第2話 キャッチセールス

 中年、出っ歯、短足チビで髪型は七三。服装はダーク色のYシャツである。爬虫類にも例えることができそうな顔立ちの男は、不敵とも取れる笑みを浮かべて僕を見据えていた。明らかにキャッチセールスなのだが、思わず足を止めたのはこの男が言った「人材を欲していませんか?」に耳が慣れていないからである。

 キャバクラや風俗とは明らかに違うセールストークであり、興味を示したわけでもないのに、理解が遅れて……いや、未だに理解ができず、足を止めてしまった。そもそも風俗通いに慣れている僕は普段なら店の情報を調べてから入店するので、キャッチセールスに目をくれることはない。


「人とはね、いつしも誰かを欲しているのです」


 なんだろう。宗教の勧誘のようにも聞こえてきた。やっぱり無視してこの場を去ろうか。


「仕事のアシスタント、家政婦、友達、後ろ盾、恋人など。それを当店はセミオーダーにてご提供することができます」


 去ろうとして一度は視線をこの爬虫類男から外した僕だが、再び男を見据えた。恋人……、この男の言いたいことが今一わからない。更にはセミオーダーと言ったか? しかし思い直す。やっぱり怪しい。どう見繕っても如何わしい。とりあえず「当店」と言った時点で商売であることは確信できた。


「まぁ、まぁ、そんなに疑わず。少しだけ私のお話を聞いて下さい」


 思考を読まれた? いや、どう考えても怪しい売り文句を口にする男は慣れているのだ。僕のように怪しいと思う思考を抱かれることに。


「お金がかからないこともありますよ?」

「ん?」


 初めてこの男に対して僕から声が発せられた。余計に分からなくなってしまった。商売をしていると思っていたこの男から、金がかからないこともあると言われたのだから。この男の目的は何なのだ? 反社会的組織の構成員には見えないが、外見だけでは判断できない。やはり相手にしないことが一番か。


「すいません、急いでいるので」


 僕はそれだけ言って足早に歩を進めた。しつこいキャッチセールスならついてこないだろうかと心配もしたが、それは杞憂に終わった。そしてそのまま駅まで到着したのだ。


 電車を待つホームには様々な人がいた。頬を赤らめたスーツ姿のサラリーマンは二人組みだ。一人は年配で一人は若い。年配が得意げに仕事の薀蓄を話しているようで、若手はそれに対し上手に相槌を打っている。

 男女のペアは男がスーツ姿で女が小奇麗な格好をしている。肩の距離が密着するほど近いのでカップルだろうか。僕は仕事帰りのデートだと予想した。

 高校の制服姿のカップルもいる。こちらはしっかりと手を繋いでいて、女子生徒の方が男子生徒の顔を覗き込むように顔を近づけて話している。そんなに密着しなくても話はできるだろうにと思うのは、ただの僻みによる嫌味だ。


「人材ね……」


 生まれてこの方友達が多いわけではなかったがいないわけでもなかった。ただ、恋人がいたことはない。生粋の素人童貞だ。キャッチセールをしてきた男の言葉が思い浮かぶ。恋人とは買えるものなのだろうか?

 例えば、法令に触れることをすれば一時的に恋人を得ることはできる。ただしかし、彼女達はプロだ。風俗やキャバクラでもそれは同様で、恋人気分を味わわせてくれる。しかし仕事を離れた場でも互いを想い合う恋人という存在を僕は知らないし、そういう付き合いを経験したことがない。


 爬虫類男の言葉の真意はどちらにあるのだろうか? 女にキャッシュバックがある風俗やキャバクラも含めて、女に金を払って男女の付き合いをするのなら女はプロだ。しかし、人材を買うということは店には金を払うのだろうが、女に金を払うことになるのだろうか? ならないのなら後者の期待も持てる。……のだろうか?

 更に分からないのが男の言ったセミオーダー。人材をセミオーダーで買えるとはどういうことだろうか? 人材派遣でもそんなことはできない。求める人材を吟味し、面接をして、派遣契約で会社に迎え入れるのだ。僕の認識するセミオーダーとは、特にオーダーとは自分の求める何かを付して買うことだ。


 真っ暗な夜空はホームの屋根が隠していて、線路の先の景色は明るいネオンが輝く。暗い世界に灯された人工的な灯かりは、大学進学時に地方から出てきてもう随分と見慣れた。そんな人工的な灯かりをホームに入って来た電車が遮るが、その電車もまた車内灯が明るい。距離が近い分、その明るさはより顕著だ。

 電車の扉が開くと無表情な群集が続々とホームに流れてきて、それが止むと律儀にホームで列を作っていた群集が電車に乗り込む。列から外れていた僕はその様子を見ながら突っ立っていた。そして僕の目の前で電車の扉は閉まった。


 僕は乗り込むはずだった電車を見送ると階段を下りて、やがて駅の外まで出た。あの爬虫類のような男はまだいるのだろうか。足早に僕を追い抜く群衆を脇目に、僕は敢えてゆっくりと歩を進めた。

 雑居ビルが乱立された都会の路地を一つ、二つと折れていく。大通りからは幾分中に入りやや暗くはなったものの、やはりネオンは店の顔として光で自己主張をしている。


 そしてたどり着いた場所は都会の路地裏で、幾分この場所は暗い。確かにここであった。あの爬虫類のような顔立ちの男から声をかけられたのは。しかし、その男はもうこの場所にいないようだ。

 あれほど怪しいセールストークに僕はなぜ興味を示しているのだろう。成績が悪いとは言え、僕も営業職の端くれだ。如何わしさの見分けはある程度できると自負している。それなのに、話を聞けるはずの男がいないことに僕は肩を落としてさえいた。


 来た道を引き返し、駅に向かって歩き出した。今度こそ電車に乗って帰ろう。明日も仕事がある。いくら仕事に対してモチベーションが低い僕とは言え、遅刻や無断欠勤はしない。だから体調を整えるために帰ってもう床に就こうと思う。


 そして最初の角を曲がった時だった。


「お戻りですか?」


 大きく心臓が跳ねて僕の肩が上下した。曲がった先にいたのはあの男だ。男は相変わらず爬虫類のような顔立ちに、不敵な笑みを浮かべていた。それにしても「お戻りですか?」とはよく僕のことを覚えていたものだ。それほど時間が経過していないとは言え、ここは数え切れないほどの人が行き交う都会の街中だ。


「ご興味ありますか? 人材のセミオーダーに」

「どういうことですか? 人材のセミオーダーって」


 如何わしいという疑念は晴れない。それでも興味が勝ってしまったのだと、僕は即答で質問を返したことで理解してしまった。初めて僕とコミュニケーションが取れたことに喜んでいるのか、はたまた僕が食いついたと思っているのか、男の不敵な笑みはより深くなったように感じる。


「ここでは何ですし、詳細を説明するためにもお店の方へどうぞ」


 ここで話すことに躊躇いがあるようだ。つまりは後ろめたいことをしているのだとはっきり分かった。非合法の可能性だってある。やはり考え直そう。僕は男から視線を外し、帰宅という選択肢を取った。しかし、背を向けた僕の意思を読み取ってか男は言葉を足す。


「欲しくありませんか? 都合のいい女とか、若しくは自分好みの恋人とか」


 二歩踏み出した僕の足は止まった。片耳が一回り大きくなってピクンと反応したような錯覚も覚える。この男はなぜ僕が女に飢えていることを知っているのだ? 僕の思考を知ってか知らずか男は続けた。


「いやね、貴方様がこの先のお店から出てくるのを見掛けたものですから」


 失笑を含むような声色にも聞こえたが、尤も背を向ける僕に男の表情は見えていない。この先の店とは考えなくてもわかる。先程まで僕が利用していたソープランドだ。


「どんな人材がいて、どんなオーダーを付すことができるのか、それだけでも見て行きませんか? 商品は店内に陳列しておりますので」


 僕はゆっくりと男に振り返った。薄く笑みを浮かべた男の表情は最初に見た時からほとんど変わらない。


「お気に召さなければそのまま退店なさって頂いて構いません。不当に金銭を巻き上げたり、身の危険を感じるようなことは一切いたしませんので」


 そう言っている時点で怪しいと思うのだが。この男だけなら非力そうなので自分の身は守れそうな気もするが、その店内に他にどんな人物がいるのかもわからない。不安は拭えない。それならば……


「ホームページとかはないんですか?」

「申し訳ございません。店頭販売のみであります」


 どんどん選択肢が削られていく。店のホームページがあればある程度の様子を探ってから入店することも検討できたのだが。こんな調子だと口コミ情報も期待できないだろう。


 数分だろうか、数十分だろうか、僕は時間感覚も失うほど無言で迷った挙句結論を出し、足を一歩動かした。

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