第405話 アル君の一人で買い物できるかな? その1
ある日の午前中。
恒例となった、アルキエルとの早朝特訓を終えた冬也は、自室で休んでいた。
一方、アルキエルは心地良い疲労と、満足感を噛みしめて、リビングのソファに持たれかかかっている。
レイピア、ソニア、ゼルの三名は、二柱の特訓に付き合わされ、地下の訓練場でぐったりとしている。恐らく数時間は、立ち上がれないだろう。
そしてブルと言えば、自慢の家庭菜園の世話をしている。
銘々が己の日課を熟す中、ペスカは久しぶりの休みを、持て余していた。
そしてペスカは、暇つぶしの為に、自室を出て一階へと降りていく。
リビングに入ったペスカの目に飛び込んで来たのは、ソファでリラックスしているアルキエルの姿。ふと思い立つと、アルキエルに話しかける。
「ねぇ、あんたさぁ。暇ならゲームでもしない?」
「ゲーム? なんだそりゃ? もしかして、たまに冬也を付き合わせてるあれか?」
「そうだよ。面白いよ」
「ほんとか? 興味がわかねぇなぁ」
「まぁいいじゃない。あんたは、色々な体験をして、自分の世界を広げるんでしょ?」
「ちっ、そう言われたら、言い返せねぇだろ。仕方ねぇから付き合ってやる」
ペスカとアルキエルがそんな会話をしている時、家庭菜園の世話を終えたブルが、庭から戻って来る。恐らく、話しが聞こえていたのだろう。
目を輝かせながら歩み寄り、ペスカに話しかけた。
「おでもやりたいんだな」
「そっか。ブルはゲームをやった事がなかったね」
「そうなんだな。ペスカが楽しそうにしてるのを見てて、興味が有ったんだな」
「じゃあ決まりね。みんなでゲームだぁ!」
楽しそうにペスカは声を張り上げる。そして、アルキエルとブルを連れて、自室に戻っていった。
ペスカが選んだゲームは、比較的に初心者でも楽しめる、対戦格闘ゲームである。最初はペスカが、操作方法等を解説ながら、何度かプレイしてみせる。その後、交代で対戦をする事になった。
遊び倒しているペスカに勝てる者はいない。当然ながら、アルキエルとブルが楽しめる様に、ペスカは手加減を忘れない。
ゲームを始めると、意外にもアルキエルが熱中し始める。ブルといえば、勝っても負けても、楽しそうにしている。そんな二柱の姿を見ると、ペスカの中に嬉しさが込み上げて来る。
ただ気が付くと、ゲームを始めてから、既に一時間以上が経過していた。
喉の渇きを感じたペスカは、席を立つ。だがペスカは知っている。ブルはともかく、アルキエルの場合は、熱中し始めると若干冷静さを失う。
「アルキエル。あんた、力を入れ過ぎないでね! コントローラーもゲーム機も、絶対に壊さないでね!」
「馬鹿か、ペスカぁ。俺が、箸や茶碗を壊した事ねぇだろ。力加減なら、充分に出来んだ! 心配要らねぇ!」
「絶対だよ! 絶対だからね! それは、お兄ちゃんがバイト代で買ってくれたんだよ! それとその機種は、今は生産してないから、手に入れ辛いの!」
「くでぇぞペスカぁ!」
「じゃあ、私は飲み物を取りに行ってくるから、あんた達で暫く遊んでて」
「あぁ、俺のは日本茶ってやつにしてくれ」
「おでも、お茶は好きなんだな」
「はいはい。大人しく遊んでるのよ」
そしてペスカは自室を離れ、飲み物を確保する為に、リビングへ向かった。ただ、ペスカが不在の間、懸念していた事が現実となる。
目を離したペスカを責める事は出来ない。また、事件を起こした当事者も、不可抗力であり、責めるのは酷であろう。
忘れてはいけない。サイクロプスという種族は、手先が器用で有名である。ブルも多分に漏れない。
アルキエルとブルの勝負は、ブルの勝ちが続く。それは、一方的とも言える勝利である。
例えゲームであっても、勝負事で敗北するのは、我慢が出来ない。アルキエルは、どんどんと熱くなっていく。
遂に力の制御を誤ったアルキエルは、コントローラーを握りつぶす。更に握りつぶした勢いは、ゲーム機の本体へと向かう。
結果は言わずもがな、ゲーム機は跡形も無く、バラバラになった。
「アル。壊すなって、ペスカに言われてたんだな」
「馬鹿野郎! 壊れちまったもんは、仕方ねぇだろ!」
「どうするんだな。直ぐにペスカが戻って来るんだな」
「どうするったって、なあ。どうすんだよ!」
「おでに言われても、困るんだな」
二柱が言い争っている間に、階段を上る音が聞こえる。そして、部屋のドアが開く。そこでペスカが目にしたのは、粉々になったゲーム機。
その瞬間、二柱は怒鳴られる事を覚悟した。
しかし、怒鳴り声はいつまで経っても聞こえない。その代わりに、ポットや急須等を乗せたお盆が、床に落ちて激しい音を立てる。
そして、ペスカの瞳からは、大粒の涙がボロボロと零れていた。
「お、おい。ペスカ」
二柱は、こんな悲し気にペスカの泣く所など、見た事が無い。
慌てたアルキエルは、声を掛けようとするが、言葉が続かない。そして、ペスカの涙は止まらない。
「お、お兄ちゃんが、初めてのバイト代で。ぐすっ、買ってくれた、ぐすっ。大事にしてたのに、ぐすっ。向こうに持って行こうと、ぐすっ。思ってたのに」
ペスカは泣きながら、たどたどしく話す。余計に二柱は、かける言葉を失った。
そんな時、大きな音に反応して姿を現したのは、隣の部屋で寝ていた冬也であった。
冬也は辺りの様子を見ると、状況を察したのか、ペスカの頭を優しく撫でる。ペスカをあやす様にしながら、少し呆れた様な口調で語り始めた。
「まぁ、仕方ねぇよ。ペスカ、新しいのを買ってやるから、それで我慢してくれねぇか」
「うん、ぐすっ。でも、手に入るかどうか、わかんないんだよ」
「あぁ、それなら秋葉原にでも行けば、売ってんだろ?」
「そうかもだけど。お兄ちゃんは、今日これから出かけるんでしょ?」
「あぁ。佐藤さんに呼ばれてるし、親方の所に行く約束もしてる。だから買い物は、アルキエル。お前が行け!」
「はぁ? なんで俺が!」
「お前が壊したんだ、お前が行け! 大丈夫だ、ルートは俺が書いてやる、金も渡す。何もかも準備してやるのに、行けねぇって事はねぇだろ?」
そこまで言われれば、アルキエルとて首を縦に振るしかあるまい。
しかしここは、アルキエルにとって不慣れな地である、道連れは必要だ。横にいたブルに視線を送ると、直ぐに逸らされた。
「おでは、忙しいんだな。アルだけで行くんだな」
そして暫くの後、秋葉原へ行くまでのルートを書いたメモと、現金を渡されたアルキエルは、戸惑っていた。
ルートと言っても、かなりアバウトである。そう、冬也がまともな案内を、書けるはずがないのだ。
立川からお茶の水、乗り換え、秋葉原。
わからなかったら、駅員に聞け。駅員は、帽子を被ってる奴だ。
冬也から渡されたメモには、そう書かれていた。それでは、土地鑑の無いアルキエルに、わかるはずが無い。
だがアルキエルは、直ぐにメモを凝視し、解読を始めた。
立川ってのは、駅の名前だ。ついこの間、行った所だ。そこで寿司を食って、シグルドの奴に会った。
そこには、電車で行くんだ。電車には乗った事が有るし、乗り方も教わった。切符を買うか、スイカというやつを使うんだ。
だが、秋葉原ってのは何だ? それが目的地か? お茶の水ってのは、流石に飲みもんじゃねぇよな?
それと、乗り換えってのは、どういう意味だ? もしかして、お茶の水って名の電車から、秋葉原って名の電車に乗り換えるのか? 何処でだ? 立川って駅でか?
わかんねぇのは、もう一つ有る。ペスカから渡された、リアルな絵が描かれた紙だ。
箱の絵の中に、さっき壊したゲーム機と似た絵が、描かれてやがる。多分、箱は入れもんだ。箱に描かれたのと、同じ物を買うんだ。
けどよ、これをどこで買うんだ?
知っているぞ、食い物の材料を買うのは、スーパーだ。スーパーってのは便利な場所だ。酒や飲み物、菓子ってのまで売ってやがる。
それと本を買うのは、本屋だ。後は、酒を専門に扱っている、酒屋ってのも有る。酒屋とは別に、居酒屋ってのも有るんだ、ミスラが教えてくれた。
だが、このゲームってのは、どこで買えば良いんだ? それも、聞かなきゃなんねぇのか?
戸惑うアルキエルを置き去りに、冬也は出掛けてしまう。アルキエルが気が付いた時には、冬也の姿は見当たらない。
困ったアルキエルは、キョロキョロと辺りを見回す。そして、ペスカと視線が合う。
余程動揺していたのだろう。それは、アルキエルがいつになく、目を泳がせている事でわかる。
そんなアルキエルを見ると、先程までボロボロと涙を流していた、ペスカの表情は一変する。ニヤリと口角を吊り上げて、不敵な笑みを浮かべた。
「ちゃんと、ごめんなさいをしたら、ヒントをあげよう!」
どれだけ困ろうと、挑戦的な笑みを浮かべる相手に、アルキエルが簡単に頷くはずが無い。
未だメモの謎を解読できず、アルキエルは戸惑っている。しかし、ペスカに助言を得るのは、プライドが許さない。
「壊したことは謝る。だがよぉ、余計なお世話だペスカぁ」
そう言い放つと、現金やメモ類を握り、アルキエルは部屋を出る。そして、ずかずかと足音を立てて、玄関へと向かっていった。
開け放たれた部屋のドアから、玄関が開く音が届く。
アルキエルが出かけた事を確認したペスカは、不敵な笑みをうかべたまま、ブルに視線を送った。
「ペスカ。なんだか、悪巧みをしてる顔なんだな」
「フフン。わかる? せっかくだから、レイピア達も連れてこう」
「あいつらは、地下で休んでるはずなんだな」
「それは知ってる。それより早く出かけるよ。私は着替えるから、ブルはみんなを起こしてきて」
「わかったんだな」
ブルが部屋から出ると、ペスカは部屋着から外出着に着替える。ペスカが着替え終わった頃、レイピア達を連れたブルが再び部屋を訪れた。
「ところでブル。あんたとアルキエルは、神気で繋がってるよね?」
「そうなんだな。アルは、かなり困ってるんだな」
「そっかそっか。なら、一時的にパスを閉じて」
「わかったんだな。でも、なんでなんだな?」
「それはねぇ。あいつの後をつけるんだよ」
ペスカは腕組みをし、ドヤ顔で言い放った。だが、その言葉に困惑したのは、レイピアやソニア達である。
毎朝の訓練に突き合わされているのだ。アルキエルの凄さは身をもって体験している。
アルキエルは、あらゆる武具や格闘技術に精通している。しかし、アルキエルの凄さは、それだけではないのだ。
アルキエルは、とにかく感が良い。
例え目が利かな状況でも、聴覚で周囲の状況を観察する。視覚、聴覚が利かない状態であれば、肌で感じる空気の動きで、周囲の状況を判断する。
もし、五感すべてが利かなくても、ほんの僅かなマナの変化を感じ取る。
故に、奇襲が通じないのだ。
そのアルキエルの後をつけるのは不可能だと、レイピアとソニアは主張する
しかし、ペスカは首を横に振った。
「大丈夫。私を甘く見たらダメだよ!」
ペスカは笑みを浮かべると、呪文を唱える。用いるのは隠蔽の呪文。部屋に集まった全員に、魔法をかける。
幾ら隠蔽の魔法をかけても、僅かなマナの流れを感知するアルキエルには、通用しないはず。
レイピアとソニアは、口を揃えて言うが、ペスカは笑って返した。
「だから、甘く見たらダメだって。私がそんなヘマをする訳ないでしょ?」
ペスカは、魔法の痕跡を残さない。そして完全に気配を消し、一同はアルキエルの後をつけ始めた。
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