第358話 サイバーコントロール ~意地~

 葛西がイゴールの肩に手をかけて直ぐ、深山は重い口を開いた。その瞳は、三堂や鵜飼を簡単に切り捨てた、冷徹な支配者のものではなかった。


「馬鹿な男だ」

「ボス、あんたにだけは言われたくない」

「お前には洗脳しない。その代わりに、潜在意識に働きかける。これで少しはましになるはずだ」

「久しぶりだなボス。あんたがそんな事を言うなんて」

「馬鹿か、死んでいい命なんか無い。それだけだ」

「それで、三堂や鵜飼を切り捨てたのか? ボス。あんたは、悪党には向いてない」

「馬鹿な事を言うな」


 ブラウザに顔を向け、集中力を高めようとするイゴール。その後頭部に手をやり、深山はイゴールの潜在意識に働きかけた。

 深山が働きかけるのは、イゴールの生命力。生物として、本能的に持ち合わせた生き抜く意志を、強く顕在化させた。


 鵜飼に行わせた実験を見ても、それがどんな手法を使っているのか、全く理解が出来なかった。痛みを受けた鵜飼でさえ、理解していなかったのだ。

 例え同質の能力を使っていたとしても、魔法の概念を知らない深山達には、ペスカの罠は解明出来ない。防ぐ方法すら、思いつかない。

 だから生命力を高めて、生き足掻いてでもイゴールが助かる道を選んだ。


「葛西。能力を三倍に出来ないか?」 

「言いたい事はわかるけど、無茶言うな!」

「ボスが、潜在能力を解き放ってくれた。体に問題は無いはずだ! それに、一気に片づけなければ、無駄死になる。頼む葛西!」


 葛西は途端に口を噤んだ。葛西自体が、その結果をよく知っている。何故なら、自分で試した事が有るからだ。

 能力の限界を超える為、それにどの程度ならば、体が耐えられるかを試す為に。


 能力は、基本的に魔法と同質である。その者の内に有るマナを使用して、能力を発動させているのだ。マナの保有量が増えれば、強い力が使えるし、能力の継続時間も向上する。

 通常ならば、使用を続けて体を慣らし、段々と保有するマナの量を増やしていくのだ。所謂、訓練によって体の許容量を増やすのだ。


 葛西がその仕組みを理解していれば、異なる結果を導きだしたであろう。葛西が言う能力の倍化は、保有するマナ量を物理的に倍にする現象である。

 ただ、これには大きな問題がある。マナが過多になれば、人間でもモンスターになり得るのだ。


 保有するマナが過多となり、意識を失うならまだいい。事実、葛西は何度も気を失った。緊急入院する事も、少なくは無かった。そして実験の結果、極めて短時間なら能力を二倍程度に増加しても、何とか体は耐え得る事が判明した。しかしそれ以上は、体にどんな異変が起こるかわからない。

 この結果は、深山にも報告してある。しかし、深山は冷たく言い放った。


「葛西。言う通りにしてやれ」


 深山が言うなら、従うしかあるまい。葛西は、イゴールの肩に乗せた手に、力を籠める。そして、能力を発動させた。その瞬間、イゴールの体に力が渦巻くのを、葛西は感じた。イゴールに手を触れていない深山でさえも、同じ感覚を味わっていた。


「これなら、一気にいけそうだ。感謝する葛西」


 イゴールはブラウザに手を添えると、能力を体内に渦巻くマナを一気に解放する様に、能力を発動させた。能力の発動と共に、イゴールの意識がネットワークの中に入り込む。そして、視覚化された広大なネットワークの海が広がっていく。

 三倍のマナを利用したイゴールの能力は、高まりを見せていた。それこそ、今なら世界中のネットワークを掌握出来ると思える程に。


 しかし、イゴールのマナを感知し、アラームが鳴り響く。そして、真っ白な塊が高速で近づいて来る。

 イゴールは、何とかして避ける方法を模索した。しかし、避ける事は出来ずに、白い塊がイゴールの意識に激突する。

 鵜飼の時と異なったのは、イゴールが悲鳴を上げなかった事であろう。


 意思の力が、痛みを凌駕したのかどうか。それは定かではない。何度も、白い塊が激突する度に、イゴールの目からは血が流れ、耳からも血が流れていった。

 それでも、イゴールはブラウザから手を離さない。小刻みに震える手で、必死に食らいつく。


 ネットワークの中では、イゴールの意識が激しい戦いを繰り広げていた。

 避ける事が出来ないなら、迎撃すればいい。そう考えて、イゴールは拳を繰り出す。しかし拳が白い塊に触れた瞬間に、尋常ではない痛みが走る。

 逃げても一緒だ。そもそもスピードが違う。直ぐに追いつかれて、激突される。


 イゴールは選択を迫られる。激痛に耐え、ネットワークの支配を優先するのか、全ての罠を受けて物理的に消してしまうのか。どの道、ネットワーク上に意識がある以上は、罠は自分に襲いかかって来る。

 そしてイゴールは、ネットワークの支配を優先させた。


 全ては、林に一泡吹かす為に。


「か、かさい。もっと、もっとだ。たりない。これ、じゃ、たりない。もっと、チカラを、くれ」


 葛西は声を掛けられ、顔を真っ青にして首を横に振った。

 目と耳から血を流し、口からも涎の様に血が流れている。イゴールの顔は真っ赤に染まり、服も流れ落ちた赤に染まる。

 声は枯れ、掠れた声でたどたどしく話すイゴールから、目を背けたくなる、耳を塞ぎたくなる。

 しかし深山は、その意志を見届けようとするかの様に、じっとイゴールを見据えていた。


「葛西。イゴールの言う通りにしろ!」


 葛西は、イゴールの体を元の状態に戻そうと、意識を集中させていた。それでも、次々とダメージを受けるイゴールの体に、能力が追い付かない。この上、能力を高めるなんて、正気の沙汰ではない。

 首を振る葛西に、深山は語気を強めて言い放つ。


「葛西、やれ! 極限まで力を高めろ!」


 止む無く葛西は、イゴールの能力を高める。体内で渦巻いたマナは、イゴールの手を通してブラウザの中に吸い込まれていく。

 それでも、イゴールの血は止まらない。やがて、体の至る箇所から、肌が割けて血が吹き出す。既にイゴールは白目を剥いており、ガタガタと体を震わさせている。ただ手だけは、しっかりとブラウザを掴んでいた。


 罠を全て解除出来れば、勝利と呼べるのか。それでは、再び罠を張られて終わりだろう。

 鵜飼があれだけの痛みを受けたのも、自分の死も全て無駄になる。例え今、ネットワークを支配出来ても、自分が死ねば効果が失われるだろう。

 ならばどうする。


 林と対等に渡り合える唯一の男が、無駄死にを選択するだろうか。答えは否である。


 イゴールは、もしもの為にあるウイルスを用意していた。

 自分に何かあった時に、林に唯一対抗出来る方法。それは世界中のあらゆる端末に入り込み、身を隠す。そして時限爆弾の様に、時が来れば発動する。発動したら最後、あらゆる端末が強制的に、一つの端末と接続する。

 世界中のネットワークを掌握出来る今だからこそ、可能になった対抗策であった。


 イゴールが全ての罠を受け切り、世界中の端末に罠を張り巡らせた所で、ネットワークとの接続が途切れた。


「お、お、れの、かちだ。ボス、この、PC、もって、いけ。これを、つかう、んだ」

 

 最後の力を振り絞ったのだろう、ブラウザから手は離れ、既に意識はない。体からは力が抜けて、だらりと椅子に持たれかかっている。血は既に流れ切ったのだろう、イゴールの体は冷たくなっている。

 だが葛西は、イゴールの命を繋ごうと、懸命に能力を使い続けた。


「もういい、話すなイゴール」


 そう言うと深山は、ゆっくりとイゴールの体を抱えて持ち上げる。そして、慎重に移動用の車に運んでいった。


「絶対に死なせるなよ!」

「わかってます」


 イゴールの意地が、ペスカと林の作り上げた罠を凌駕した。イゴールという能力者は、例え命が助かったとしても、事実上の脱落であろう。

 しかしロシアと米国に取り付けた共同戦線の約束。そして、端末に取り付けられた罠。これが、特霊局を更なる窮地へ陥れる事になる。

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