第406話 アル君の一人で買い物できるかな? その2

 アルキエルが外出してから、少し時間が経過してペスカ達が家を出た。

 普通なら、もう電車に乗っていてもおかしくはない。しかし、アルキエルの姿は、駅で見つけることが出来た。


「おい! 俺は聞いてるだけだろ! 逃げんじゃねぇ!」


 アルキエルは、帽子を被った人へ、手当たり次第に声をかけていた。

 アルキエルに脅す意思がなくても、存在自体に迫力が有る。声をかけられれば、誰もが逃げ出す。そもそも、普通に歩いているだけでも、皆がアルキエルを避けるようにして歩くのだ。

 視線を合わせる者は、皆無だと言えよう。


「くそっ。やっぱりブルの奴を、無理にでも連れてくるべきだったか。ブルの奴、何してやがる。全く応答しねぇ。冬也の奴もだ」


 アルキエルは、最初から躓いていた。

 駅には到着する事は、容易であった。改札も難なく通り抜けた。しかし、電車には上りと下りが有る。どっちの電車に乗ればいいのか、アルキエルにはわからないのだ。


 渋々メモに従って、帽子を被った人間に声をかける。だが、アルキエルが声をかけたのは、駅員ではなく一般の人である。

 アルキエルが近づくだけで、蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。当の駅員は、訝しげな視線を向け、緊急事態に対応しようと、職員を集めていた。


「アル。なんだか可哀想なんだな」

「しっ! ブル、静かに!」


 一部の人間が放つ緊張感を感じ取ると、騒ぎにならない様に、アルキエルは歩き出す。

 階段は二つ、間違えれば目的地から遠ざかる。だがアルキエルは、立川に行った際の記憶を呼び起こしながら、正解を引き当てた。


「先ずは、第一関門突破だね」

「ペスカこそ、静かにするんだな」


 アルキエルがホームに行くと、タイミングよく電車がやってくる。

 電車に乗り込むまではよかった。しかし、徐々に車両から人が消えていく。正確には、他の車両に移っていくのだ。乗り込んでくる乗客もいない。


 本来ならば、同じ車両に乗った乗客に目的地を言えば、教えてくれるはずなのだ。

 そう難しい事ではない。中央線で御茶ノ水駅まで行き、そこで総武線に乗り換えて次の駅で降りるだけ。

 そもそも冬也のメモは、駅名の漢字が違う。車両内に張り出されている路線図を見ても、該当する駅を探すことは出来ない。


 隣の車両からは、訝しげな視線が送られてくる。コソコソと話しをしている様子も、見受けられる。耳を澄ませば、警察に連絡するべきだと、言っている様だ。


 だが、耳を澄ました事で、事態が好転する。

 警察という単語で、とある人物の名が、アルキエルの頭に過る。

 支給されたまま持ち歩いているスマートフォンを手に取ると、アルキエルは登録してある番号に電話をかけた。

 数コールで、相手が電話に出る。


「珍しいなアルキエル。どうしたんだい?」

「佐藤、わりぃが少し教えてくれ」

「何を? 言ってみな」

「秋葉原とやらに行きてぇ。多分、そこが目的地だと思う」

「君にしては、歯切れが悪いね。何が有ったんだい?」

「ペスカが大事にしてたゲーム機が、壊れちまった。それで、俺が買いに行くことになった」

「はぁ、そんな事か。それで、今はどこだい?」

「電車とやらに乗ってる。どいつだか知らねぇが、次が立川だと言ってやがった」

「それはアナウンスだよ。君はそのまま、御茶ノ水まで乗るんだ。降りる場所は、さっきと同じ様に、アナウンスで教えてくれる」

「冬也が書いた紙には、乗り換えって書いてやがるんだ」

「今乗ってるのは、中央線。御茶ノ水で降りて、総武線ってのに乗り換えるんだ。乗り換えたら、次の駅で降りる。そんなに迷いはしないと思うよ」

「佐藤。わりぃが、よくわからねぇ」

「仕方ない。御茶ノ水で電車から降りたら、もう一度電話をかけて来なよ」

「わかった」

「それと、アルキエル。電車の中では、スマートフォンは使っちゃ駄目だ」

「あぁ? 面倒だな。だが、それも理解した」


 察しの良い佐藤の事である。

 ゲーム機は、壊れたのではない。壊したのが正解だろう。そしてアルキエルは、罰として買いに行かされたのだ。そう推測していた。

 それを敢えて口に出さないのが、大人の対応であろう。


 そんな心配りを察したのか、アルキエルは大人しく佐藤に従った。

 指示通りに御茶ノ水で電車を降りると、アルキエルは再び佐藤に電話をかける。そして佐藤の案内を受けながら、順調に乗り換えを行い、秋葉原の地に降り立った。


「アル。良かったんだな」

「何言ってんの。順調すぎたら、つまんないよ」


 二柱の会話を呆れた様に、レイピア達は眺めていた。

 ただ、ここまでなら、子供でも出来る事なのだ。本当の試練はここから始まる。


 目的のゲームを何処で買えばいいのか。アルキエルは、全くわかっていない。

 そもそも、新型のゲーム機なら、手に入れる事はそう難しい事ではない。しかし、生産が終了しているゲーム機を、何処で手に入れようというのだ。


 ちゃんと下調べをしてから、訪れるのが普通だろう。ゲーム機を売る店はおろか、旧型のゲーム機を扱っている店すら知らないアルキエルは、買って帰る事が出来るのだろうか。

 恐らく、不可能に近いミッションであろう。


 観光地として名を轟かせていた秋葉原には、外国人旅行者の姿はない。流石に旅行が出来る程、世界は落ち着いていないのだ。

 戦争での被害がほとんど無かった日本では、既に日常が戻りつつある。それでも、以前の秋葉原と比べれば、閑散としている。

 そんな中、街を活気付ける為に、頑張っている者も存在している。


 この日、秋葉原を訪れた者は、不運だと言えよう。何せ、アルキエルが秋葉原に訪れてしまったのだから。

 そして不運は重なる。それは世の常なのかもしれない。

 

 きょろきょろと、辺りを見回しながら歩いているアルキエルが、目に入っていなかったのだろう。

 エプロンドレスを着用した女性が、振り返りざまに、手に持った看板をぶつけてしまった。それも、女性の横を素通りしようとしたアルキエルへ。


 アルキエルは、女性を睨め付けたつもりはなかった。

 しかし、女性は余程怖かったのだろう。アルキエルを見た瞬間、腰を抜かして道路に座り込み、失禁してしまった。その数秒後、女性は金切り声を上げる。

 そして、周囲の者達の視線が、一斉にアルキエルに集まった。


 周りから見れば、女性を襲っている怪しい外国人に見えたのだろう。周囲は騒然とし始める。そして誰かが通報したのだろう、警察官が飛んでくる。


「ちょっと、署までご同行頂けますか?」


 女性には可哀想な事をした。しかし、被害を被ったのは、アルキエルである。ただ警察官としては、騒ぎを起こした当事者、両名に事情を聴く必要がある。 

 アルキエルだけでなく、女性も同行を求められる。しかし失禁した女性を、そのまま連行する訳にはいくまい。

 女性には、着替えてから出頭するように言い含めた後、警察官はアルキエルを連行していった。

 そしてこっそりと、一部始終を覗いていたペスカは、笑いを堪えていた。


「見てよ、アルキエルがしょぼんってしてる。なんか可愛い、すっごい貴重だよ。写真撮って、お兄ちゃんにも見せなきゃ」

「確かに、あの様なアルキエル様は見た事がありません。ですが、あの誠実さは、見習わなければ」

「レイピアは、相変わらず真面目だね。少し力を抜いても良いんだよ、今のアルキエルみたいにさ。見てよほら、すっかり角が取れてるでしょ? あれなら、誰にも怖がられないよ」

「ところでペスカ様。あの女性には、どう対処致しましょう?」

「ソニア。あの人には、お詫びの品を持っていこう」

「ではペスカ様。俺は、あの女性を追って、拠点を突き止めます」

「拠点じゃなくて、お店だよゼル。迷子になるから、直ぐに戻って来るんだよ」


 師と仰ぐアルキエルの慌てる様子に、いたたまれなくなったのか、ゼルはそそくさと女性の追跡を始める。

 

 アルキエルは、地上の者達から怯えられる事に慣れている。それ故、どれだけ避けられても、平然としている。

 戦いの神なのだ、畏怖の対象となるのは仕方ない。寧ろ、平然と受け入れられる事の方が、問題であろう。


 ただアルキエル自身は、地上の者達を理解しようと努めてきた。どうすれば、交流が図り易くなるのか、試行錯誤を重ねてきた。

 関わった者は、決して多いとは言えない。しかしアルキエルは、人間や亜人等の存在を少しずつ理解し始めている。


 アルキエルに看板をぶつけた女性は、往来で失禁した。それは本人にとって、この上なく恥ずかしいと、感じるているはず。

 あの時アルキエルは、慣れない笑顔を作り、女性に対して優しく手を差し伸べようとした。それは、アルキエルなりの努力であった。しかしその努力も空しく、女性は悲鳴を上げた。


 アルキエルは、その結果が理解出来なかった。故に多少の気落ちもしていた。それが返って、アルキエルの迫力を軽減させたのは、皮肉な事であろう。

 

 アルキエルが、何に対しても真摯に取り組む事は、関わった誰もが知っている。

 当初、面倒がった弟子を取る事。日本を訪れてから、積極的に歴史や文化を学ぼうとした事。どれも興味がない、どうでも良いと、切り捨てる事は出来たのだ。だがアルキエルは、そうしなかった。

 だからこそ、弟子達に慕われた。同じ冬也の眷属達に、認められた。

 

 それはペスカとて同じだ。寧ろペスカは、やんちゃな子供を見守る母の気持ちに近いだろう。

 確かに、大切にしていたゲーム機を壊されたのは、ショックであった。しかし、微塵も怒ってはいない。アルキエルなら、仕方ないとすら思っている。

 おまけに、アルキエルが独りで買い物に出かけた事が、心配でならない。

 

 そんなペスカの心を理解していたからこそ、ブルはアルキエルに手を貸さず、ペスカと共に見守っていたのだろう。


 派出所に連れていかれたアルキエルは、警察官から執拗な質問を受ける。

 何処から来た。何をしていた。女性はなぜ泣いていた。本当に何もしていないのか。そんな質問を幾らされても、何もしてないとしか答えようが無い。ましてや異世界から来たと言っても、信じてもらえるはずがない。

 やがて、着替え終わった女性が到着し証言をした事で、アルキエルが無実であることが証明される。 


「脅かしたつもりはねぇが、悪かったな」

「い、いえ。わ、わた、わたしこそ。す、すす、すみません」


 女性は怯えながらも、アルキエルに謝罪の言葉を述べる。そして派出所を出ていく。

 ただ警察官としては、女性を開放しても、アルキエルをそのまま開放する訳にはいかない。身分が証明出来ない外国人を、放置する訳にはいかないからだ。

  

 この時、アルキエルは非常に困っていた。

 大見えを切ったからには、ペスカに頼る事は出来ない。忙しそうにしている冬也に、迷惑をかけたくない。ミスラに頼るのは、プライドが許さない。

 そんな状況で、再び脳裏に再び浮かんだのは、あの男の存在である。アルキエルは、警察官に連絡する許可を求めると、スマートフォンを操作する。


「任意同行されたのは、やはり君だったか。東郷さん達に、連絡し辛い事情があるのかい? どの道、今向かってるから、十分ほど待っていてくれ」


 その後、驚くのは派出所勤務の警察官である。

 まさか、怪しげな外国人の身元引受人として、警視正に昇格した佐藤が訪れるとは、誰も考えまい。


「これ以上、騒ぎを起こされても面倒だから、君の用事を済ませてしまおう。ついでに送っていくよ」

「そういう訳にはいかねぇんだよ」

「意地を張るな。君のプライドも有るだろうけど、ここは僕の顔を立ててくれないか」

「どういう事だ?」

「さっき匿名の電話が有ってね。君が探している物の在処も、検討をつけて来た。まぁ、そう言う事だよ」


 そこまで言われれば、誰の手配か直ぐに理解も出来よう。ここまでの行動を見られていた事にも、アルキエルは気がつく。


「くそっ。最初から、あいつの手のひらで踊らされてたって事かよ」

「まぁそう言うな。せっかくだから、観光案内をしてやる。旨いものも食わせてやる。それで、機嫌を直してくれ」

「仕方ねぇ。お偉いさんが、案内してくれるってんなら、勘弁してやるぜ」


 佐藤の案内で、直ぐにゲームを購入したアルキエルは、日が落ちるまで観光を楽しんだ。

 無論、アルキエルを佐藤に託し、女性に見舞品を渡したペスカも、ブル達を連れて観光を楽しむ。

 

 結局アルキエルに、一人で買い物をさせる事は出来なかった。しかし、帰宅したアルキエルは、満足気な表情を浮かべていた。それは、ブルやレイピア達も同じである。

 貴重な生産終了品のゲーム機、しかも未開封品を手に入れたペスカも、ご満悦であった。


 夕食を囲み、その日の出来事でワイワイと盛り上がる一同を、冬也は優し気な表情で見守る。

 みんなが満足したんなら、それに越したことはない。


「よかったな」


 冬也もまた、一家団欒の光景に充足感を覚えていた。

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