第54話 勘違い

 ガルドがこの迷宮都市にやって来てからすでに一年が経過し、彼はミラとの日々を少しでも多く過ごせるようにと、毎日この冒険者ギルドに顔を出してはミラと言葉を交わしていた。

 そんな彼が今回の事件のように暴行事件につながるようなことをし始めたのは、ここ半年からであった。


 彼がこの迷宮都市のギルドに入った時、そこの受付に立っているミラを見た途端に涙が止まらなくなった。

 幼少期に村を襲った盗賊に復讐を遂げてから三年、離れ離れになった時から数えてちょうど十年の月日を経てようやく巡り合えたのだから当然ともいえる。

 そして興奮を抑えられぬままにミラに話しかけた。

 久しぶりだな、ようやく会えた、というような言葉をかけたと思うが、本人の記憶は定かではない。

 そのあとに判明した事実が、あまりにも酷なものであったからだ。

 ミラは、記憶喪失になっていた。

 彼女が気づいたときには迷宮都市とは別の街にいて、そこの冒険者の一人に保護されていたらしい。その冒険者が女性であったことは、ミラにとって非常に運がよかったといえるだろう。なぜなら、冒険者の男の中には荒事をこなしているうちに一部の倫理観がずれる者がいることも珍しくないためだ。

 そしてその女性の冒険者に推薦されて冒険者ギルドの受付嬢としての教育を受けた。彼女は記憶を失ってはいたが、村娘としての朗らかさと可愛らしさ、そしてその生真面目さが功を奏し、ギルドの中でみるみる出世していった。


 そうして自らの生活基盤を構築してから、彼女は自分が記憶喪失になったわけを知った。

 彼女は落馬か何かの拍子に頭を打ち付け、その衝撃で記憶を失ったのだという。

 そういったのは彼女を保護したあの冒険者で、当時の彼女の状態、すなわち頭から血を流してふらふらと歩いていたことからの考察だった。

 ミラがその冒険者に出会ったのは森の中で、すでに辺りは暗くなっていたらしい。そして出会った直後はまだ自分の記憶がなくなる前だったのか、自分のことを「ミラ」と名乗ってお礼を言った直後に気絶したのだという。

 その冒険者いわく、


「だからあんたが起きた時はびっくりしたよ。自分の名前以外、全部忘れてるんだからさ」


とのことだ。


 そんな彼女が受付嬢になってから六年、彼女は迷宮都市への異動を命じられた。

 その手腕を認められてギルド本部からの要請があったのだ。

 迷宮都市は腕に覚えのある者ばかりが集まるため、冒険者たちの癖もそれなりに強い。

 精神面が成果に大きく影響する冒険者という稼業は、ある程度の図太さが必要になるためそういう人が多いのだ。

 そんな彼らをまとめられると期待されて命じられたのがミラだったというわけだ。

 そしてミラが迷宮都市にやって来てから四年経ったときに、ガルドと再び出会ったのだ。

 そんな諸々の事情を聞いたガルドははじめ、ミラの記憶を取り戻させるために様々な情報を集めた。

 しかしそうして集めた手段は、すべてが高い費用の掛かるものだった。

 記憶を保管している脳という部分の繊細さは、腕や足の治療におけるそれとは一線を画すものだ。そんなものを依頼するのだから費用も高くなるし、治療に必要な素材を集めるだけでも困難である。


 そんな現実を知ったガルドは、荒れ始めた。

 ミラがいるにも関わらず、この街で暴力事件を起こすようになったのだ。

 それでも何とか自分を抑えていたのか、決定的な殺人や性犯罪は起こしていない。しかし喧嘩や小競り合いは日常茶飯事で、時には揺すりや脅しを行うようにもなった。

 まあ、そんな彼がミラに懸想していることはミラ以外の目には一目瞭然であったから、彼女へちょっかいをかける者は減っていった。そのことを知ったガルドも、これは一石二鳥だと少しずつだがトラブルの頻度を増やしていった。

 そして昨日、ガルドの理性がついに悲鳴を上げた。

 ほかの仲間に促されるまま、武器屋の看板娘であるミアに詰め寄ったのだ。

 だがミアに詰め寄っていた時、彼の深層意識ではこれはさすがにダメだということも分かっていた。

 だからこそ、龍巳が自分の行いを止めてくれた時は安堵を覚えた。表面上は周りの手下に合わせて憤っているという態度をとったが、それでも自分が好きなのはミラしかいない、と再認識しながら龍巳の登場に感謝していた。

 そしてその翌日、冒険者ギルドにいる龍巳を見た時はチャンスだと思った。

 決闘で龍巳を倒して手下への示しをつけるとともに、その場で龍巳の実力を認めて金輪際事件を起こさないと誓う。そうすればもうミラを、そして自分の恋心を傷つけることもなくなると考えたのだ。

 龍巳を倒すことで手下の制御力を強化すれば、彼らも事件を起こすことはなくなるだろう、と。


 だから龍巳が見たガルドの「暗い笑顔」というのは、長年の復讐で培ったガルドなりの感情の発露の仕方でしかなかったというわけだ。

 そんなことに考えが至るはずもなく、龍巳の勘違いによる状況のすれ違いは、既に始まっていた。


「いや、そんな決闘もの、受けるわけないだろ」


 当然と言わんばかりに決闘を断る龍巳。実際、ガルドの「暗い笑み(笑)」を見ながらの返事はそうならざるを得ない。

 だが、そうはさせまいとガルドが龍巳の説得を試みる。


「ほう、やはり自分に見返りがないと不満か?なら、もし俺に勝てたら金貨を一枚やろう。まだこの街にきて日が浅いんだろう?いろいろと物入りなはずだ。金は少しでもあったほうがいい」

「なるほど…」


 ガルドの申し出に、龍巳は少し考えてみることにした。

 実際、金は必要だ。王都を出ることを伝えた後に国王アルフォードからいくらかの金を渡されたが、アルフォードとアルセリア、美奈や宗太たちに渡した魔道具の製作に大半を使ってしまった。

 自分のわがままで王都を出るのだからと、追加で金をもらうのも遠慮した結果、手持ちはそこまで多くはない。

 だからこそ、龍巳はガルドの言い分を聞くことにした。


「分かった。その決闘、受けることにする」

「た、タツミさん!?」


 龍巳の返答に声を上げたのは、さっきまでガルドに憤っていたミラだ。


「な、なに言ってるんですか!こんなの、受ける必要なんてないです!ガルドさんはこれでもB級の冒険者です!普通の人じゃ、勝てないんですよ!?」


 ミラの心配はもっともだ。

 ガルドは復讐のため、自分の体をいたわることもせずにひたすら自分を鍛え上げていた時期があった。

 その時に手に入れた肉体に下地として、その後に身に着けた技術からなる彼の実力は冒険者の中では上位といって何の差支えもない。

 だが龍巳はミラの言葉に苦笑を返した。


「なら、問題ありません。俺は『普通』とはいいがたいですから」


 ミラにそう返してから、龍巳は不敵な笑みをガルドへと送った。

 「暗い笑み(笑)」を浮かべる、ガルドへ。

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