第345話 ヴァンパイア ~葛藤~
林を含めた三名を回収してから、事務所へ移動する僅かな間に、ペスカは倒れた三人の状態を確認した。ペスカの下した診断は、極度のマナ不足である。
命に別状はない。病院で点滴を受け、暫く安静にしていれば、不足したマナも回復するだろう。
安西と共に三名を病院へ搬送させる事に決め、ペスカ達は救急車を待った。暫くすると救急車が到着する。そして救急隊員に搬送先が決まったら連絡する様に伝えると、ペスカ達は同行せずに救急車を見送った。
救急車が去った直後くらいであろうか、ゆっくりと歩きながらアルキエルが事務所内に入って来た。少し欠伸をしながらのんびりと歩く様は、緊張感の欠片すら感じない。
「ほぉ、こりゃ随分と暴れやがったな」
「ったく呑気な事を言いやがって。アルキエル、三堂の奴はどうした?」
「あぁ。連れて行かれた」
「はぁ? 何してや」
連れて行かれたと言うセリフに、遼太郎と翔一が目を見開く。そして、アルキエルを一喝しようと声を荒げた途中で、遼太郎は気が付いた。
アルキエルは何の意図も無く、無為な行動を起こす事は無い。遼太郎は直ぐに翔一へ視線を向けると、問いかける。
「翔一! 三堂のマーキングはどうなってる?」
遼太郎の言葉で、翔一も意図に気が付いたのか、スマートフォンを手に取り、地図を確認し始めた。
「東郷さん、反応が有ります。意外に近くです! 経堂駅の周辺!」
「ほぉ、まだ反応が有んのか? そりゃ思ったよりもやるじゃねぇか!」
「どういう意味だアルキエル!」
「どうもこうもねぇだろ! 倒れてる奴を見りゃ一目瞭然だろうが!」
「まさかお前、神気を取られたのか?」
「少しだけな。だがよぉ、お前も知ってる通り、俺の神気と親和性が有る奴はそういねぇ。俺の中に眠る、数多の神格が拒むからな。冬也の場合は特別だ。俺を下した奴だからな、皆も従うわな」
「待て、そうすると随分時間が経ってんだろ!」
「あぁだから言ってんだ。やるじゃねぇかってよぉ。これからが本番だぜミスラぁ。ついてくんだろ?」
遼太郎は、少し視線を落とした。そして考え込む様に、口を噤む。
神が絡む話しであれば、翔一の理解を超えており、口を挟む事は無い。アルキエルは、特に気にした様子もなく、遼太郎の言葉を待っている。
だが、ペスカは違った。
「ねぇ。三堂って言うのが、あのキモイ人だよね。パパリンの知り合い?」
ペスカが敢えて訪ねているのは、遼太郎にも理解が出来た。
三島から受けた忠告、そして顔見知りの登場。ここまでくると、遼太郎の中にある疑念が、確信へと変わる。遼太郎にとって、大切な後輩であり、友人でもある。そんな人間を疑いたくはない。しかし、もう確定的であろう。
遼太郎は、ゆっくりと口を開いた。
「三堂は、俺の後輩にあたる、深山の部下だった男だ」
顔を顰め、息を大きく吐き出す。続く言葉は、遼太郎の喉元まで出ている。しかし、口にしたくない。言葉にすれば、これまでの信頼が全て壊れてしまう。
遼太郎は、誰よりも深山を信頼していた。仕事上のパートナーとして、何よりも友人として。
誰よりも真っ直ぐで正義感に溢れ、懐の深さも持つ男。友人が多く、周りに愛され、食事が一番の楽しみと豪語し、ユーモアも忘れない男。
食事に連れて行くと、嬉しそうな顔でメニューを眺め、楽しそうに食事をする姿を見れば、奢る方だって嬉しくなるだろう。
政治の世界に垣間見える汚泥を、敢然と掃除しきるのではなく、緩やかに配慮を重ねながら少しずつ取り除く。
そんな男が、これまで起きた事件の裏で糸を引いていたとは、思いたくない。町田での能力者暴走、美咲を利用した麻薬の密造、そして今回の事務所襲撃。どれも真逆なのだ。冷徹な統治者の行う所業であろう。
本当に深山が、黒幕の一味だとすれば、何故そこまでの事をする必要があった。何が深山を駆り立てた。
いや違う。どうして気付いてやれなかった。心の奥底に闇を抱えていたなら、どうして吐き出させてやれなかった。こんな大事件を引き起こす前に。
遼太郎は、険しい表情のまま口を噤む。しかしペスカの、既に見抜いていると言わんばかりの視線が、遼太郎を貫く。告げない訳にはいかない。曲がりなりにも、特霊局府中支局の責任者なのだから。
葛藤の中、遼太郎は重い口を開く。
「黒幕連中の一人は、深山で間違いない。恐らくリーダーだろう」
「それで、パパリンはどうするの?」
「出来れば、深山と話がしたいと思ってる。説得出来れば、それに越した事はねぇ」
「説得できるの?」
「わからねぇ。だけど、一方的に殴ってお終いにはしたくねぇ」
「ふぅん。なら、行ってきなよパパリン。どうせ、キモイ人がいる場所は、使い捨ての拠点でしょ? そっちはアルキエルに任せてさ」
「あぁ、そうだな」
そしてゆっくりと遼太郎は立ち上がる。ペスカに背中を押されて尚、その瞳には迷いが残る。そんな心の内を親友が見逃すはずが無い。
「らしくねぇなぁ、ミスラぁ」
そしてガンという鈍い音と共に、遼太郎が吹き飛ぶ。
「帰って来てから、ずっと様子がおかしかったけどよぉ、これで目が覚めたか? ミスラぁ、お前は本当に人間になっちまったのか? 傍若無人のミスラ様は、どこに行っちまったんだよ! 角がとれて丸くなってよぉ。それで何か解決すんのかぁ、ミスラよぉ」
続けざまに、アルキエルは遼太郎の腹部を蹴り上げる。ゴハっと胃液を吐き出し、遼太郎は転がる。
「美咲の様子を間近で見たんだろ? 小僧はどんな状態だった? てめぇの大切なものを傷付けられて、拳の一つも振るえねぇんなら、人間ですらねぇぞ!」
転がり倒れる遼太郎に対し、アルキエルは更に蹴りを加える。明らかにやり過ぎだろう。翔一は、アルキエルを止める為、割って入ろうとする。しかし、それはペスカによって止められた。
「ミスラぁ。お前は、俺を倒すために、神格を二つに割っても生き延びた。そして、転生し力を蓄えて、冬也みてぇな野郎を送り込んで来た。その執念はどこに行った? お前は、色々考えすぎなんだよ! 冬也の馬鹿みてぇにとは言わねぇがなぁ、こんな時は単純でいいんだ! 説得だ? 冗談じゃねぇぞ! 今のお前に出来やしねぇ! ぶっ飛ばして来い! らしくねぇんだよ、馬鹿が!」
「あぁ! くそっ! いってぇなぁ!」
遼太郎はただ殴り蹴られ、黙っていられる男ではない。その根底には、戦う神が宿る。更に蹴りを加えようとするアルキエルの足を片手で止めると、起き上がる勢いで思い切り殴り飛ばした。
流石のアルキエルも、殴られた衝撃でよろける。何歩か後ずさったアルキエルに、遼太郎は追撃を加えた。そして遼太郎は、声を荒げる。
「お前が考えてる程、単純な問題じゃねぇんだよ!」
「馬鹿か? 違うだろ? ぶっ飛ばして終わりだ!」
「冬也みてぇな、脳筋台詞を吐くんじゃねぇ!」
「いいじゃねぇかそれで!」
「良かねぇよ! 深山は俺のダチだ! ダチってのは、困った時に一緒に居てやるもんだ! 悩みを聞いて、間違った時には正してやる。それがダチだ!」
「ならそうして来いよ、ミスラぁ。迷ってねぇで、力になって来い! 救ってやりてぇんだろ? なら、力づくで救って来い! それでも駄目なら俺達が、お前の力になってやるよ」
アルキエルの言葉は、遼太郎の心を深く抉った。どんな重い拳よりも、その言葉は心に響いた。うじうじと悩む自分が馬鹿らしくなる位に。
もやもやした感情は残る。悩みが完全に消えた訳では無い。でもやるべき事は定まった。遼太郎の目は、真っ直ぐ前を向いていた。
「翔一、俺の車を使って、三堂の所に行ってくれ。アルキエル、後は頼む」
「わかりました東郷さん」
「あぁ任せろ、ミスラ」
翔一に指示をし、アルキエルに頭を下げると、遼太郎はペスカに体を向ける。そして、ペスカは笑顔を浮かべて、遼太郎に問いかけた。
「ついて行こっか?」
「有難いが、今回は俺一人にしてくれ」
「わかった。じゃあ、後で連絡頂戴ね」
「あぁ」
遼太郎は頷くと、事務所から出ていく。そしてスマートフォンを手に取ると、深山の番号を探してボタンを押した。何コールか後に通話開始になる。
「深山か? 久しぶりだな。話が有るんだけど、今すぐ会えねぇか?」
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