第398話 邪神ロメリア ~悪意の消滅~

 剣を砕かれた邪神ロメリアは、その場で再び剣を作り出す。そして、勢いよく振り下ろした。

 その間、ゼロコンマゼロゼロ数秒。その僅かな間で行われた攻撃でも、銃弾を受け止める事が出来る冬也には、造作も無く躱せる。

 しかし、冬也は剣を躱さずに左手で受け止める。そして、右手で邪神ロメリアの腹部に、掌底を叩きこんだ。


 邪神ロメリアは、その場で蹲る様に崩れ落ちる。その時、邪神ロメリアは、全身に途轍もない喪失感を感じていた。己の中から膨大な邪気が消えたのだ。

 人間達が、挙って周囲の邪気を消した。しかし、それは我が身から溢れ出ただけのもの。世界中から悪意を集めて、邪気に変え我が身を構築したのだ。未だに膨大な力を有している。それが一瞬にして、膨大な量を消し去られた。ただの掌底でだ。


 一瞬、邪神ロメリアは、力の差を理解が出来なかった。

 確かに、ここはクソガキの神域である。クソガキに対して、全てが有利に事が運ぶ。

 かつて、メルドマリューネの地で戦った時とは、全くの逆だ。奴らは我が領域にも関わらず、逆境を跳ね返してみせた。

 ロイスマリアで集めた数とは、桁が違う。その悪意は、我が身に有った。例えここがクソガキの神域でも、一矢報いる事くらいは出来るはずだ。


 だが、現実は違った。

 大きな誤算が有ったとすれば、アルキエルが渾身の一撃でもって、邪神ロメリアの身体を傷付けた事。その僅かな傷を、些末と見過ごした事だ。

 翔一達が、消滅させた邪気は、確かに邪神ロメリアから漏れ出ただけのもの。しかしその傷から、想定以上の邪気が漏れていた事を、邪神ロメリアは気がついていない。


 気がついていれば、対処は幾らでも出来ただろう。現実には、相当の力を失っていたのだ。

 邪神ロメリアの頭には、少し前の冬也の言葉が蘇っていた。アルキエルに勝ったと思っているのか、翔一達に勝ったと思っているのかと。


 そうか。僕の力は、クソガキと戦う前から、半減していたのか。あの言葉は、そういう事だったのか。どこまでも、忌々しいガキだ!

 だが、気がついた時には、遅いのだ。未だ回復中で、戦う事も儘ならないアルキエルを相手にしても、恐らく負けるだろう。

 

 邪神ロメリアの敗北が確定したのは、間違いなくこの瞬間である。

 勝利を渇望するなら、決してしてはいけない事、考えてはいけない事。邪神ロメリアは、それを悟ってしまった。


 精神体である神にとって、雌雄を決するのは意志の力。あの時、アルキエルは膨大な力の前に、勝てない事を悟った。しかし、絶対に負けないと、固く心に決めた。

 だからアルキエルに、勝利は訪れなかった。しかしアルキエルの付けた傷は、状況を引っ繰り返す一手となったのだ。


 時に慢心は冷静を奪い、潜在化した小さな問題を見逃す。

 何故、己の力が空の能力に通じないのか。何故、飯縄権現の羂索から、逃れる事が出来なかったのか。よくよく考えれば、理解出来たはずなのだ。

 だが邪神ロメリアは、打開する機会を全て見逃した。慢心故に。


 更には、決定的な勝利の意志を放棄した。一度思い描いた敗北のイメージを、払拭するのは並大抵の事ではない。

 もう、邪神ロメリアに勝利は無い。足掻いても、足掻いたふり。剣を振るっても、殺そうとしたふり。そんな事しか出来ないだろう。


 そして冬也は、そんな邪神ロメリアを見て、声を荒げる。

 それは、冬也らしい言葉なのだろう。


「てめぇ! なに勝手に諦めてんだ! 舐めてんのか? ふざけんじゃねぇぞ! かかって来いよ! てめぇが神格を削ってまで、運命に逆らった意地を見せてみろよ!」


 格下と思っていた相手に見下ろされ、尊大に吐かれた言葉は、敗北で埋め尽くされた邪神ロメリアを、怒りで塗り替える。

 

「逆だ、見下ろすのは僕だ! ボロボロにして見下ろして、その台詞を言うのは僕なんだ! 決して貴様なんかではない、クソガキぃ!」

 

 邪神ロメリアは、気を吐いた。だが、それだけで覆せる差ではない。邪神ロメリアの瞳に、闘志が宿る。未だかつて、見せた事の無い闘志が。そして、一心不乱に剣を振るった。


 それこそが、奇跡の始まりである。


 どれだけ捌かれようとも、邪神ロメリアは諦めずに剣を振るう。冬也に一撃を見舞う。ただそれだけの為に。

 邪神ロメリアを構成する様々な悪意が、怒りの一つに変わっていく。純粋な怒りは、純粋な闘志を呼ぶ。それこそが、大きな壁を乗り越える力となる。


 だが、邪神ロメリアは知らない。それは、既に邪悪ではない事に。

 悪意と善意は対極に有る様で、裏返しでもある。言わば、表裏一体の関係なのだ。悪意しか持たない、善意しか持たないのは、寧ろ歪んでいるとさえ言えよう。

 

 誰でも嫉妬する、だから負けまいと向上する。誰でも怒る、それが前進する力となる。だから、成長するのだ。

 神が成長を止めたとすれば、どちらか一方しか持たない事が、原因の一つとして考えられるだろう。そもそも、システムとしての神ならば、それに則り行動するしか出来ない。

 だが古の邪神ロメリアは、邪神というシステムを乗り越えて、一歩を踏み出した。それを奇跡と呼ばずに何と呼ぶ。

 

 かつては、消滅させる事しか出来なかった。そして新たに生まれた邪神、アルドメラクは、システムに則り浄化という最後を迎えた。

 しかし冬也に導かれ、ロメリアが出した答えは、第三の可能性を示唆する。それは、浄化の先に有るものだろう。


「なぁ、ロメリア。本気でぶつかり合えば、分かり合えんだよ。面白れぇだろ?」

「忌々しいだけだ! 僕が、この僕が何で、こんなに必死にならなくちゃいけない!」

「そりゃ、勝ちてぇからに決まってんだろ! 負けりゃ悔しくて、だから次は勝ちてぇと思う。てめぇだって、そんな風に考えるだろ!」

「僕は邪神だぞ! 僕に敗北は無い! 全ての悪意を集めて、全てを壊して無に帰す! ただそれだけだ!」

「いや、お前は違うね。お前は、悔しがるんだ! だから執念深く、俺達に挑んだんだ! ドラグスメリアの時が、良い証拠だろ? 違うか? お前は、運命に抗った時、既に手に入れてたんだよ」

「何をだ!」

「可能性だ!」

「馬鹿か! 何を言ってる!」

「いいか。神って連中は、己の使命を全うするだけの存在だ。機械みてぇなもんだ。だが今のアルキエルを見ろ! あいつは、戦いに縛られない。だから、何にでもなれる。親父は神の座を捨てて、人間になった。お前だってそうだ」

「いつまでも、戯言を抜かすな!」

「いい加減、認めろよ! 自分自身を縛り付けてるのは、お前なんだ! せっかくの可能性を、今度こそ逃すんじゃねぇ! 勝ち取ってみせろや!」


 冬也の言葉は、ロメリアを震わせる。

 何度剣を振り下ろしても、冬也には届かない。どれだけ早く動いても、先回りされる。

 そして放たれる掌底に、尋常じゃない痛みを感じる。


 否応なく、己の変化を自覚させられる。

 殺したいのではなく、純粋に勝ちたいと思う。自分を凌駕する目の前の男を、超えたいと願う。

 受ける痛みに、生きている実感を感じる。

 

 そう、既に身体は変化を遂げている。

 冬也の拳は、邪悪を消し去る。最初に拳を受けた時には、喪失感を感じた。今受けた拳は、痛みを感じる。


 全身を貫く痛みに耐え、ロメリアは立ち上がる。そして、剣を振るう。

 目の前の男に、一歩でも近づきたい。叶うなら、目の前の男を超えたい。それは、憧憬と呼ばれるような感情。ロメリアは、その感情を初めて知る。


 相手は、最強の神。力の差が有り過ぎる。拳を数発も喰らえば、負けは確定する。

 ロメリアはどれだけ殴られても、立ち上がり闘志を示した。


「わかるか。お前の浄化は、とっくに終わった。もう邪神じゃねぇ。なぁロメリア。システムから解放されて、邪神じゃなくなったら、どうなりたい?」

「愚門だよ。こんな事は、口が裂けても言いたくないけどさぁ。僕はお前に勝ちたい! お前の様な、自由な神になりたい!」

「なれるぜ、お前なら」

「調子に乗るな! それはお前に勝ってからだ!」


 既にロメリアは、腕を動かす事すら不可能であった。

 そんなロメリアに足を踏み出させるのは、意志の力だろう。

 絶対に勝ちたいという意志だ。


 それでも最強の神には届かない。

 最強の神がなぜ最強なのか。それは、研鑽を欠かさないから。何よりも、勝つという意志は、誰よりも強いから。


 ロメリアは限界を感じていた。

 恐らく、これが最後だろう。ならば、全身全霊で、冬也に一撃を与える。

 そして振り下ろされた剣には、これまでに無いスピードと威力が乗る。

 

 この戦いで、初めて冬也は、ロメリアの剣を躱した。受け止めるのでも、捌くのでもない。冬也に躱す事を選択させたのだ。

 それだけロメリアの攻撃が、受け止められない威力であったのだ。無論、そんな威力の攻撃を、上手く捌ききる事は出来ない。


 そして、カウンター気味に、ロメリアの身体に掌底が叩きこまれる。そして、ロメリアは吹き飛ばされながら、意識を失う。

 意識を失い地面を転がるロメリア。全力を尽くしても、冬也には届かなかった。それでも、力を出し尽くしたロメリアの表情からは、鬼気が消えていた。


 そんなロメリアを、冬也は優しい眼差しで見つめると、神気を高めて通信を行う。連絡先は当然、異世界ロイスマリアの大地母神、フィアーナである。


「お袋、新しい神の誕生だ。そっちで承認してやってくれ。あぁ? 今回はあんた、ほとんど何もやってねぇだろ! ゲート位、直ぐに開けろよ!」 

 

 通信を終えると、ゲートが開く。冬也は優しくロメリアを抱えると、ゲートの上に寝かせた。

 ゲートが光ると共に、ロメリアの身体が消える。

 それを見届けると、冬也は振り返った。


「やっと終わった。家に帰ろう」

「お疲れ様、お兄ちゃん。予想外だよ、頑張ったね」


 力づくでも、第三の選択をさせたのは、冬也しか出来ない事なのだろう。

 邪神ロメリアは、世界中から悪意を吸い取り、浄化された。そして、ロメリアという新たな神に至った。

 運命というシステムに翻弄され続けた神は、最後に自由を手に入れた。

 

 地球上で、多くの人間が死んだ。多くの悲しみが生まれた。多くの建物が破壊され、多くの技術と文化遺産を失った。

しかし、立ち止まれば、犠牲になった命は浮かばれない。生き残った者達は、崩れ去った現実を見据え、歩き出さなければならない。


 もし、傷ついた者に手を差し伸べる、許しあうことが出来る、助け合う事が出来る世界が創れるなら、そんな未来も悪くない。

 人類よ、敗北者であり続ける事なかれ。人類よ、勝者であれ。未来は誰も知らない。自分の手で切り開くからこそ、その未来は輝きを増す。


 今日この日が、新たな神ロメリアの、地球人類の、新しい門出の日となる。

 犠牲者達の旅立ちが、幸せで有る事を願い、冬也は黙とうを捧げる。冬也の後に続き、仲間達も同様に黙とうを行った。

 そして、新たな門出に幸が有る事を願い、一斉に大空を見上げた。


 全ての魂魄に、幸あらん事を。

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