甲子園の土にまつわる、知られざる悲劇と無慈悲

 甲子園。それは、高校球児達の青春の一幕。


 甲子園に出場したものの、敗北の憂き目にあい、あえなく敗退する者達は多い。

 ほんの一握りの一校に、栄冠が輝く場でもある。


 その分、負けた高校球児達は、その悔しさと共に、【甲子園の土】を持ち帰る伝統がある。




 さて、負けたら甲子園の土を持ち帰る。その伝統は何処で何故始まったのか、真実を知る者は・・・多分、極少数になるかならずや? そして、実はその続きには、悲惨な現実が待ち構えているということも、当事者にすら、想像すら浮かばなかった事実。



 甲子園の土を【最初】に持ち帰ったのは、沖縄の高校球児達。らしい。

 当時の沖縄は、戦後であったこともあり、アメリカの占領地だった。

 それでも、高校球児達は甲子園出場に憧れ、全力を出し切り、甲子園への切符を手に入れた。


 そして、全力を出し切った後、あえなく敗退を余儀なくされた。

 そして、自分達の青春を捧げ、戦い抜いたその記念に、球場の土を持ち帰ったという。【本土の土】を持ち帰るという意味で。


 さて、ここまでで何処が悲劇なのか、割とありふれたものとも思われるだろう。


 だが、本当の悲劇は、待ち構えていた。


 あえて言うなれば、それは、アメリカ軍が行った。その悲劇的な行為は、アメリカ政府公認の元、行われたという。




 それは検閲中に容赦なく、無慈悲に行われた悲劇。

 沖縄の球児達は故郷、沖縄に帰還後、全ての【甲子園の土】を没収され、その全ての【甲子園の土】を問答無用で廃棄されたという。


 その当時の沖縄はアメリカ合衆国であり、日本=他国の【土】は検疫のため、一切の持ち込みが禁止されていた。


 検疫としては、正しくあり。

 高校球児達からすると、青春の記念としての一欠片を、【ゴミ】として捨てられるという悲劇だったという。


 そして、その悲劇はあまり知られずに、甲子園の土を記念に持ち帰るという行為だけが、恒例として残されたのだという。



 当時の頃を知る人から聞いた話のため、多分信憑性は高い。

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