第27話 支払い

 久しぶりであり三度目の来店になるが、店の様子が変わった感じはしない。相変わらず異様な光景の店だなと思う。無機質な地下空間に並べられたショーケースと呼ばれるベッドは、すべて透明の蓋が被せられている。人体実験施設を思わせる。

 商品の数にも変化がないように思うが、一体仕入れて一体出荷するのだから数は変わらないのかと一人で納得する。ただ、それならばそもそもの商品は出荷もなく仕入れられたことになる。それは一体誰が仕入れたのか。……と考えたところですぐに興味は失せるだろうし、答えてもらえるとも思わない。だからもう気にしない。


「お待たせしました」


 店の打ち合わせテーブルで待たされていた僕にモグラが二人分のホットコーヒーを持って正面に座った。モグラは相変わらず内面を隠すような余裕の笑みを浮かべていて、爬虫類のような顔立ちも健在だ。この余裕の表情は、僕が事前に電話連絡も入れてあったので僕の来店は把握していたということもあるだろう。


「それで今日は戸籍のご購入でよろしかったですか?」

「はい」


 僕がコーヒーを口に運んだところでモグラが言うので、僕はカップを置きながら返事をした。そしてすぐさま鞄から五百万円の入った茶封筒を取り出す。銀行に備え付けの封筒には入りきらなかったので大きめの封筒に入れてあり、その重みをひしひしと感じる。


「これでお願いします」

「かしこまりました」


 封筒を受け取るモグラの笑みは心なしか満足そうにも見えた。僕は警戒心を煽る大金が鞄の中から解放されたことに幾分気持ちが楽になった。モグラが手馴れた様子で金勘定をするのを僕は数分、黙って見守っていた。


「ありがとうございます。確かに」

「戸籍はすぐに付くんですか?」

「一週間以内には完了します。完了した旨はご自宅のポストに戸籍謄本を投函することでお知らせします」


 戸籍謄本なんて重要な書類をポストに投函とは何とも無用心なことである。しかしこれほど人道を外れた商売をしているのだから、もしかしたらそれは郵送などではなく、店の関係者が直接投函しに来るのかもしれない。

 それにしてもこんな商売をよくもずっと同じ場所で続けられるものだ。よほど自信はあるのだろうが、摘発や垂れ込みはないのだろうか。僕が初来店をしてから最早半年以上経っている。


「どうぞごゆっくりして行ってください」


 モグラは僕の手元のコーヒーを示してそんなことを言ってくる。しかし僕は家に彩香を待たせている。あまり長居をするつもりはないのだが、ただそれでも気になることがあるので聞いた。


「僕が仕入れた人材って……?」

「はい。まだ出荷されておりませんよ。ご覧になりますか?」

「はい。見ます」


 そう言ってモグラは僕を案内してくれた。最初に紹介をされた元弁護士の人材はまだ残っているようで、ベッドで眠っていた。仕入前は能力に長けた人物だったのだろうが、空っぽ人間となった今や、年齢的に需要が低いのだろう。

 そして進み、僕はその前に立った。兼房かねふさは仕入れられた時と同じベッドで薄手の検診衣だけを身に纏い、ショーケースとなるベッドで眠っていた。元々彩香が眠っていたベッドである。顔が浮腫んだように感じるが、それ以外は特段変化がないように思う。


「予約とかも入ってないのですか?」

「はい。今のところは」

「興味を持たれたお客さんもいないんですか?」

「申し訳ございません。それ以上のことをお教えすることはできません」


 予約状況は購入に関わることだから教えられるのであろうが、それ以上は顧客情報に繋がるから教えられないのだろう。僕はこれ以上兼房に興味もないので打ち合わせテーブルに戻った。モグラも僕について来る。


「あの……」

「はい。何でしょう?」


 僕は帰宅のために鞄を持ち上げたのだが、もう一つ気になったので、モグラに話しかけた。


「仕入時に戸籍を消すということは、ここにいない商品ではない人の戸籍も消せるのですか?」

「ふっふっふ。可能でございます」


 ドクンと僕の心臓が鳴った。答えた時のモグラの笑い方はどこか僕を見透かしているようで、得意気であった。


「どなたかご希望でも?」


 続けて今度はモグラが僕に問いかける。僕の動悸はどんどん激しくなる。この店で売られていない生身の人間なら躊躇うが、もうすでに動かない、世間では失踪したと思われている人間だ。だから躊躇うなと自分に言い聞かす。


「お金はかかりますよね?」

「いえ。むしろ本来戸籍消去のご依頼は承っておりません。しかしこの度豊永様には御贔屓にして頂きましたので、今回頂戴しました金額でまとめて対応いたしますよ?」

「本当ですか!?」


 思わず僕の声が弾み、この無機質な店内で反響する。反射的に口を手で押さえそうになったが、どうせもう出てしまったものだ。それにモグラは僕が声を弾ませたことで更に得意気な顔に変わっている。……ように見える。


「はい。戸籍は付すも消すもまとめて行えばそれほど手間は変わりませんので、今回は特別に対応させていただきます」

「株式会社○×経理課、溝入理恵」


 ここまでくると僕に迷いはもうなく、この手にかけた人物の名前を口にした。


「かしこまりました」

「よろしくお願いします」

「はい」


 要望を受けてくれたモグラに背を向けて店を出ようとしたところで、僕は再びモグラに向き直った。


「あの……、戸籍消去は本来受けてないのになんで……?」

「当店にも影響が及ぶような事情をお持ちではないかと思いまして。根拠はございませんが」


 このモグラの回答に僕はぞっとした。そして理解した。

 モグラは間違いなく顧客となりうる人間の見分けができる。それだけの目を持っている。キャッチセールスをされた僕のような顧客が、この商売に興味を示すことに自信を持っているのだ。そして興味を示した顧客は購入前から同罪意識を持ってしまい、言われずとも口外無用を守る。

 モグラはそれを見越してこの商売をしている。それだけ人を見る能力が備わっている。だから今日の僕の様子を見て、僕がしたことで店に影響があるのではと察しがついたのだ。それでこの協力的な態度である。


 根拠のない憶測だが、それどころかもしかしたら警察にも圧力をかけられるのではないだろうか。例えばモグラではない、この店のオーナーが。そうでなければずっと同じ場所でこんな商売を続けるなんて不可能だ。だから失踪者の戸籍を消すことを受けたし、それを理由に捜査には至らない。


 ただわからないこともある。それはこの店の存在意義だ。購入者は金を払わずとも取り引きが成立することがある。むしろそれが大半だろう。今日ここに来るまでの僕がそうであったように。オプションこそ多大な金がかかるが、それは店にとって不確定な収入で、金銭売上げが目的なのだろうかと些かの疑問が残る。

 とは言え、知れば知るほどこの店が恐ろしくなる。もうこれ以上深く詮索しない方がいいだろう。僕は「失礼します」と言って足早にこの店を後にした。もう僕がこの店に来ることは二度とないだろう。


 店を出た僕は階段を駆け上がり路地に出た。入店前となんだか景色が違って見えるのは精神的なものであり、気のせいだろう。明らかに僕は動揺している。その動揺はこのセミオーダー人材店に恐怖を抱いたからだ。

 購入前も恐ろしい店だとは思った。しかし、今はその時と比較にならないほど怖いと感じている。もう二度と近づきたくもない。彩香を買ってしまい、そして愛してしまってこの気持ちはもうどうにもできないが、それでもこれで彩香に戸籍が付されるわけだからすべて解決だ。この店の存在はもう僕の中でなかったことにする。


 僕は足早に帰路に就いた。早く帰りたい。彩香のいる家に帰りたい。

 そう言えば、夏のボーナスで買おうと思っていたセミダブルのベッドを、彩香の嫉妬心に圧されて結局それどころではなく買わなかった。もうすぐ冬のボーナスが入るのだし、今度こそ買おう。

 いや、いっそのこともう少し広い部屋に引っ越してしまおう。今やボーナス査定もいいはずだし、毎月の給料も歩合給が段違いだ。収入に余裕はあるのだから、引越しの時にベッドは新調しよう。


 僕はそんな楽しいことを考えながら彩香のいる家に到着し、そしてこの夜も彩香と仲睦まじく過ごした。

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