オレは彼の手へ触れたまま、精一杯に意識して、偉そうな笑みを浮べた。


 とは言ってもオレが浮べる笑顔なんて、意識しなくても歪んだ物になるんだろうけど。

 歩んできた人生の“所為”というか、“おかげ”というか。

 醜悪な笑みとか、人を陥れる時に浮べる様な笑みとか、皮肉る様な笑い方とか。そうした俗にマイナスなイメージで語られる笑顔なら、意識しなくたっていくらでも浮べられる。


 それでも敢えて意識したのは。


 此の人の前では、其れ等さえ呆気なく崩されてしまいそうだったからだ。

 オレが久しく浮べていなかった、もしかしたら今迄1度だって浮べた事のない、喜色だけで彩られた笑顔。純粋なだけの笑顔が、少しでも油断をしたら零れだしてしまうのではないかと、そんな風に思ったから。


 だからオレは精一杯、偉そうで捻くれた笑みを浮かべようと努めた。

 其の成果があったのかは分からない。こんな道端に都合良く鏡なんて落ちていないし、しんば落ちていたところで、今のオレに一々鏡で表情を確認しているだけの余裕なんてないんだから。

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