「ヒトの子よ、人類の繁栄のため、新天地を目指しましょう」
「ヒトの子よ、あなたには船員の資格が必要となります。移植手術を受けていただく必要があるのです。ナノマシンを制御するための人工器官を備えていることが、一人前の船員には必要なんですよ」
すっと、雷精霊が前に出る。ゲルダを窺うように、言った。
《どうするよ、マスター。あんた、
「ヒトの子よ、我々は地球を離れ、新たな系外惑星を目指します。それが人類の発展なのです。ぜひ、ご同行くださいませ。我々だけでは意味がありません。人類がいなければ発展のしようも、ないではありませんか――」
「どうするもなにも、私は――」
「ヒトの子よ、なにもいますぐに、決断する必要はありません。それまで我々は出立の準備を継続します。必要な物資を地表から採取するには、まだまだ時間がかかりますから」
そう、機械人形は柔和に告げる。
「え――」
ゲルダは言葉の意味を掴みそこねる。
《大砂蟲がすぐに止まることはないってことだな》
雷精霊が解説する。つまり、機械人形たちは宇宙に発つために、地表の資源を根こそぎにしようとしているのだ。
「じゃあ私が手術を受けて精霊使いになって――つまり船員になって、もう物資はいらないって言えば止まるんじゃ?」
《どうかな》と雷精霊は肩をすくめる。《訊いてみたらいい》
「ヒトの子よ、それは叶いません」
即座に否定される。
「まだまだ足りないのです。多くの人が新天地にあって安心して暮らしていくためには、物資に余裕があればあるほどよいのですよ」
《ほらな。こいつはとっくの昔におかしくなってるんだよ》
ゲルダは機械人形を見つめる。
柔和な笑みを浮かべ続けている機械人形に、ゲルダは哀しみすら覚える。機械人形の唱和が耳に蘇る。
胸が苦しい。だってそうじゃないか。私達は――機械人形たちが連れて行くはずの人類は、すでにこの地表を生き抜いているというのに。そのことに彼女たちだけが気がついていない。
「どうしても、止まってもらえませんか?」
ゲルダは、訊いた。
《ヒトの子よ、それは叶いません》
その時、ゲルダは気がついた。機械人形が誰に似ているのかを――。
「雷精霊」
《あいよ》
ゲルダは雷精霊に乗り込む。
「止めるよ。私が止めるんだ」
《精霊使いは、いいのかよ》
雷精霊がまぜっ返す。
ゲルダは狭いコックピットのなかで肩をすくめてみせる。
「そんなことより、やるべきことができたんだ」
ゲルダは強く思う。
「だからさ、私に力を貸してよ、雷精霊」
ゲルダは願う。そうすれば伝わることがわかっているから。機械人形たちを役目から解放することを、大砂蟲を止めることを。
《いくぜ、制御コンソールは目の前だ》
「ヒトの子よ、敵対されるのですか、それとも、その
雷精霊が突進する。
大量に湧き出てきた機械人形たちが行く手を阻む。その真っ只中へと、雷精霊は突っ込んでいく。撥ね、弾き飛ばし、突き進む。機械人形たちの残骸がそこかしこに積み上がっていく。それでも――機械人形たちの物量は圧倒的だった。どんなに破壊しても、次々に現れる機械人形に、ついに雷精霊が足を取られる。そこからは一瞬で機械人形に覆い尽くされてしまう。
白い機械人形の塊から閃光が走り、雷精霊が飛び出す。
そして、――膝を抱えて丸まったゲルダが雷精霊から射出される。今度は、ゲルダも了解している。
停止信号を打ち終わる。
次の瞬間、仲間がいくら破壊されようとも問題ないと言わんばかりに、緑地公園へ集結しつつあった機械人形たちにさざなみのように動揺が走る。雷精霊が抑え込んでいた機械人形たちも、目的を忘れたようにその場に立ち尽くしていた。
だが、――それも一瞬のことだった。
機械人形たちの猛攻が、再開する。
「なんで!? ちゃんと停止信号を打ち込んだのに!」
《まいったな、パワーが足りないか》と雷精霊が言った。《こいつは、でかくなりすぎたんだ。このままだと俺たちは――》
この街の住人にされてしまう。いや、ゲルダはともかく雷精霊は破壊されてしまうに違いなかった。このまま無補給で闘い続けることはできない。いずれ限界が来る。しかし大砂蟲の中にいる限り機械人形たちに補給の概念はない。ほとんど無尽蔵に湧き出してくるだろう。一旦脱出すれば、再度大砂蟲の中に突入する方法はない。この機会を逃すと大砂蟲を止めることはできない――。
「ああ、どうしよう。あ、でもとにかく外のふたりには伝えないと! ここから逃げてもらわなきゃ。ああでもどうやって伝えれば!?」
ここは大砂蟲の肚のなかだ。ゲルダと雷精霊間の近距離通信であれば可能だったが、大砂蟲の外殻が障害となって外までには届かなかった。
《伝える……そうか。方法があるぞ、マスター》
「ほんとに!? じゃあすぐに――」
ずくん、と雷精霊が震える。機械人形による攻撃とは違った、雷精霊の躯体内部から来る震えだった。
《ただこいつは、大砂蟲を止める方法だけどな》
一歩一歩、ゆっくりとした足取りで雷精霊が制御コンソールに近づいてくる。そのあいだも機械人形の猛攻をいなし、受け止め、ゲルダを守っている。
「どういうこと?」
《少し待て》
一度、強い放電があって、周囲の機械人形たちが次々に吹き飛ぶ。
《おれの名前はウルフ・イェーガーだ》
雷精霊がゲルダの頭に右手を当て、左手は制御コンソールに突き刺す。
「ちょっと、なにそれ」
《名前だよ。人としての名前》
「なんでいまごろ――」
ゲルダが雷精霊の手のすきまから見上げると、雷精霊の黒い躯体に這うように光が走り始める――ノーマンズフィールドの伝統衣装のような光の刺繍が、雷精霊の躯体を覆っていく。
ゲルダは気がつく。
「あなた、まさか」
《なかなかおもしろい冒険だったぜ、マスター》
ぱり、と軽い衝撃が走って、ゲルダは燐光に包まれる。
それとは比べ物にならない光が、雷精霊の躯体から迸る。
雷精霊は、より強力に停止信号を送信するため、自らの躯体をエネルギーに変換するつもりなのだ。ナノマシンによる躯体の
《
雷精霊の強い叫びを皮切りに、視界が白く染まる。
ゲルダが最後に見たのは、一条の閃光が大砂蟲の肚を突き破り、空高く昇っていく光景だった。
視界が戻ると、ゲルダはゆっくりと砂漠に向かって落下していた。
慌てて、空を見上げると、雲を裂き、光の柱が天高く昇っていく。
行ってしまった、とゲルダは思う。
砕けた大砂蟲は砂の塊となり、ばらばらと地表に向かって落下している。地面に突き刺さった先から砂に、沙漠に還っていく。
ゲルダは雷精霊の置き土産である防御フィールドに守られている。きっとこのままでも無事に着地できる、という確信があった。でも、ゲルダは安全そうな残骸を見極めながら飛び移っていく。
ゲルダは再度、空を見上げる。
砂丘の向こうから朝日が差し込み、光の柱によって空気が焼けたのか、空は刻一刻と色を変えていった。
薔薇色の空――きっと忘れないだろう、とゲルダは強く思った。
通信機がノイズを伝える。
「ゲルダ? ゲルダなの? 聞こえてる?」
「おーい、こっちこっち!」
ベルとリコルが、馬から降りてこちらに向かって駆け寄ってくる。
ゲルダは一際強く砂岩を蹴ると、ふたりに向かって飛び込んだ。
流れる星のように、薔薇色の涙が頬を伝って沙漠に落ちた。
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