第5話 大砂蟲

 ベルが水精霊アクアをまとって現れた。どう見ても戦闘態勢だ。

 どうしてこんなことになってしまったのか――ゲルダ・ノーマンズフィールドはやり場のない怒りから地面を強く踏みつける。小石が跳ね、雷精霊トニトルスの足元に転がっていく。

 いつごろからかゲルダは地団駄を踏むようになった。祖母にきつく叱られたり、精霊の召喚がうまくいかなかったり――よくは覚えていないけれどたぶんきっと、両親が死んでからだ。ゲルダはそう思っている。

 両親は精霊にかどわかされた。そう聞いていた。守護精霊エレメンタルとの契約を失った大人にはよくあることだと、幼いゲルダは村の大人から聞かされた。

 ただ祖母が言うことは違った。慣れた行商の帰り道に、断崖から落ちてしまった。そう聞かされた。どんなに馬の扱いに長けていても、落ちるときは落ちるのだ、と祖母は言っていた。精霊は決して人をかどわかしたりしない、そんな存在ではない、とも言っていた。

 そんなことばかり言って、悲しい素振りを見せなかった祖母を、ゲルダは強く詰った。そのことでまた祖母にきつく叱られたものだった。

 でもそれは――いまにして思えば、祖母の優しさだったのだ、とゲルダは理解している。悲しいわけがないのだ。単にそれを子どものゲルダに見せることがなかっただけで。

 強い人なのだなと、ゲルダは思う。自分とは大違いだ。年の功なのかもしれない。ゲルダは感情が高ぶると我慢できずに地団駄を踏んでしまう。いまもそうだ。

「そんなことしたって、誰も気にしないから」

 ベルが水精霊をまとって近づいてくる。華やかな伝統衣装。宙に浮き、千変万化し続ける涙滴型の水精霊すら意匠の一部としてしまう、お祭りのための美しい刺繍。ベルが手ずから編んだ花嫁衣装だ。

 衣装に弾ける陽光に目をほそめていると、音もなく、雷精霊がゲルダの前に立つ。ベルを威圧するようにも、ゲルダを守るようにも見える。

 雷精霊を押しのけ、ベルに向かい合う。

「違う、私はリコルとただ将棋ラトゥルンを指してただけで――」

「言い訳なんて見苦しいわ、ゲルダ。どう見たってあなたがリコルを襲ってたじゃないの」

 それは違う、と言い募ったところでベルは聞く耳を持たないだろう。彼女はかなり頑固だ。自分の考えに忠実で安易に他人の意見を受け入れたりはしない。

 だからこそベルの精霊使いエレメンタラーの能力は高い――守護精霊は基本的に定まったかたちを得るよう、精霊使いが誘導する。たとえばリコルであれば蜥蜴や蛇を具象のもとに選び、火精霊イグニスをかたちにしている。具象に落とし込むことで、力の奔流でしかない精霊を制御可能なものとするのだ。

 精霊使いは精霊を召喚し契約する。つまり具象になぞらえ名を与え、実体化させることで、ようやく扱うことができるようになるのだ。

 しかしベルは違った。彼女は水精霊を無形――すなわちかたちなきものとして扱うことができる。彼女にとって精霊とはかたちのないもの、見えないもの、そう認識しているのだ。それでいて守護精霊としてかたちを失うことなく実体化させ続けることができる。ベルは具象に依らない精霊の制御が可能だった。彼女の意志の強さに由来する、目に見えないものを信じられる力だ――。

 力をうまく制御できずに精霊を召喚できなかった、目先のことでだけで将来の具体的なイメージもなかったゲルダにとって、ベルはまぶしい存在だった。

 そんなベルが一歩一歩近づいてくる。そのたびに、肌に感じる冷気が強くなる。彼女の感情の高ぶりに呼応して、水精霊が周囲の空気を凍りつかせていくのだ。

「私はベルと戦いたくない!」

「どの口が言うの!」

「聞いて! 私はこの儀式をおりるから!」

「え、本気なのか、ゲルダ?」と座り込んだままのリコルが怪訝そうに言った。「ぼくに勝ったのに?」

「やっぱり!」とベルが叫ぶ。

「だから将棋でしょ!」とゲルダも叫ぶ。

 ふいに雷精霊がゲルダの肩を叩く。

「なに? いまふたりと話してんだけど」

 思ったより強い口調になってしまってゲルダは、自分が雷精霊に甘えていることに気がつく。

 不意にめまいに襲われる――いや、これは地震だ。震源が遠くにある、ゆったりとした気持ちの悪い横揺れ。

《見敵》

 赤い単眼がまたたき、雷精霊が遠くを指差す。

 ゲルダはベルの背後、尾根の向こう側――もうすぐで山頂なのだ――を見て、砂色の塔が忽然とそびえていることに気がつく。

 塔? なんで王都でしか見られない塔がこんなところに?

 スケール感のおかしさに、ゲルダはすぐに気がつけない。

 いま自分たちが立っているのは山の頂上付近だ。塔の先端は、ゲルダたちが立っている地点と同じ高さがあった。塔の太さもおかしかった。

 無意識にゲルダは距離を測るときの方法で伸ばした親指と比較する。ぜんぜん足りない。――雷精霊の腕と同じぐらいか。

 山脈と同じ高さの塔、その頭がこちらを向いた。

 砂色の頭頂部には、暗い穴がぽっかりと口を開けている。

 暗い穴の奥から、砂が吹き出してきた。

 砂が鉄砲水の勢いでゲルダたちに襲いかかる。

「くっ――!」

 ベルが水精霊を展開――十重二十重に広がった水と氷からなる壁が、砂の濁流からゲルダたちを守る。

大砂蟲おおすなむし? なんでこんなところに!」

 リコルが言った。同時に火精霊が実体化し、空に飛び上がる。

「火精霊で注意を引くから、撤退しよう!」

「こっち!」

 火精霊のおかげで、砂の勢いが弱まった隙をつき、ゲルダを先頭に三人は駆けだす。

 その先にはさっきゲルダが身を隠した大きな岩がある。

 ゲルダとリコルとベルの三人は、岩陰に身を寄せ合う。

 さっきまで敵対していたのにいまはこんなに近くにふたりの顔があって、その瞬間、ゲルダは日常に戻ったような気がして、吹き出してしまう。

「なに笑ってるのよ」

 ベルが不機嫌そうに言った。でもそれは笑いをこらえた言い方だった。

「ここは休戦。休戦ね!」とゲルダは笑いながら言った。

「ぼくに勝ったのに、いいの?」とリコルがまぜっ返す。

「あんな大きいの、ひとりじゃどうしようもないよ、ベルもそう思うでしょ?」

 ゲルダはベルをうかがう。ベルならきっとわかってくれると期待を込めて。

「そうね、まずはあの大砂蟲をどうにかしないと」とベルはうなずく。

 大砂蟲――数十年に一度、大きな地鳴りとともに砂漠の底から目覚め、あらゆるものを喰いつくし消化して排泄する。そうやって自らの版図たる沙漠を拡げていく。その狂乱はきっかりと十日に及び、基本的には過ぎ去るのを待つしかない。暴風雨と変わらなかった。だからこそ村に近づかせるわけにはいかなかった。人の足では村まで時間がかかるが、大砂蟲の巨体ならば数瞬だ。

「でもどうしよう、わたしたちでなんとかなるかな?」

 ゲルダは思わず弱音を吐いてしまう。きっとリコルやベルと普段どおりに会話できる安心感からだ。

「大丈夫さ、きっとなんとかなる。ね、ベル?」

 人にとって大砂蟲は暴風雨に等しい。だが、ただひとつ、暴風雨と違う点がある。

「そうね、精霊使いが三人もいれば――」

 それは、精霊使いとその守護精霊による誘導が可能なことだ。地上最大の野良精霊――大砂蟲は、精霊の一種と考えられていた。そして中央平原テールスに住む人々は、人の手に負えない出来事を精霊のせいにしがちだった。

 さっきまで大砂蟲の様子をうかがっていた雷精霊がゲルダに近づき、何かをさしだした。黒い小さな、つや消しの石。よく見れば雷精霊の躯体と同じ材質のようだった。

 雷精霊が太い指で自分の頭部を指差す。ゲルダにとって耳の位置だ。ゲルダは訝しく思いながらも素直に、石を耳にはめる。

《あー、テステス》

 耳の中に声が聞こえる。

《本当はルール違反なんだけどな。いや、現地人と接触していいんだけど、こういう風に話すのはなんか自分ルール的に、違反っていうか》

「雷精霊、あなたなの?」

 赤い単眼がおどけたようにまたたく。

《おう、そうさ、マスター。まさか惑星開拓者テールスファーマーが出てくるとは思わなかったからな。空気がブチ壊しだけど、まぁ仕方ねぇ。ここは協力しどきってやつさ、なあ?》

 ゲルダは雷精霊の、思ったより軽い口調に驚く。そんなゲルダを尻目に雷精霊は話を進めていく。

《ここから走査スキャンした感じだと、どうやら最初に設定した開拓サイクルをいまでもずっと守ってて自壊システムが機能してねぇってとこだな。なんで、そいつを見つけ出して起動キックしてやれば止まるだろ。すると大砂蟲は二度と現れることなく、永遠の眠りにつきましたってやつだ》

「わたしは何をすればいいの?」

 雷精霊の単眼が、妖しく輝く。

《話が早くて助かるぜ、精霊使いマイ・マスター。じゃあ訊こうか、精霊になる勇気はあるか?》

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