第50話 朝食と出発
龍巳がダリアの営む宿、「緑の森鹿亭」で迷宮都市ラータに来たことを歓迎されたあと、宿代を払うことになった。
とりあえず1週間、この宿で過ごすことを龍巳が伝えると、ダリアは本来なら銀貨7枚のところを銀貨5枚にまで値引きしてくれた。元々の銀貨7枚の内訳は、下宿代に5枚、食事代が1日3食(昼食は弁当)で1週間を銀貨2枚であったから、食事代を負けてくれた形だ。
今日の夕食だけをご馳走してもらうつもりだった龍巳は、さすがに1週間分もまけてもらわなくても…と遠慮したのだが、ダリアに
「なら、もし私たちがあんたにとって良いと思えることが出来たら、その感謝を『チップ』として渡しておくれ。もちろん、うちの旦那やミアでもいいからさ」
と言われて受け入れるしかなかった。
そして龍巳は、チップをちゃんと払おう、と決意したわけなのだが、もし1週間からさらに多く泊まることになった時、本来の銀貨7枚にプラスしてチップを払うことになるのだから、トータルでいえば宿の収入は本来の宿代を上回る可能性もある。
そう考えると、ダリアは経営者として素晴らしい器の持ち主なのかもしれない。
だが一方、そこまで深く考えずに王国から支給されたお金から銀貨5枚を取り出してダリアに手渡した龍巳は、そそくさと自分の部屋に戻って鍵を閉め、ベッドに横たわった。
やはり2週間もの長旅で疲れたのか、すぐに寝息を立て始める龍巳。
龍巳の部屋の中はベッド、デスク、タンス、ランプなどがあり、龍巳はすぐに寝てしまったために部屋の明かりはついていない。
しかし、地球と違い空気のきれいなこの異世界では月光を妨げるものがなく、龍巳の部屋は月の神秘的な光によって幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ラータの各所では未だに明かりがついているが、緑の森鹿亭のある区画に夜遅くまで営業している店などはなく、龍巳の部屋は寝るのに最適な暗さと明るさのバランスを保っていた。
そんな場所で寝る龍巳の笑顔を恋人であるアルセリアと美奈が見たのなら、思わず2人とも頬を緩め、口元を綻ばせるだろう。
つまり、何が言いたいかというと…
「とても気持ちよさそうに眠っている」ということだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
龍巳が森鹿亭で良質な睡眠をとった翌日、龍巳は昨夜夕食を取った食堂で朝食を食べていた。
そのメニューは昨夜のものと違い、スープを主軸に置いていた。
昨夜のものよりもお腹にとって軽い食材と調味料で作られたスープは、朝の目覚め切っていない体を優しく起こし、その温かさが体を活性化させていく。
そうしてスープを口に運んでいくうちに、何か口を動かす硬めのものが欲しくなるのだが、それを見越してかライ麦のパンも用意されていた。
それを適度な硬さにするためにスープに浸して口に運ぶと、さらに眠気が遠くに行ってしまう。
そこでようやく龍巳の頭が完全に覚醒した。すると、その様子を察したダリアが龍巳に話しかけた。
「おはようタツミ。ようやく起きたかい?」
その声色は、宿の冒険者をまとめる昨夜の女大将といった力強いものではなく、もっと優しく、慈愛を含んだものだった。その声が、朝でテンションがあまり高まっていない龍巳には非常にありがたく、龍巳もダリアに優しい声色で返事をした。
「あ、おはようございます。おかげさまで、なんとか」
「ふふ、そうかい」
そう言って朗らかに笑うダリアは、宿の主人としての風格が穏やかなものをまとって、されどしっかりとにじみ出ているように龍巳には感じられた。
そうして2人が朝の雑談を繰り広げていると、話題は今日の予定についてに移った。
「ところで、今日は何をするか、もう決まっているのかい?」
「大まかには。今日は
「それなら、まずは冒険者ギルドにいって冒険者登録を済ませな」
「冒険者登録、ですか?」
ダリアいわく、
一応登録していなくても入れるらしいが、それでも登録していたほうが得だという。
その代表的なものの1つが、「素材の買い取り」だ。
迷宮内に発生するモンスターを倒した時、魔石以外の死体は迷宮の外とは違って消滅するのだが、しばしば毛皮や牙などの素材が手に入ることがある。
魔石を含めたそれらは「モンスター・ドロップ」と呼ばれ、武器や防具、魔道具や魔法薬の材料になるため、一定の需要がある。
しかし、その需要はモンスターの種類によってばらつきがあり、攻略難度の低い上層のモンスターに至ってはほとんど買い取ってくれる者はいない。
が、それらを一定の価格で買い取ってくれるのが冒険者ギルドなのだ。
ギルドは遠方の生産職の人たちとつながりがあり、彼らとの仲介も請け負っている。そのためこの迷宮都市では需要のない素材でも、冒険者ギルドなら一定の価格で買い取ってくれるのだ。
もちろんデメリットもあり、緊急時にはギルドの指示に従って街の問題や迷宮の異常を偵察、および解決に努める義務がある程度発生する。
その義務の大きさはギルド内に設置された「ランク制度」で決まり、下からF~A、そして最上位のSランクの順に義務が大きくなっていく。
初めて登録した者は例外なくFランクから始まり、それからモンスター討伐の功績やギルドへの貢献などでも上がっていく。また、ギルドは出入り口の管理のほかに、街から請け負った依頼の仲介もしていて、その依頼を受けた数や質でも上げられる。
ダリアがそこまでの説明をしたところで龍巳の朝食が入っていた皿は空になった。
いいタイミングだと思った龍巳は、ダリアにこの後の予定を改めて伝えることにした。
「じゃあ、これから冒険者ギルドに行って登録を済ませてきます」
「ああ、そうしな。もっと詳しい説明は登録の時に受付の人に聞けばわかるだろうから、ちゃんと聞いておきなよ?」
「はい、わかってます。それじゃあ準備を済ませたら出発しますね」
「了解したよ。お昼ご飯の弁当はもう作ってあるから、出る前に声をかけておくれ」
そして龍巳はダリアの言葉にうなずくと、そのまま一度自分の部屋に戻った。
それから5分ほどで1階に戻り、ダリアから弁当を受け取って宿を出発した。その足取りは軽く、じっくりと見るのは初めてである迷宮都市ラータの街並みに、新たに到来する日常を楽しみにしているのだ。
しかし彼は知らない。
この日のとある出会いから始まる、勇者にぴったりな物語に巻き込まれることを。
1人の少女を救う、英雄譚の始まりがすぐそこまで迫っていることを。
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