CRAZY・中


「床で寝るのが好きなのか」

 冷えきったフローリングが目に入る。床から顔を上げると視界に映るったのは声の主、医師の西村 にしむら ひとしだった。非常勤の闇医者が、なんでタイミング良くこんな所にいるのか。はたまたこれは夢だろうか。


「なんだよ、不法侵入で訴えるぞ」


 なにか嫌みの一言でも言おうかと言葉を探していると、仁は目の前に輪ゴムで縛られたアルミのシートをべちっと放り投げた。


「玄関に鍵を掛けないなんて物騒だと思ったけが、なにも知らずにこの部屋の主に出くわしたら死ぬだろうなぁとも思ったわ」


 眼鏡越しの目は冷ややかで、鼻で笑うその顔が癇に障って、透かした面を殴ろうかと思ってしまった。なんて考えていたら、思考に横槍を入れるやわらかい声が聞こえた。


「お兄ちゃん、そのくらいにしたらぁ」


 遅れて玄関の方から顔を出したのは仁の妹、西村 にしむら利風 りふうだった。


「湊谷さんごめんなさいね、お兄ちゃんが勝手に上がり込んで」


 無様としか言えない自分の姿にため息を吐いて起き上がる。吐き気以外はいつも通りだと認識する。


「まぁ、上がって」


 家主は仕事で居ないけど、まぁ、いいだろう。利風の控えめ声で「あ、すぐ帰るんで」と言うのを聞いた。薬を拾ってアルミシートから一乗、噛んで服用するといつものとてつもない苦味を感じる。


「おい、」


 仁が睨み付ける。反射で「なんだよ」と言葉が出た。律儀に眉間にシワをたてる姿がなおのこと気に触る。


「その噛む癖やめろ。効き目が早まるからと言って、そんな阿呆な飲み方すんな」

「……気を付けるさ」


 気を付けるだけで実行に移す気はさらさらないけど。最後の言葉を聞いてか聞かずかわからないが、踵を返し西村兄弟は帰ってしまった。本日、三度目に聞くガチャンというドアが閉まる音を聞く。酷く、耳障りだった。


「くっだらね」


 くだらねぇのは俺の方。

 鍵付きの引き出しに薬をしまい、空になった皿を片付けた。ベッドの近くにぶん投げたジャケットをシャツの上から着て、ズボンもはきかえた。メールの確認をすると一件だけ利風から「お薬持っていきます」と三時間前にきていた。すぐに返信しなかったから来たのだと理解した。メール画面を閉じ、携帯電話と財布、使わないだろうと思うが、鍵のかかった引き出しから拳銃を取りだしベルトにかけた。同じ引出しから薬莢を取り出し内ポケットに入れる。

 洗面所で鏡に映る自分の顔は血色が悪かった。一度冷水で顔を洗おうとすると、着信音が響いた。水を出しっぱなしのまま電話に出ると、上司にあたる巌川からだった。


「なんですか」

「手、あいてるなら付き合ってくんねぇ」

「なにするんですか」

「……質問は来てから受け付けるわ。Bブロック三番、南駅から少し離れた場所だ。十分後には情報班から連絡があ」


 いいかけのまま切れてしまった。せっかちな人だと毎回思う。

 ため息だけが口からこぼれる。半ば投げやりに携帯電話をポケットにぶちこんだ。それから冷水を顔面にかけ、冷たさが手に染み、顔に染み、鏡に写る自分の顔が酷く白い。

 右手で残った水滴を拭い、頭を振る。それから適当に前髪をあげ鏡を見るや否や玄関の扉を鳴らした。合鍵で鍵を閉め、現場に向かう。

 裏通りにたどり着くと情報班からメールが届いていた。一通り目を通すとフォルダから削除する。ありもしない「もしも」のための証拠隠滅をする。それからあちこち曲がり三回目の交差通路を曲がると川崎善利子、巌川の元カノと噂されている社長秘書がぽつんと佇んでいた。


「おい」

「はい」

「三一八のA班遂行員だけど」


 自分の番号と所属を告げると川崎はすぐに携帯電話を出してなにかを確認した。きっちりまとめ上げた長い髪の毛と、きっちり着込んだスーツ姿はさすが本社の社長秘書としか言いようがない。真面目なそうな人が不健全な仕事を真面目に行う。不思議な話だ。


「付き添いの川崎です。支店長はすぐに用があると言っていました。伝言がひとつあります。受けとりますか」

「あぁ、頼むわ」

「電話で言い忘れていたが、これから起こることを他言したら、お前も駆除することになるがそれでもいいなら来い。ただしここまで来て帰ったらばスケープゴートにする」


 とんでもない内容だ。返事はすべて「はい」で返さなければならないとか、どこのブラック企業だよ。         


「……なにそれ断らせる気ないじゃん」


 川崎は静かに微笑んだ。こいつも感覚麻痺だろう。


「行けばいいのか」

「はい、そうです」

「わかった」


 急ぎの用事だと、なんとなくだが感じる。件のビルまで足早に向かった。途中迷いそうになったが、情報班がくれたメールを暗記していたお陰でだいたいの地図は把握できていた。突き当たりを曲がって、すぐに見慣れた人間に出会った。


「はろぉ、クズ」


 入ったこともない古びたビルに招いておきながら、挨拶と共に酷い罵倒を耳にする。これが上司と思うと腹が立つがそんなことびーびー言っていたら、きっときりがないだろう。

 縮れ髪は頭のなかもくるくるなんだろうか。学歴高く、頭の回転が速いと言っても、巌川零次は好かないタイプであるのは確かだった。


「巌川さん、仕事ってなんですか」

「薬売っていたやつがさぁ、パクられるんでその前に片付けようと思ったわけ」

「で、どうして俺を呼ぶんです?」


 そんなの下っぱの下っぱがする仕事じゃん、と吐き捨てたくなった。実際に言いそうになって口を噤んだ。あぶねぇ。


「それが、俺これから表でフツーの取引あるんだよねぇ、それにちょっと人が足りなくて。ほら最近多いじゃん? 例の脱法商品、あれがウケ良くてそっち推進してるせいもあるし、なによりチューシャは足付きやすいから困ってるんだよね。だから代行頼むんだけど」


 断っても結局はやる仕事。いい返事で返そうと努力はする。が、つい渋る声を上げた。唸る声も聞いてか聞かずか、巌川はニコッと嫌に明るい笑顔を向けた。


「あ、そうだ。社会見学に後輩くん連れてきたからよろしく」


 返事を聞くまえに俺の肩を叩いて颯爽と立ち去った。


「ひでぇひと」

「そうっすね」


 そう言いながら積まれた段ボールの影から本社主任の息子、北里 きたり りゅうがひょっこり顔を出した。


「居たんだ」

「まぁ、」


 傷んだ金髪がふわっと揺れる。サングラス越しに向ける視線は目つきが悪い。今風の雑誌に載ってそうな服と敬語もままならない様子から、最近の高校生という事実がにじみ出ている。十六でこっちの仕事なのだから嫌な感じだ。


「お前、死体とか良いの?」

「まぁ、」


 ため息を吐いた。軽い返事にもう笑えもしない。めんどくさい、を圧し殺す。ポケットに押し込んでいた手袋を嵌め、使わないと思っていた拳銃を手に取り指紋を消しながら弾丸を二発装填し安全装置を外した。


「あれ、お前が殺んの?」

「いえ、先輩を見てるのが仕事らしいっすよ」

「監視員?」

「否定はしませんけど、情報班に報告する係らしいんで」

「なるほど」


 空撃ちにならないかチェックし定位置のベルトに引っ掻けた。数メートル先の扉まで行った。それからドアノブをゆっくり開けた。刑事ドラマかなんかはすぐに入って撃ち合いになるのだろうか。そんな相手が誰だかわからないのにリスキーすぎって思うのは俺だけだろうか。

 部屋に入るとやたら貧乏揺すりが激しい大学生、まぁ大学生仮と名付けよう。そんな大学生仮がソファーに座っていた。そいつの前のテーブルにはアタッシュケース。あのなかには俗にいう〝白い粉〟ってやつが詰まっているのだろう。


「中身がホットケーキミックスだったら霧流も喜ぶだろうに」

「先輩?」

「あ、わりぃ、独り言だわ」


 ずかずかと向かいのソファーに座ると、相手も俺を視界にいれる。殺害対象者の左目が外側に向きながら痙攣している。どうやら販売だけではなく売る薬に手をつけてしまっているご様子。


「今度はぁ、なにをぉお、うればいいんでしょうかぁ」


 崩れた言葉に耳を塞ぎたくなる。

 龍は俺の後ろに立ち、俺の座っているソファーに手をかけた。ベルトから静かに拳銃を抜き取り、軽い安全装置を解除する。素早く対象者の眉間にポイントを付け引き金を弾いた。乾いた音は爆竹のようで減音器越しの銃口から硝煙が細々と流れるだけである。鼓膜は銃声を合図にありもしない高い音に震えあがる。しばしの耳鳴りと手に伝わる振動にいい気分ではない。

 たった今死んだ人間の眉間からだらだらと血が溢れる。威力があまりないため貫通はしていないだろう。念のため、心臓に向けてもう一発撃っておいた。カラカラッと空薬莢が落ちる。熱を帯びたそれを拾い上げて、テーブルに置かれたアタッシュケースを掴み立ち上がった。後片付けは清掃班の連中がやってくれるだろう。


「お疲れさまでした」

「なにも疲れてないんだけど」

「先輩疲れた顔してますよ」

「そうか? 気のせいだ」


 龍はメールで情報班に報告しながら言った。それで顔が見えるのだろうか。とても気になったが聞くほど価値もない。すぐに聞こえる着信音。報告と確認、書類を相手にするよりはずっと簡単で分かりやすいと思う。


「報酬はいくらなんだ?」

「八十万じゃ駄目すかね」


 もっと妥当な額を出してもらえると嬉しいが、たいして危険でもない仕事だと自分に言い聞かせる。それにもっと値上げしろとこいつに言ったところで無理なことは知っていた。


「この死体にかかわって足がつかないようになってんならなんでもいいけど」

「いつも通り振り込みで」


 振り込みと言葉を反芻するまえにさっき会った川崎と人相の悪い、といったら俺の知り合いみんなおんなじになってしまうか。まぁ、特別人相が悪い三人が平然と部屋に入ってきた。川崎は死体の片付けの指示に、残りはなれた手つきで死体をブルーシートにくるみつつ大きな箱に詰めた。後に焼いたり微塵切りにしたりでもするのだろう。細かくなった肉塊を想像すると、この仕事、しくじったら肉塊になるのは自分自身だと心の中で言い聞かせた。


「後輩、知ってるか? あれミキサーに掛けられてた後、缶に詰められトマトジュースのラベルが張られてスーパーに並ぶんだぜ」

「マジすか、怖」


 つまらない冗談を真面目に言うと龍は熱心にみていた携帯電話から顔をあげた。


「嘘だよバーカ」

「え、酷いっすよ先輩。一瞬マジになった」


 からかい笑みで嬉々としていたが、くわっとこっちを向いた川崎は張り付けた無表情のまま呟く。


「スーパーには並びませんけど下水道に流れます」


 それから顎に人差し指を押し付けながら悩むように続きの言葉を言う。


「特にこの件にかかわって世間に今日のことが露呈してしまったら責任とってあなたもジュースになりますよ」


 冗談に聞こえないから困った。凍りついた表情で止まった龍めがけて念を押すかのように言っている。もっとも衝撃を受けた表情を張り付けた龍が、どことなく震えた声で川崎の顔色をうかがいながら言葉を話す。


「えっと、それ冗談ですよね」

「私、冗談だと言っていませんよ」


 この凍てつく空気を打開する術なんて簡単には思いつかない。しょうがなく川崎に

「じゃ、巌川さんによろしく」と告げ龍の服の襟を掴んで退出した。

「アホ面で通るほど甘くねぇよ」

「知ってますけど」


 言い訳がましく言葉をつけたそうにしていたが龍は口を噤む。


「……先輩は、どうして普通にしていられるんすか」

「お前の普通と俺の普通が違うだけだ」

「そういうものっすか」


 それからなにも語らずに、大通りに出て勢いで持ってきてしまったアタッシュケースを無理やり預けて別れた。振り返ると年齢と服装に不釣り合いな鞄を下げた後姿が視界に入り、数年前の自分達を思い出した。少し苦々しい思い出がぶり返し苦笑する。

 それから帰りにコンビニで霧流が好きな菓子と炭酸ジュースのペットボトルを買って帰った。本当は酎ハイの缶でも買おうかと思ったが霧流は安い酒は苦いと嫌がるから止めた。

 部屋まで来ると合鍵で解除し、重い扉を開ける。誰の靴も無い。霧流はまだ帰ってきていないと知る。電気のスイッチを押すのも億劫でテーブルに買い物袋を放置し、ずるずると寝室に向かった。ジャケットと拳銃を床に放り投げベッドに沈んだ。全てを赦すかのような微睡みが襲ったが、やはり深い眠りになど連れてってはくれなかった。それから目を覚ましたのは、ぼろ雑巾みたいになった霧流が俺の名前を呼んでからだ。


「ただいま」


 カーテンを閉め忘れていたせいもあって隙間からこぼれる街明かりだけで姿を確認する。霧流は相変わらずの相貌で変化がなく少し安心する。


「おかえり」


 右足をたてて上半身を起こすと霧流は横やりをいれるように抱きついてきた。疲れているとわかっていたからそのまま背に手を回してしばらくそうしていた。壁と霧流に板挟みにされて、少しだけ窮屈な気がする。

 人を殺した手で人を抱き締める。今さら罪悪感なんてない。そもそも誰かの正義の手伝いをしたと思えば罪悪感の「ざ」の字もなかった。こなさなければならない事柄と頭の中で簡単に処理できる。ただ、ほんの少しだけ己の手が穢く感じられただけだ。

 その点において、霧流は俺と違った感情を抱いているのだろう。罪悪感が薄いあたりは似ているが、決定的に違う事柄がある。それは罪の意識をいつまでも溜め込み、一定を越えると誰かがリセットしてやらないといけないということ。それに彼の物差しはすぐに目盛りが変わってしまう。

 慣れと普通が似ていると結論付けようとしたところ、ふと、さっきの仕事を思いだした。

 川崎はバラしたら始末すると言っていたが、俺は殺されることにまるで抵抗はなかった。いや、まるでないと言うと語弊がある。死ぬということは怖くなかった。それよりも霧流のそばに居られないことが怖かった。どんな犠牲でも払うと決めていた事柄は霧流の命ぐらいだった。


 もうすぐ死ぬと無意識で受け入れているからだろうか。生への執着心は歳をとるごとに薄れ、その代わりに今、腕のなかにいる人間へと向けられていた。


「なに、笑ってるの?」


 抑揚のない声は眠たげで、いまにも瞼を閉じようとしている。霧流の動作は一定で、こくりと首を縦に下がったら閉じかけた瞳を再度、半開きに戻す。


「やばいなぁ、って思ったの」

「なにが」


 窓の外が少し青白く光る。そんなの見なくても月明かりだとすぐわった。


「言わない」

「じゃ、もう聞いてあげない」


 少し頬を膨れさせて言う姿は小学生の頃から変わりがない。


「拗ねんなよ」


 そう言い聞かせ宥めようとするとふてくされた顔で「拗ねてねぇよバーカ」と眉間に皺を立てる。どうみても機嫌を損ねたとしか感じられない表情なのに否定されると、次はなんて言葉をかえそうか。下手にかえすと火に油。油だったらいい方か。ガソリンだったらたまったもんじゃない。


「湊谷、火薬の香りがする」

「いつものことじゃないか」


 返事はない。寝息が聞こえる。どうやら寝てしまったようだ。できることならこのまま朝を迎えたい。目を閉じて緩やかな眠気に身を委ねた。


 

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