第357話 サイバーコントロール ~策略~

 深山が声を荒げると、葛西が直ぐに動き出す。葛西が部屋から出ようとした時に、イゴールが静かに口を開いた。


「ボス、待ってくれ。これから本当の雇い主と回線を繋ぐ。山岡はボスの言う通りに行動しろ。葛西、出発準備が整ったら、戻って来て欲しい」

「イゴール、もたもたしている時間はないぞ!」

「ボス。あんたが出した、二つ目の指示を遂行するだけだ。あんたなら、わかるだろう? これは緊急を要する」


 イゴールの瞳は真剣そのものである。冗談でそんな言葉を吐いたのではない。しかし深い付き合いの深山には、何か決意を秘めている様にも見えた。


 ☆ ☆ ☆


 元々口数が少ない男である。発言の数と仕事量や質は、決して比例しない。イゴールはその典型である。淡々と任務を達成する姿は、機械的とも言えよう。しかしかつての仲間は、尊敬の念を抱き彼をシベリアの防壁と呼んだ。

 

 自分は愛する祖国の為に在る、自分の能力は祖国の為に発揮される。


 イゴールは、信念を持って職務に臨んでいた。また、自分を信頼し登用してくれた祖国に、感謝をしていた。そして自分の知識と技術に、自信を持っていた。

 しかし、その自信を木っ端微塵に打ち砕く事件が起きる。

 自分の組み上げた防衛システムを尽く破壊する侵入者が現れた時、イゴールは恐怖を感じた。


 侵入者を排除すべく、イゴールはその場でプログラムを組み上げた。だが、イゴールの作ったシステムは、次々に突破されていく。

 段々と追い詰められても、イゴールは最後まで諦める事は無かった。結果として重要なサーバーへの侵入を防ぎ、防衛を果たす事が出来た。しかしイゴールの中には、懸念が残っていた。


 本当に自分の実力で守れたのか? 侵入者の能力があれば、突破出来たのではないか?

 

 イゴールの懸念が確信に変わるのは、世界各国で同様の事件が起きてからであった。各国の優秀な技術者が組み上げたシステムを、簡単に破壊しサーバー内部にアクセスする。そして追跡すら許さない。


 何かを暴く為に侵入した訳ではない。どんな防衛システムでも、簡単に侵入出来る。その証を示したかった様に感じる。

 例え終末のスイッチでさえも、簡単に押せるのだと。


 もしそんな男が本当に存在するなら、どの国も喉から手が出る程に、欲しい人材だろう。自分では逆立ちしても、敵わない相手なのだ。自分は祖国を守れた訳ではない。侵入者の遊びに付き合わされて、たまたま見逃された。


 そして防衛から数日後、イゴール宛にメッセージが届く。幾つかのサーバーを経由した、出所不明のメッセージ。それを慎重に開くと、日本語でこう書かれていた。


「あなたの技術に感服しました。あなたが相手になってくれたから、今回は本当に楽しかった。あなたとはまたいつの日か、腕を競いたい。林倫太郎」


 イゴールはその時、猛烈な怒りを覚えていた。

 冗談ではない。これは、スポーツでも遊びでも無いのだ。任務に命を賭けるのは当然。だが、林と言う名の侵入者は、遊び半分で自分の能力をひけらかした。そして自分は、そんな男に敗北したのだ。


 今まで自分は何をしていた。何を努力してきた。そんな物は、何の役にも立たなかった。

 このままでは終われない! このまま引き下がるわけにはいかない! このふざけた男に必ず勝つ! 身命を賭しても、この男に勝利する! この屈辱を晴らすまで、絶対に死ねない!

  

 文字で日本語なのは、直ぐに理解した。しかしメッセージに名前まで記載するのは、余程の自信家か馬鹿かのどちらかである。直ぐに日本の戸籍を閲覧すると、林倫太郎という人物は確かに存在した。

 こんなふざけたハッカーが他国の手に渡れば、祖国は大変な損害を被ることになる。イゴールは直ぐに部下へ指示を出した。林を確保する事、最悪の場合は拉致しても構わないと。


 しかし幾日が経とうとも、日本に行かせた者からは、任務達成の報告が来ない。それどころか、定時連絡さえない上に、こちらからの連絡も繋がらない。

 不安に駆られるイゴールには、報告代わりのメッセージだけが届いた。


「移住する気も、亡命する気も、ましてや貴国に仕える気もない。自由は誰にも犯せない。これ以上は、命のやり取りになる。あなたが祖国の為を思うなら、部下を引き揚げさせるべきだ。我々の戦場は、ここではない。いずれ、ネットの海でまた会いましょう」


 イゴールはメッセージに従い、部下を引き揚げさせた。戻って来た部下を見た時、その決断に間違いは無かった事を実感した。部下達は、揃って酷い怪我を負っていたのだ。

 この時であろう、イゴールがまだ見ぬ日本という地に、深い興味を抱いたのは。

 そして数年後、イゴールは日本へ訪れる。深山という人物の下で働くという、祖国からの任務を受けて。

 

 ☆ ☆ ☆


 葛西、山岡、鵜飼の三名が部屋を出ると、イゴールは端末を操作し、大統領との直接回線を開く。そして、ブラウザの前に深山を座らせた。

 ブラウザには、ロシア大統領の姿が映る。仕込まれた翻訳機のおかげで、相互の言語が即時に翻訳される。そしてロシア大統領は、ブラウザの中で笑いかけた。


「少しは君の目論見に沿ったかな?」

「閣下。欲に塗れた蠅が、少々鬱陶しく感じますが」

「それで、今日は何用かな?」

「閣下にお願いがあります。今お送りした資料に乗っている者を、全て消して頂きたい」

「ほぉ。イゴールからの報告では、随分と人間離れした者がいるらしいではないか」 

「四十で不足なら、五十口径では如何ですか? 別にそれ以上の物を持ち込んで頂いても構いません」

「それだけではあるまい?」

「はぁ、閣下には敵いません、仰る通りです。今回は、アメリカとの共同戦線をお願いしたい」

「手筈は整っているのか?」

「これからです。しかしアメリカの事だ、必ず乗って来るでしょう。あそこは、そういう国だ」

「わかった手配しよう。それと、イゴール。何か言いたそうだが?」


 ロシア大統領は、深山の言葉に頷いた後、外した視線を傍らにいるイゴールへ向ける。イゴールは、発言許可を求める様に、深山を見やる。イゴールの視線を感じた深山は、軽く頷いて発言を促した。


 そして、イゴールは姿勢を正すと、徐に口を開く。低く静かに響く声には、イゴールの強い意志が含まれる。それは如何に大統領でさえも、簡単には否定できないと感じる程の強さがあった。


「この地にお送りくださり、感謝しております。この身と心は、未だ祖国に有ります。しかしこの先は、任務を離れる事をお許しください」


 ロシア大統領と深山が見つめる中、イゴールは言葉を続ける。


「私は、努力を重ねてきました。しかし、林は常に私の先を行く。あの男に一矢報いるのは、今を置いて他にありません。もし、林に勝てるのならば、この身がどうなろうと構わない。どうか私に、死ぬ許可をお与え下さい」


 沈黙が部屋を包み込んだ。

 深山は勿論の事、ペスカの罠を知らないロシア大統領でさえも、口を噤んでいた。馬鹿な事を言うなと、簡単には口に出来ない。それだけイゴールの決意は、強烈な印象を植え付けたのだろう。


 深い沈黙が続く。ロシア大統領は眉をひそめて、イゴールを見据える。その決意が揺らぐ事を期待して。

 しかし、イゴールの決意は変わらない。そう判断したのだろう、ロシア大統領はゆっくりと首を縦に振った。その後、一言も発する事なく、ロシア大統領は通信を切断した。

 当のイゴールは淡々と、アメリカへの回線を繋ぐ為に、キーボードを叩き始めていた。

 

 椅子に座る深山は、イゴールの言葉を深く理解していたのだろう。言葉をかけずに、イゴールを見守っていた。

 死んでいい人材ではない。自分にとっても、ロシアにとっても。これからの世界を担う、キーパーソンになる人材なのだ。


 だが林に勝てずにいる、悔しさをよく知っている。自分にとっての、遼太郎と同じ様な存在なのだ。

 勝つ事が出来なくても、一矢報いる事なら出来る。そのチャンスは今しか無い。そう考えるなら、行動を起こすしかないだろう。自分がそうだった様に。

 そんなイゴールを、どうして止める事が出来る。


 深山が悶々と考えを巡らせている間、アメリカとの回線が繋がる。そして、アメリカ大統領がブラウザの前に姿を現した。


「今しがた、貴国の首脳と話しをした所だ。一応、保留にしておいた。ここから先は、条件次第だとは思わないかな?」


 ブラウザ越しに、アメリカ大統領は目をぎらつかせる。しかし、その言葉は想定内だったのであろう。深山はイゴールの事を一旦忘れ、会談に集中する為に、敢えて笑みを浮かべて返答をした。


「ええ、勿論。お好みの能力者を、貴国に移住させましょう」

「数は?」

「把握している数の四分の一では、如何ですか?」

「四分の一? 君の友人には、どれだけ渡すつもりかな?」

「同じですよ閣下」

「三分の一にはならないのかね?」

「御冗談を。人材を選ぶ権利を差し上げるというのに、まだ足りないと仰るのですか? 欲をかけば、全てを失う事になりますよ」

「我々が現状の政府に、協力するとは考えないのかね? 日米安保に則り、内乱に対する援助をしても構わないんだよ」

「そうはなりませんよ、閣下。今の政府が、持ち堪えられるとお思いですか? 数日後には、私の支配下にある者が、首相になるでしょう。それからでは、遅いと思いますがね」

「口の減らない男だ! それで、どうすればいい?」

「お送りした一覧の者達を、テロリストとして宣言して下さい。貴国は世界の警察として、動いて頂ければいい」

「その協力者が、君の友人という訳か」

「ええ、仰る通りです」

「わかった。君の言う通りにしよう」

「聡明なご判断に感謝します、閣下」


 話を終えて回線が切断される。

 深山は、隣に立つイゴールへ視線を向けると、立ちあがる。葛西を呼ぼうとドアへ向かうイゴールを、手で制してパソコンの前に座らせた。

 そして深山は自ら葛西を呼ぶと、耳打ちをする。


「いいか。何が何でも、イゴールを死なせるな」


 葛西はその言葉に、軽く頷くとパソコンの前に向かう。そして、イゴールの肩に触れると、大きく深呼吸をした。

 己のプライドに賭けて、死に挑もうとするイゴール。そんなイゴールを死なせまいと、葛西の手には力が籠る。

 ペスカの罠を巡って、男達の戦いが始まろうとしていた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る