第22話 最後の晩餐
彩香に戸籍がないことを把握している溝入さんだが、それ以上のことを深く詮索しないのは実にありがたい。それどころか僕がこの日犯す罪に協力もしてくれるわけだし。尤も、溝入さんにもメリットがあるわけで、既に溜まっている不満の解消の意味もあるのだ。
土曜日のこの日、僕は午後から彩香を連れ出した。所謂デートであり、昼食を外で食べようかと誘うと彩香は満面の笑みを浮かべて支度を始めた。普段から嫉妬深く束縛の強い彩香だが、僕が優しさを見せれば何も疑うことなく素直に喜びを表現する。ここ最近は僕が素っ気なくしているのでその喜びもひとしおだろう。
「そんなに嬉しいの?」
イタリアンの店でわかっていながらも昼食の席でこんな質問をする僕は、自分の腹はどこまで黒くなったのかと思う。しかし彩香は無邪気とも言える笑顔を見せて答えるのだ。
「そりゃね。佑介さんとお出かけするのも久しぶりだから」
そう言って手元のパスタを口に運ぶ彩香の浮かれた心情が手に取るようにわかる。ここ数カ月はその浮かれた気持ちを僕も大きな波をもって抱いてきたわけだし。その相手は彩香に始まり今では溝入さんだ。ただ、彩香の浮かれた現状を利用しない手はない。
「それなら今日は一日デートにするか?」
「え!?」
目を丸くして胸元で空中にフォークを止めた彩香は、実にわかりやすく瞳を輝かせている。仕事もしていなければ、学歴も不明で友達はいない。それどころか肉親の存在すらも不明である彩香だ。何も予定を入れていないことは明白で、断るわけがないと思っている。そしてそれは案の定であった。
「うん、うん」
勢いよく何度も首を縦に振ってはその邪気のない笑顔で僕からの誘いを受け入れる。よほど嬉しいのだろう。一方、僕は内心ほくそ笑んでいる。うまく出し抜くことができたと満足で、僕の心に彩香はもういないのだとしみじみと感じる。
「どこ行きたい?」
これが彩香の人生最後のデートであり、行楽である。できる限り彼女の希望は聞いてあげようと思う。僕でもそのくらいの気の利かせようはあるようだ。
「えっと……」
途端に俯き加減で上目遣いに僕を見据える彩香。その表情の意味がわからず、僕は解せない。
「私が決めてもいいの?」
「そりゃ、こっちが聞いてるんだからもちろん」
「見たい映画があるんだけど……」
「え? それだけ?」
思わずきょとんとして間抜けな声を出してしまった。僕にとって映画はデートの定番だと思っているのに、なぜこうも遠慮がちなのか。
「うん」
「他には?」
「佑介さんにお任せでもいい?」
「あぁ、うん。なんでそんなに遠慮がちなの?」
「最近佑介さんが私といるのがつまらなそうだと思ったから、我儘言っていいのかなと思って……」
その回答に一瞬、唖然としてしまった。しかし僕の中で一つの理解が生まれる。彩香は止められないながらも束縛をしていたことで僕に多大な遠慮をしているのだ。恐らく嫌われるのが怖いのだろう。それは僕が溝入さんに抱く感情と同じでよくわかる。
「ごめん、つまらなそうとか失礼なこと言って」
慌てて言い繕う彩香は止まっていた食事の手を進めた。嫉妬深く、それ故の行動抑制ができない彩香だが、頭ではわかっているようだ。それならばしっかりと理性を働かせてほしいとも思うが、そう僕が感じる窮屈な生活も今日までだ。今更遅い。
逆にその理性が働かなかった彩香に対してなんでだと不満が溜まり、沸々と殺意が湧いてくる。これは今夜の決行を前にいい兆候で、深夜までにはこの殺意がしっかりと整ってほしいと願う。
「映画見たら買い物でもして、夜も外食したらレンタカー借りて山に夜景でも見に行こうか?」
表面上は穏やかな表情を意識して、内心はニンマリと笑って僕は彩香に言った。すると咀嚼もままならない彩香は勢いよく顔を上げた。見せたばかりの恐縮そうな顔はどこにいったのかと思うほど破顔させている。
「行く! 行きたい!」
口の中を隠すこともなく答えた彩香だが、今日までの命だ。僕は今のうちに楽しんでいればいいさと心に余裕をもってそんな彩香を見た。
「嬉しい。今日は午後からずっと佑介さんとお出かけだ」
言葉のとおり嬉しそうに目を細める彩香はやはり魅力的だと思う。彩香にとってこの日は当初ランチのためだけのつもりだったにも関わらず、しっかりと化粧を施し服も可愛いものを選んでいるのだから。しかしそんな彩香を見ても、彼女を殺すことに対して僕の決心が揺るがないことに安堵を覚える。
そう、決心は揺ぎない。後は殺したいと思う強い感情だけだ。それがまだ整わないのは、彩香が家事と性処理を施してくれた最近の生活による僕の気の緩みだろう。
この後、昼食を終えると僕たちは店を出て早速立てたばかりのデートプランに沿って動き始めた。彩香にとっては立てたばかりのデートプランだ。しかしその実は僕と溝入さんが念入りに練った死へのカウントダウンが始まるデートである。
長年連れ添ったカップルや夫婦なら、倦怠期であるにも関わらずこのような計画を立てれば怪しむのだろう。僕にはその辺りの事情がわからないが、これは溝入さんからの受け売りである。
しかし彩香の場合は、精神年齢を確保するだけの最低限の記憶が付されているだけだ。尤も、人工的に作られた仮初の記憶であるが。ただ、結局は作られた記憶だ。人生経験はほとんどないに等しい。更には存在意義が僕の恋人ということで彼女を盲目にする。だから警戒心が薄い。
今までの生活でそれを知っている僕は彩香ならわざとらしくてもデートに誘った方こそ、浮かれて事がうまく進むと確信していた。溝入さんはそのことに疑問を呈したが、僕が自信満々に言うものだから、彩香の連れ出しに関しては僕に一任してくれた。そして今の彩香の反応を見る限り僕の思惑は案の定である。
この後、彩香が見たいと言っていた映画を見た。彩香は食材や日用品の買い物くらいしか外に出ないので、自分の時間と言えば専らテレビを見るかインターネットくらいだ。それに加えて時々レンタルDVDを見るくらいなので、自分から希望する屋外での娯楽と言ったら映画なのだろう。
映画が終わって映画館を出ると、彩香は実に楽しそうに僕の腕を抱え込み、映画の感想を語っていた。彩香を買ったばかりの頃の僕は、彩香と映画を見た後はそれを微笑ましく思っていたなと思い出す。
そして映画館があるショッピングタウンで買い物をして、デートにはみすぼらしくない程度の中華料理屋で夕食を取った。食事中はこれを正に最後の晩餐と言うのかと感慨深く思ったものだ。
食後はレンタカー屋に行って乗用車を借りると、早速夜のドライブへと車を走らせた。思いの外デートの進行はスムーズで、まだ深夜と言うには早い時間だ。時計を見ると二十時三十分。溝入さんが指定した場所までおよそ一時間半で着く計算だが、溝入さんとの約束は深夜零時である。二時間ほど余ってしまう。
高速道路などを乗り継ぎ、都会の賑やかな景色から離れ山道に差し掛かった辺りで僕はラブホテルを見つけた。
「ねぇ、彩香」
「ん? なに?」
辺りは暗いしハンドルを握っているので、僕に振り向いたと思われる彩香の表情は僕には見えないが、その声色から彩香は楽しそうである。この日は家を出てから終始彩香の表情は明るい。
「そこ、寄って行かない?」
「え? エッチしたいの?」
「うん……。明日は仕事休みでどれだけ遅くなっても問題ないし、つまり時間はたっぷりあるから」
「もう、しょうがないな」
言い方とは裏腹に喜びを隠せない様子の彩香の声色。そう、彩香はこの夜が最後の命なのだ。それならば最後の最後までその使命を果たしてもらおう。
僕はハンドルを切るとラブホテルに入り、そこで溝入さんとの約束の時間が許す限り、心行くまで彩香を抱いた。まだ時間があるのだから、早まらないように高ぶる気持ちを抑えたかったのだ。そしてその行為の最中、彩香に対しては初めてのことをした。
「今日は、ゴム着けないの?」
「ダメ?」
「えへへ。いいよ、来て」
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