第6話 口車
週中のこの日、僕は
小春日和と言った感じの天気で、屋外は随分と明るい。車内にいるので肌では感じないものの、街路樹が揺れている様子はないので風は弱いのだろう。
「溝入さんと飲みに行く予定は今週の土曜日だっけ?」
「あぁ、うん。二人の予定だから加えてやれねぇぞ?」
ハンドルを握る兼房はおどけたように笑う。これはあくまで切り出しであって僕の思惑は別にあるから、羨む気持ちも残念な気持ちも抱かない。僕は気持ちに余裕を持って話を続けた。
「それはいいよ。金曜日あたり仕事帰りに一杯どう?」
「ん?
「うん。いい女の子がいる店を見つけたんだよ」
「ほぉぉぉ」
兼房の視線は運転のため前方だが、その声色と表情からふんだんに興味を示したことがわかる。ただしかし、今まで浮いた話の一つもなかった僕から突然こんな誘いも不自然なので、できるだけ自然に近づくように言葉を足す。
「凄く気に入った子がいるんだけど、一人で入りづらい店だし、どうやって女の子と距離を縮めるのか兼房のトークを見習わせてほしいと思って」
「ふむふむ、なるほどな。て言うことはキャバクラか?」
「まぁ、それは行ってからのお楽しみってことで。他にもいい子いっぱいいたから」
「よし、わかった。今週の金曜日は空けておく」
兼房が乗り気なようでひとまずの安堵を覚えるが、反面、人を陥れるような誘いをするのはやけに心臓が暴れる。それは緊張と恐怖はもちろんのことであるが、どこかに妙な興奮がある。この時の会話はその高揚とにやける表情を抑えるのが精一杯だった。オート設定の車内の空調が僕の顔の笑い皺を伸ばしてくれるようだ。
「て言うか、今でも不思議なんだけど、なんで豊永には女が寄ってこないんだ?」
その言葉で僕の頭に疑問符が浮かび、僕は兼房を見た。そんなことがわかっていれば苦労はしないのだが、それを女慣れしている兼房が疑問に思うことが僕としては疑問だ。
「ブサメンではないし、経済的に恵まれてるじゃん?」
「は? 営業成績も悪い僕が? 経済的に恵まれてる? やめろよ」
思わず鼻で笑ってしまったのだが、これは自分を卑下する笑いであるので悲しくもある。
「いやいや、豊永って地方出身とは言え田舎ではない街の地主の息子の三男坊だろ?」
「うん、そうだけど」
「それって将来の相続を考慮したらモテ要素じゃん」
「え? そうなの? 高校生の時まで地元にいてほとんどの同級生がそれ知ってたけど、そんな理由でモテたことない」
「ガキの頃と一緒にするなよ。女は社会人になると……いや、今では大学生だってそういうところに目を光らせるぞ」
それは知らなかった。大学進学と同時に上京した僕だが、そんなことをアピールしたこともなかった。確かに実家は経済的に恵まれているし、多くはなかったが大学生時代は生活費の仕送りももらっていた。奨学金も借りてはいない。
「昨日それ、溝入さんのグループに話したら興味もってたぞ」
「は? 話したの?」
兼房はハンドルを握りながらクツクツと笑う。特段隠していたわけではないが、積極的に言っていたわけでもない僕の個人情報。それこそ入社すぐの頃、ふとした話題から兼房にしか言っていない。それをネタにされたことに驚いたわけだが、減るものでもないからいいかとも思う。
と言うか、兼房は何故自分に言い寄ってくる女性にわざわざ僕のアピールになる話なんてしたのだろう。……と思ったが、そう言えば彼は女に困ることのない人種だ。他人を褒めて一人や二人自分から離れたところで、兼房にとっては痛くも痒くもない話なのだ。それどころか僕ごときと比較したところで、自分から女が離れていかない自信があるのだ。
女に慣れている兼房は女が求めるものをしっかり把握しているのだなと、好きになれない奴ながらも感心した。確かに高校生くらいまでは容姿やスポーツができるなどの理由でモテる奴はいた。それが今でもスタンダードだと思っていた僕は、どうやら完全に取り残されていたようだ。こういう関心のなさも素人童貞をこじらせた要因の一つだろう。
ただしかし、思惑があったとは言え、僕からこんな話題を振ったことで兼房は調子に乗り、この移動中、ずっと彼の武勇伝を聞かされた。彼自身のプレイボーイネタはやっぱりいい加減うんざりであるし、疎ましい。
やがてこの日、多少の残業をしてから退社し、自宅最寄り駅から自宅までの徒歩の道中、僕はスマートフォンから電話をかけた。相手はモグラである。
『豊永様、ご連絡ありがとうございます』
「仕入れる日程が決まったので、予約をしたいと思いお電話しました」
『ご予約ありがとうございます。仕入日はいつになりますでしょうか?』
「今週の金曜日の夜中になります」
兼房を誘った時とは何か違う高揚感が僕を襲う。僕が歩く歩道脇の車道からは眩いばかりのヘッドライトが僕とすれ違う。夜風は弱く、歩いているだけではあまり感じない。
『かしこまりました。仕入人材は兼房正二様、購入人材はNo.4でよろしいでしょうか?』
「はい」
『では本日より一週間、No.4を豊永様のご予約とさせていただきます』
「お願いします」
人権を害した人身売買に僕は加担する。この返事でそれがはっきりと決まった。僕の心臓はより一層高鳴るが、それに構うことなくモグラは続けた。
『存在意義はいかがなさいますか?』
「僕の恋人で」
『かしこまりました。能力はいかがなさいますか?』
「家事能力ってありますか?」
『ございます』
「ではそれで」
『戸籍と有料のオプションはいかがなさいますか?』
「それはなしでお願いします」
セミオーダー人材店を訪れてから僕はずっと考えていた。No.4と呼ばれた人材が欲しくなり、そして兼房を仕入れることを、ずっとイメージしてきた。兼房を仕入れる方法はこの日の昼間の会話のとおりだが、これはすぐに思いついた。女にだらしない兼房なら乗ってくるだろうとそれなりの自信はあった。
しかし買った人材について気づいた。当初は戸籍を付したいと思っていた僕だが、そこまですると学生時代からコツコツ溜めた貯金が底をついてしまう。戸籍さえあれば成人女性なので保護者も必要なく働くこともできるだろう。けど彼女は元々誘拐されたヒトだ。社会に出すことへのリスクはないのだろうか?
それを危惧するとできるだけ外出は控えさせた方がいい。と言うことは僕が養わなくてはならない。それならば結局戸籍がないことにあまり不便はないのではないだろうか? ならば余計な金は使わず、人材に家事能力を付して、外出は生活用品程度の買い物とか、二人で遊びに出る場合は遠出するなりしようと考えたのだ。
『かしこまりました。それでは当日、ご来店のお時間がわかりましたらご一報ください』
「はい。よろしくお願いします」
モグラは最後に『心よりお待ち申し上げます』と丁寧に言って電話を切った。彼の不敵な笑みが鮮明にイメージできる。今も電話の向こうではあの爬虫類のような顔立ちで、その笑みを浮かべているのだろう。
罪悪感や背徳心がないわけではない。それでも抑えきれない興奮を抱きながら僕は到着した自宅アパートの玄関ドアを開けた。真っ暗な1LDKの部屋に人の気配はない。しかしこれがもうすぐ変わるのかもしれないと思うと、不思議な感覚に襲われる。
買ってきた惣菜で食事を済ませ、風呂も済ませると、僕は抑え切れない興奮を下半身にぶつけた。思い浮かべるのはNo.4と呼ばれた二十歳の女の人材。本当に僕の恋人になるのだろうか。未だ信じられない気持ちもあるが、それでも映像や雑誌などの媒体もなしに僕はこの晩、何度も自慰行為に耽った。
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