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「あら、村崎君。めずらしい、ゼミでもないのに」

博士課程の桐野華は、博士論文の提出を目前に控えていた。目には隈が色濃く残り、その顔は青白かった。机のノートパソコンの周りには、ブラックコーヒーやら、エナジードリンクやらの缶が大量に転がっている。

「ちょっと、卒業論文のことで桐野さんに相談があって…」

「ごめん。今、それどころじゃなくて」

「桐野さんも博論の提出で忙しいときだとはわかっていますが…」

「そうじゃなくて。第一学群棟の事故を見た?」

「はい………それが何か?」

「昨日の夜、あの事故が起きたんだけど………二峰先生が、巻き込まれてるのよ、あの事故に」

「えっ?」

あの、毎日夕方五時にはかならず都内の自宅へ帰っていく二峰先生が、昨夜?大学で?

「今日の朝に屋根の下で発見されて、今は筑波大学病院で手当てを受けているわ。発見されてから時間が経った重体で、意識はまだ戻っていな…」

その瞬間、桐野の携帯電話が、けたたましい音で鳴った。桐野は電話に出た。

「ええっ!?今、今すぐ行く!」

「ど、どうしたんですか!」

「なにかわからないけど…病院にいる友人が、緊急だって。村崎君も、念のため来てちょうだい」


「華!こっちよ!」

大学病院の裏口で、桐野を呼ぶ若い女医がいた。桐野の全代会時代の同級生で、今は医学類を卒業し脳外科で研修医をしているという嘉納未来だった。

「未来!先生は?」

「今は三階の脳神経外科病棟にいるわ。意識はないけど、脈拍は安定してるみたい」

「よかった…」

桐野は胸をなでおろした。

「…ねえ、華。わたし、何かおかしいと思うの」

「なぜ?」

「十一月になってから、二峰先生と同じ状況で、同じ病状の教職員が次々ここに運び込まれている。表沙汰にはなっていないけど、先々週は第三学群の山梅先生、第二学群の職員、先週は春日エリアの落内先生、体芸食堂のおばちゃん。今週は図書館長の申山先生、第一学群の二峰先生…みんな、大学の機械や実験装置、施設を破壊してから昏睡状態に陥っている。いま、全員の脳波を調べているけど、おそらく、脳の神経細胞の回路がこわれているみたい」

「ど、どうして、そんなことが?」

「わからない。何者かが、蚊か何かの脳炎ウイルスみたいなものを介して、脳機能をストップさせているんじゃないかって、これはわたしの上司のただの予測だけど…」

「でも…それって、いったい誰が?」

「わからない。でも、ことが連続して起きている以上、これを見過ごすことはできないし、昏睡状態に陥っている患者さんの治療もしなきゃいけない。…そのために、わたしは華を呼んだの。華、実験に参加して。もちろん、村崎君も」


嘉納未来がいう《実験》とは、なんと、真っ白な病室で脳波をとられながら論文を執筆することだった。

「ウイルス(仮)の抗体を作るためには、生きた人間の神経細胞を伝わる電気信号を採取することが必要なの」

未来はそう言っていた。

「…………だからって、こんな真っ白な部屋で卒論書かせることないじゃないかよーーーー!!!!!!」

「うるっさいわよ、村崎君。ちゃんと書きなさい。提出はもう十日後なのよ」

桐野が言った。村崎と桐野は、同じ病室できょう一日、脳波を取られている。

「逆に集中できないですよ、こんな部屋。ひらめいた時の脳の電気信号で、抗体取るったっていくらなんでも無理でしょ」

「私はけっこう進んだけど」

「それは桐野さんみたいな化け物はそうだけど…」

「なによ化け物って…」

そのとき、病室のドアをノックする音が聞こえた。

「お疲れ様。実験が成功したみたい」


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筑波大学の崩壊 tsunenaram @ytr_kiku

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