〈1〉寝ても覚めても 2

「……はぁ!?」


「夢の中で仕事してたんです。朝起きた時のショックといったら、それはもう」


「ふぅーん」


 変に語尾の下がる声を漏らした男を見て、ササカワは妙な快感をおぼえた。


 ざまぁみろ。

 こっちは深刻なんだ!

 あんたみたいな得体の知れない他人に、漠然とした悩みを持ちかけたくなるほど切羽詰まってるんだ!


「ってことなんですが、どうにかなりませんかね?」


 突きつけるように言ってやると、男は、癖のある黒髪に指をつっこんで呻いた……ように思う。


「うん、まぁ、どうにもこうにもねぇ」


「……は」


「僕ぁカウンセラーじゃないんだ。占い師だからさ、お門違いだよ」


 男は、時代がかった分厚い机にどかっと肘をつきなおし、両指を組んで顎を乗せた。

 今度は下目に見られることになったササカワは思わず腰を浮かせた。

 舗装の粗い道路に置かれた椅子が、尻の下でガタつく。


「え、じゃあ僕は手の施しようがないってんですか? このまま仕事のことばかり考えて生きろと?」


「や、そうは言わないけどさ。僕が今すぐ何とかしてあげるってのは、ちょーっと無理じゃないかなぁ」


「だって、『あなたの悩み解決』って、そこの看板に! せ、せめてこれから先の見通しか何かこう、占いで……」


「占いで解決するかもよ、ってぐらいの意味なんだな、あれ。だいたいさ、未来なんてそんなカンタンにわかるわけないじゃないか。考えてもみなよ」


「ふ……ふざけないでもらえますか!!」


 ササカワは思わず立ち上がった。

 この男を前にして、そろそろ30分が経つ。往復の移動を含めれば1時間近いのだ。これだけの時間があれば、明日の会議用レジュメがまとめられただろうに!

 気の迷いでこんなところに足を運び、あまつさえポジティブな言葉のひとつももらえるかもしれないと微かに期待した、自分が情けない。


「じゃあ僕みたいな悩みを抱える客に、占い師ができることはないって訳ですね! なら、もう失礼して」


「占い師ができること。ふん……」


 男は組んだままだった指を解いた。

 おもむろに背筋を伸ばし、妙なシルエットの上着の襟をピッと立て直して、すっと半眼になる。


「なら、君にはこれ」


 奇妙な笑みを浮かべた男は、詰め寄るササカワをかわすように滑らかに半身をひねった。

 背後に置かれた小さな箱からすらりと鉛筆を取り出し、名刺のようなカードに何やら書き込む。


 立ち上がったままのササカワの前に、ご丁寧に封までされたオフホワイトの小さな封筒が、ついと差し出された。


「これ、明日の占いだから明日の朝開けてね。まぁ、カッチリ言えば今夜0時過ぎたら見ていいんだけど……君の性格からいって、見ない方がいいんじゃないかなぁ。あ、いる? これ」


 呑気な声とひらひらと上下する封筒の奥から、捻じり込むような占い師の視線がササカワの目を射る。


「あ、い、いただきます」


 ササカワが、反射的に名刺交換のように両手で受け取ると、男は黒い瞳を反らさぬまますっと半身をのりだした。


 封筒とササカワの間に割り込むように、斜に顔を寄せて囁く。


「君が幸せになれるといいな」


「あ、はあ、ありがとう……ございます」


 妙に気圧されしてササカワは目を反らし、再びガタガタする椅子にストンと腰を下ろした。

 占い師の瞳と、邪気があるようでないようでやっぱりあるような笑顔が、瞼に貼りついた。


 なんだか煙に巻かれたようだ。



 ほどなくして、ササカワは足元に置いていたビジネスバッグから財布を出し、安くも高くも感じない額の紙幣を机に置いて席を立った。


 雑居ビルの谷間に挟まるような占い師の仕事場から表通りへと出ると、蒸し暑い空気が半液体のように溜まっている。

 狭い暗がりと同化した黒い袖から、男の手が布きれのようにひらひらと振られている。それを一度振り返り、ササカワは駅向こうのビル街へと急いだ。


 今から戻ればまだ9時半。

 2時間以上、仕事ができる。

 明日の会議資料ぐらいは、何とかなりそうだ。

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