第6話 降下攻撃


 きっとこういうことだ、と雷精霊トニトルスがとめどなくしゃべり続ける。

翻訳エンジンヴィルヌーヴによると、あんたたちの言葉はインド・ヨーロッパ語族、それもかなり古い言語だ。おそらく俺らよりも数世紀前に出発した播種船のひとつだろうな。そう、つまりお仲間ってことだ。――こっちには正確な記録は残っていないが、あんたたちのご先祖さまはどうやら、出発前か航海中かここに着いてかはわからないが、ナノマシン操作のための生体機械を内臓器官として植えつけたんだろう。肉体に、な。昔はまだフレッシュな肉体を残す方向で船に乗ってたらしいから出発前かもな。移動中の過酷な環境に耐えるために、人体をも改変して宇宙に適応しようとしたわけだ。それでこの星系に辿り着いたあんたたちのご先祖さまは、ハビタブルゾーンにあったこの星を人の住めるよう改修した。精霊って呼んでいるものも、大砂蟲テールスファーマーって呼んでるあれも環境改変のための、名残だな。環境改変型ナノマシン群体――空気の組成や土壌の改善なんかを目的とした自律微小機械群は、デザインされた通りに増殖し人の都合のいいように環境を改変していく。役目を終えれば自壊するようプログラムされている。でもたまに役目を終える前に故障することもある。それがあの大砂蟲さ。おそらくあいつは環境改変後に設定されていた自壊プログラムがうまく起動していなんだろう。だから俺たちで――》

「あなたって、そんな感じなのね」

 話のうちの八割も理解できなかったが、ゲルダ・ノーマンズフィールドは思わず口をはさんでいた。――話せることがよほどうれしいのだろうか。精霊がこんなにも饒舌だとは、リコルもベルも言ってなかった気がする。

《あー、だから言ったろ、雰囲気ブチ壊しだって》

 頬に傷のある少年の、バツの悪そうな顔が浮かんだ。不思議なイメージだった。でも嫌な気分はしなかった。

《……さて、そろそろだな》

 そんな想像をするのもきっとゲルダがいる場所のせいだ。

 ゲルダはいま、雷精霊の中にいた。膝を軽く曲げ、馬に乗るときの姿勢で座り、腕は左右のスティックに添えられている。

《――精霊になる勇気はあるか?》

 そう、雷精霊が訊いたのが、ちょうど二時間前。

「いいよ」

 ゲルダはうなずいた。ためらいはなかった。大砂蟲を倒すためには精霊の力を借りるしかないのだ。その精霊に考えがあるという。

《結果はOKだと思っていたが、まさか即断とはな……》

 雷精霊が両拳と膝をつく。空気の抜ける音ともに漆黒の躯体、その前面が上部に開く。そこには人がすっぽりと収まるだけの空間があった。

 この空間に乗り込むのだと、ゲルダは気がついた。

「マジ?」

《マジだ。乗ってくれ》

 雷精霊に導かれるまま乗り込むと、馬の背に似たやわらかさのある素材に包まれた。不思議と圧迫感はなく、ハッチが閉まるとすぐに透明化し、視界がひらけた。

 心配そうな顔をしているベルとリコルがいた。

「大丈夫だよ」

 ふたりに言うと、雷精霊の外部スピーカーからすぐに発声される。

「いまから雷精霊の基地から大砂蟲に攻撃をしかけるの。この星の人間の指令コマンドが必要だから、わたしが行くわけ。ふたりはそれまで大砂蟲の足止めをお願い」

 すらすらと自分の頭の中にはない言葉で話していた。雷精霊との一体化のためだ。彼の考えが染み込んでくるのがわかる。

 搭乗者マスター軌道猟兵イェーガーとの同期適応オーバーレイ――でもちっとも恐くなかった。どこか遠慮がちに少しづつ少しづつ情報が伝わってくるから――雷精霊のちょっとした気遣いに、微笑が浮かぶ。これが雷精霊の言う「精霊になる」ということなのだろうか。

《なんだよ、笑うなよ》

「ふふ、じゃあ行こっか。中継機は尾根向こう?」

《――おう》

 雷精霊の驚きが伝わってくる。

 そんな彼を尻目にゲルダは、さっきもらったのと同じ通信機をベルとリコルに渡している。左右のスティックを動かし、雷精霊の躯体を操作して、だ。

 あっけにとられているふたりに手を振り、雷精霊ゲルダ中継機クアッドコプターに懸下され、空へと上昇していく。

 そうしてゲルダはいま、雷精霊の言う「基地」にいる。成層圏の上層に待機してあった、播種船ゴリアテが用意した五つある成層圏プラットフォームハメシュ・アヴァニムのひとつ空中空母アレフだ。ここの帰還ポッドを使い再度、地表へ降下する。それが雷精霊の作戦だった。

《軌道にはほど遠いが降下からの直接攻撃、これが軌道猟兵俺たちの本領ってやつさ》

「でもこれ使っちゃって大丈夫なの、帰るための道具なんでしょ?」

《そういうとこは耳聡いな、マスター。ま、帰る方法はこれだけじゃないから》

 気にするな、と雷精霊は笑う。

《さて、そろそろ時間だ》

 地表では、ベルとリコルが大砂蟲の足止めを行っている。

 だが、空中空母にたどり着くまでにずいぶん時間がかかってしまった。

 もうそろそろ日が暮れる。

《OK。管制アレフからゴーサインだ。カウントスリーツーワンマーク

 軽い衝撃と一瞬の浮遊感。

 一方向に身体が押しつけられる衝撃――圧倒的な加速。

 侵入鞘(こと改造された帰還ポッド)が爆発的な加速をする。電子的にも光学的な迷彩もかなぐり捨て、落下速度だけを追求する。索敵とコントロールは雷精霊が行っている。ゲルダは侵入鞘に包まれた雷精霊のなかにいる。ただ振動は直に伝わってくるし、身を切るような強い風の音すら聞こえる。

 透明化した正面ハッチが赤く染まった雲を左右に切り裂き、ぐんぐんと赤茶けた地表が近づいてくる。山向こうにある、砂漠だ。大砂蟲がつくった領土は、地平線まですっかり大地をおおっている。

 ふいに白い波濤が見える。夕焼けに染まった海だ。

 海なんて見たことないのに――、しかしゲルダには確信があった。

 これは海だ。ああ、なんて大きさだ。

 きっと雷精霊が別の星で見た、海だ。彼の記憶が同期適応オーバレイしている――。

 外を見てみたい、とわがままを言ったのはゲルダで、止めたのは雷精霊だ。

 慣れていないと目がくらむ。戦闘前にそれは困ると雷精霊は考えて降下直前まで、正面ハッチの電源は落とされていて躯体の中は薄闇につつまれていた。

 でも、だからこそゲルダは見たいと言った。

「今日のこと、たぶん忘れないから」

 山の向こう、大地が丸く見える先から夜がやってきている。ゲルダたちは太陽を背に降下している。夕焼けの中を高速で落下していくゲルダは、海に飛び込もうとしている。

 大きな海だった。

 まだ知らないことがいっぱいある――ゲルダは思う。自分はまだ知らないことだらけだ。

 身体の底からくる震えとは別に、律動リズムが聞こえる。

 歌が聞こえる。聞いたことがない曲だった。雷精霊の鼻歌だ。自分でも気がついていないのか、軽快なリズムが伝わってくる。雷精霊の高揚が手に取るようにわかった。

 強い振動と、知らない曲の勇壮なリズムのなかで、ゲルダは訊く。

「ねえ雷精霊?」

 さっきの話は理解できない言葉も多かった。――ただ、ひとつだけ気になることがあった。

「つまり、あなたは精霊じゃないってこと?」

 鼻歌が止まる。

 それでも雷精霊は言葉を継いだ。

《俺は、……そうだ。人間さ》

「そっか」

《……だから言ったろ。ブチ壊しだって》

「そうね。私は精霊使いエレメンタラーじゃなかったし、雷精霊あなたは精霊じゃなかったものね」

《…………》

 間があり、雷精霊が言葉を探していることが伝わってくる。

 だからゲルダは先手を打った。

「ありがとう」

《なんだって?》

「ありがとうって言ったの。正直に教えてくれて。別に黙ってたって嘘ついたってよかったでしょ?」

《それはそうだが……》

「いいの、なんとなくだけど精霊、召喚できる気がしてなかったから。なんか納得した。つまり私にはその生体器官っていうのがないんでしょ?」

《いや、……ないわけじゃない。単に使われていないだけだ。いずれ使えるようになる、はずだ》

「そう……やさしいのね」

 同期適応で伝わっていることは、ゲルダにも雷精霊にもわかっていた。

《…………》

「あーあー、もうちょっと早く雷精霊と話せてたらよかったのに」

《そうか》

「そうだよ。そうしたらもっと仲良くなってたし、勘違いすることもなかったのに」

《いや、マスターが思っている以上に俺は――》

 衝撃と、大きな横揺れ。侵入鞘の姿勢制御による急激な浮遊感。

 侵入鞘のなかで聞いたこともない甲高い音――警告音が鳴り響く。

 大砂蟲によって打ち上げられた土砂の花が、そこかしこで炸裂している。

《おしゃべりはここまでだ、マスター》

 大砂蟲の対空砲火で激しくなった振動のなか、ゲルダはうなずいた。

「行くよ、雷精霊」

「ああ、こいつを倒して大団円だ」

 侵入鞘の先端フェアリングが四つに開放して、その中から漆黒の躯体が躍り出る。

 降下の勢いをのせ、雷精霊が大砂蟲に向かって突撃する。赤い単眼が流星のように尾を引いた。

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