第18話 方法模索

 溝入さんと会うのも一苦労である。この日出張から帰ってきた僕は都内のシティーホテルで溝入さんと会っている。翌日はお互いに有休を取っていて、彩香には出張がもう一日だけ長いと嘘を吐いた。こんな機会でもなければ溝入さんとも会えないほど一緒に暮らす彩香の束縛から逃れられないのだから、溝入さんが言うように本当に不倫のようだ。

 溝入さんにそういうことへの不満はあるようだが、それでも今のところはなんとか僕の都合に付き合ってくれている。それは今話している計画の実行を思えばのことだろう。


「とにかく殺害と死体を人に見つかってはだめです」

「はい」


 髪を結った状態の溝入さんは広いバスタブで僕に背中を預けている。溝入さんの腹に回した僕の腕が締まると、彼女は心地良さそうに僕の肩に後頭部を預ける。僕の頬は溝入さんの結われた髪でくすぐったさを感じる。

 月も変わり屋外は涼しいのだがそれは日中の話で、日が暮れると肌寒くもある。まだ冬を感じさせる程のものではないが、それでもこの温めのお湯と溝入さんの肌は僕の体を温めてくれる。


「やっぱり山に埋めるとか海に沈めるとかでしょうか?」

「それは少し古いやり方ですね」

「そうなんですか?」

「今では産廃業者が所有する溶炉に落とすのが、痕跡の残らない上手な死体の処理方法だそうですよ?」


 ぎょっとするようなことを言う溝入さんだが、そもそも殺人という計画を練っているのだから僕に言えたことではない。


「とは言え、そんな施設にコネはありませんよね?」

「はい、ないです」

「ならやっぱり山かな。海よりは目立たないでしょうし」


 結局行きつく先は元の案のようだ。いくら失踪したところで事件になりにくい戸籍のない彩香とは言え、殺害現場と死体が見つかってしまっては本末転倒だ。これには細心の注意を払わなくてはならない。


「えっと、実行はどこで……?」

「連れ出せます?」

「山にですか?」

「はい。隠す場所で殺した方が効率的ですし、見つかりにくいですから」


 それは問題ないだろう。より見つからないようにするため時間帯は真夜中がいいと思うが、深夜のドライブデートだと言えば彩香なら喜んでついて来るだろう。彩香はデートという言葉に飛びつくから。


「わかりました。連れ出します。夜中の方がいいですよね?」

「ええ、そうですね」


 ホテルの浴室で反響する溝入さんの声は甘く艶やかに響く。その声に魅了された僕は腕の中にいる彼女を早く抱きたい衝動に駆られるが、今この話を疎かにしては自分の首を絞めることに繋がるのでグッと堪える。


「豊永さん、お車は?」

「学生時代は持ってたんですが、就職する時に必要ないかと思って処分しちゃいました」

「そうですか。ならレンタカーを二台使いましょう」

「二台ですか?」

「はい。私が先に道具を持って現場で待ってます。豊永さんが到着したら実行です」

「わかりました」


 その光景を想像して思わず僕は武者震いがした。それは確実に溝入さんに伝わってしまって、「ふふ」と上品に笑った溝入さんは僕の腕から抜けると僕に振り返った。そしてバスタブの中で僕に跨ると僕の頬を両手で優しく包んでくれた。


「大丈夫ですよ。豊永さんは一人じゃないですから。私がついてます」


 そう言って優しく、そして深くキスをしてくれた溝入さん。その感触が心地よくて、気持ちよくて、そして僕は言いようのない安心感に包まれた。


「因みになんですが」


 僕の頬を包んだまま話を続けようとする溝入さんは素の表情でノーメイクなのだが、それでもその美貌は衰えず、僕の心をくすぐる。洗ったばかりの髪がしっとり濡れているのもまた色気があって心を奪われる。何度肌と唇を重ねても未だに小悪魔のような彼女の魅力には胸を射られる思いだ。


「戸籍がないってことは、DNAはどうなってるんですか?」

「え?」

「例えばどこかに保存されているとか。犯罪歴のある人とかだったら警察がDNA情報を保存してたりしますし」


 そうなのかと納得すると同時に溝入さんは詳しいんだなと感心もする。かなり頭が切れるようだ。そしてそのDNAに関してだが、変えていないことをモグラから聞いたなと思い出す。


「変えられてはいないです。戸籍を消された時に指紋も顔も」

「え!? 戸籍って最初からなかったんじゃなくて、あったものを消されたんですか!?」


 しまった、と内心僕は頭を抱えた。かなり余計なことを言ってしまった。もし深く詮索されてはセミオーダー人材店に繋がってしまう。店主のモグラは裏営業をしているにも関わらず、その秘匿性に絶対の自信を持っていた。それは顧客も犯罪に手を染めたことによる口止め効果があってのことだろう。

 更に言うと、これは兼房のことも辻褄が合ってしまう情報だ。顎に指を当ててその綺麗な黒目を上に向ける溝入さんは今勘ぐっているのだろうか。一気に僕を動揺が襲う。しかしここであまり深入りしてこないのが溝入さんだ。


「それなら血が出ない殺し方がいいですね」


 殺し方のことを考えていたのかと僕は胸を撫で下ろす。ただ確かにDNAの情報は変えられていないのだから、溝入さんが言うように血を流させるのは得策ではないだろう。もし返り血を浴びてしまったら、被害者の証拠を自分に残してしまう。


「ロープを用意しておきます」

「絞殺ですか?」

「そうです」


 小悪魔のような笑顔で微笑んでまたキスをしてきた溝入さん。そのキスは僕の決心を揺らがせない効果があるようで、ここまで頭の切れる溝入さんならそれも計算の上でしているのかもしれない。そう思いつつもやはり媚薬のようなこのキスは気持ちよくて、まんまとその考察も意識の外に飛ばされる。

 しかし一度冷静になると殺人を目の前にして恐怖が襲ってくる。奴隷を買ったことと同義である彩香の購入をしておいて、僕の手はすでに真っ黒に汚れているにも関わらず怖気づくのだ。


 真夜中、ベッドで寝息を立てる溝入さんを横目に起き上がった僕はベッドから離れてスマートフォンを操作した。彩香からの不在着信で着信履歴が埋められている。途中までは彩香からの様子を伺う電話にしっかり付き合っていたが、溝入さんとの行為が始まってからは着信を知らせるスマートフォンをずっと無視していた。

 僕はスマートフォンの電話帳を開き、セミオーダー人材店のモグラの名前をタップした。耳に当てたスマートフォンからコール音が響くが、それもすぐに消えた。そしてあの不敵な笑いをイメージさせる声が聞こえた。


『ご無沙汰しております、豊永様』

「夜分遅くにすいません。お聞きしたいことがありまして」

『何でございましょう? 戸籍のことでしょうか?』


 ここでそう言えばと思い出した。モグラに対して購入後に戸籍を付すことができるのかの質問をしてから、モグラに一切連絡をしていなかった。しかし今日の話題はそれではないので、僕は話を切り出した。


「いえ、そのことではなくて。購入後の人材をお返しすることはできますか?」

『申し訳ございません。人材の返品と、購入人材の仕入れはできないことになっております』

「そうですか……」


 予め説明を受けていたわけではないが、やっぱりかと思った。なんとなくであるがそんな気がしていた。するとモグラは説明を続けた。


『人材を再度商品にすることは、記憶の再消去などの観点から脳が耐えられるか未知数でございます。それなので購入した人材はご購入者様に責任を持っていただいております』


 そんな大事なことは最初に言うべきだろうとも思うが、こんな商売、消費者センターに駆け込めるわけもないので言葉を呑み込む。僕は「わかりました」と言って電話を切ると窓の外を見た。

 都会の街の明かりが真っ暗な海の中に夜景となって浮かんでいるが、何故だか綺麗だとは思えない。それは僕の心情によるものだろうか。その手前には窓に映る裸の自分がいて、なんだかそれが滑稽であると感じた。

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