第四章
第24話 帰省
あの事件から一週間が経ち、僕は平穏な生活が送れている。尤も事件とは言っても、死体も発見されておらず表面化されていないので社会的に事件とは認識されていない。
それでも愛する女性と心置きなく恋人としての生活ができている僕だ。それは人を殺したことで得たものにも関わらず満足しているのだから、やはりどこかもう人の心には戻れないのかもしれない。
週末のこの日は一泊二日で実家に帰省した。従妹の結婚式以来なのでそれほど久しぶりではない。祖父母と両親と兄夫婦とその子供が同居するこの実家は人が多い。と言っても母屋で暮らすのは祖父母と両親だけなので、古い作りの日本家屋は部屋が余るほどあり広く感じる。そこで僕は祖母と二人で話をする機会を得た。
「爺ちゃんは?」
「お爺さんは畑に行ったよ」
祖父母の寝室となっている広い部屋でこたつに入ってテレビを見ていた祖母。僕は声をかけながら祖母の斜向かいで一緒にこたつに入った。祖父がいないのは好都合かもしれない。僕は元来お婆ちゃん子であるし、そもそも今からする話は、その内容を知る人を現時点ではあまり増やしたくない。
「こっちは東京より寒いね」
「そうかい? 向こうでは元気でやってる?」
「うん、ぼちぼちかな」
「くれぐれも体には気をつけてな」
都会暮らしの僕の身を案じてくれる祖母だが、もし僕が人殺しという罪に手を染めたことを知ったらどう思うだろう。そんな心苦しさもあるが、それでも彼女の死体はまず見つからないであろう場所に埋めたのだからと楽観視する自分もいる。
いや、楽観視していないと実は恐怖に打ち勝てないのをわかっていて無理矢理思考をそのように向けている。東京での生活のうちは開き直って現状に満足しているものの、自分のことを気に掛けてくれる人がいる実家に来ると、心情が変化しそれに戸惑う。
「婆ちゃんにちょっと相談があるんだけど……」
「なんだい?」
僕が祖母の様子を窺いながら切り出すと、祖母はテレビから目を離さずに答えた。こういう類の相談は慣れていないので僕の声は弱い。遠慮が拭えないが、二人の兄達は今まで散々甘えてきたのだから開き直れと自分に言い聞かす。
テレビからは昼間のバラエティー番組が放送されているが、映像も音も目と耳から入ってくるにも関わらず一切内容が頭に届かない。
「お金を援助してもらえないかと思って」
「ほう。佑介にしては珍しいね」
相変わらずテレビから目を離さずに話を続ける祖母。窓の外は曇っていて、冬の到来を知らせる秋風が甲高い音を鳴らす。こたつで体は温かいはずなのに、その音だけで身震いをするような錯覚を起こす。
「ちょっといい仲になった女の人がいるんだけど……」
その言葉で祖母はゆっくりと首を回して顔を僕の方に向けた。濁ってしまった目は年齢を感じさせるが、しかしその優しさは健在だ。僕は昔から変わらない祖母の優しい瞳に安心感を覚える。
「そうかい。佑介にもとうとうねぇ」
そう言って目を細めた祖母は本当に嬉しそうだった。騙しているわけではないのだが、それでも後ろめたいことがある僕にはその祖母の表情が痛くも感じた。
「結婚も考えたいとは思うだんけど、その前に解決しなきゃいけないことがあって……」
「ほう、それでお金が必要だと?」
「うん」
相変わらず僕の声は弱い。やはり今まで手を染めてきた出来事が重くのしかかり、それは背徳心を募らせる。
「その様子だと理由を聞くのも止めておこうかね」
「助かるよ」
敵わないなと思う。何があったかまではさすがにわかっていないだろうが、それでも僕の様子から察して深く詮索はしないでくれるのだから。僕がお婆ちゃん子だったからだろうか、祖母は僕の両親よりも僕に対して鋭い。ただその鋭い勘を僕の罪にまで向けないでくれとは切に願う。
「それでいくら必要なんだい?」
「百万……なんだけど……」
「わかったよ。週明けに振り込んでおく」
「ありがとう」
少ない言葉のやり取りで話が決まったことに胸を撫で下ろす。とにかく本題は終わったので、このまま祖母の相手をしようか、それともこの部屋から出ようか、それを考えていたら祖母が言った。
「佑介、一つ約束しなさい」
「はい」
その言い方に僕の心臓は大きく脈打ち、ピリッと背筋が伸びる。祖母は真っ直ぐに僕を見据えていて、隠し事のある僕は居たたまれない。
「その問題がちゃんと解決したら、私に真っ先に紹介しなさい」
「え……、あ、うん……」
拍子抜けとも言える祖母の言葉で一気に力が抜けた。なんだ、そういうことかと。ただ単純に祖母は僕の嫁候補の顔を親族の誰よりも先に見たかったのだと理解した。経済的に甘えるのだから、そのくらいの希望は叶えてあげようと思う。
「わかった。約束する」
そう言うと祖母は皺が増えた顔を綻ばせた。より皺が深くなるのでぐちゃぐちゃの顔なのだが、その明るい表情はやはり僕に安心を与えてくれる。重い十字架を背負った僕だが、祖母を悲しませないようになんとか前を向こうと思う。
そう、悲しませてはいけない。だから僕は罪に問われてはいけないのだ。今の幸せな生活をこの先ずっと送っていくのだ。
今回の帰省の目的を果たした僕は電車に乗り込み、都内の自宅を目指した。外の空気は凍てつくほど冷たかったが、電車の座席の下から吹く温風は足元から僕を暖めてくれる。
僕はコートのポケットからスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開いた。そして文章を打つと送信ボタンをタップした。
『今帰ってるよ。夕方には着くと思う』
『ご飯作って待ってるね』
自宅にいる僕の恋人とのやり取りだ。たった一人だけの恋人である。家政婦でもなく性奴隷でもない僕が愛するたった一人の女性である。僕は返信されてきたそのメッセージを愛おしみながらスマートフォンをポケットに戻した。
車窓から見える景色は地方の都市から都会に変わりつつある。建物など人工的なものばかりが目に付くが、時折見える街路樹は葉を茂らせていない。これからどんどん寒くなるのだと季節の変わり目を感じる。
次に帰省するのは年末年始の予定である。その時には婚約者として恋人を紹介できたらと切に願う。平和的にはいかなかったが、それでも金の都合もついて問題が片付きつつあり、徐々に心が軽くなっていくのがわかる。
そんな風に耽りながら数時間電車に揺られて、僕は都内の自宅の最寄り駅に到着した。ホームに降り立った時点でコートの襟元をしっかりと締める。そして改札口を抜け自宅に向かう僕の足取りは軽い。
一泊二日の帰省。たったこれだけ離れていただけなのに随分と会っていない気になっている。早く僕の恋人に会いたい。歩を早め、頬で風を切ればその冷たい空気の痛さは増すが、待ってくれている人のことを想うと気にならない。
やがて自宅アパートに到着し、僕は逸る気持ちを抑えて玄関ドアを開けた。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい、佑介さん」
僕の姿を確認した途端、嬉しそうに破顔させて僕の胸に飛び込んでくる恋人にもう一度言う。
「ただいま、彩香」
「お帰りなさい」
僕の胸で心地良さそうに頬ずりをする彩香。僕は彼女を抱き返しながら頭を撫でてあげる。そして彩香の気の済むまでそうしてあげると彼女は顔を上げるのだ。
「コート冷たい。寒かったでしょ?」
「うん、まぁ」
「ご飯できてるけど、先にお風呂入る? 沸いてるよ?」
「じゃぁ、そうしようかな」
「私も一緒に入っていい?」
「うん」
これだけの会話を交わしてやっと僕は靴を脱いで部屋に上がった。すると愛する彩香がコートを受け取ってくれて、やがて僕達は一緒に脱衣所となっている洗面所に入った。
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