第344話 ヴァンパイア ~治療~

 安西の卓越した技と執念が、奇跡を生んだのだろう。

 安西は体を縮めると共に、両手を盾にして書庫がぶつかる衝撃に備えた。スチール板の欠片が足を襲い、強烈な痛みが走る。そして体勢を崩した安西が、咄嗟の防御姿勢を取れたのは、訓練の賜物だろう。

 しかし飛んでくる書庫の勢いは凄まじく、とてもガードしきる事など出来ない。それでも安西は両腕に全力を注いだ。結果、安西は下半身に甚大なダメージを被った。しかし、頭部から内臓にかけてのダメージは、下半身のそれよりは、幾分かましであった。激突の衝撃に押され、壁に後頭部を強打し、安西は気を失う。完全に潰された下半身からは、滂沱の血が流れ出る。

 そんな安西が、ペスカの到着まで命を繋いだのは、一連の行動が成した結晶であった。


 どれだけ安西が、懸命に己の生命を守ったとしても、意識の混濁が長く続けば、回復は困難になる。多くの血を流し続ければ、それだけ死へと近づく。

 ほんの僅か、ペスカ達の到着が遅ければ、安西は生きていない。ほんの僅か、ペスカの魔法が遅ければ、安西は冷たい屍となっていた。


 特霊局の事務所に到着した一行は、入り口のドアを開けて驚愕する。例え銃撃戦が有ったとしても、ここまでボロボロにならないだろ。そう思える程、事務所内は散乱していた。しかしそんな状況でも、安西がいるだろう場所は、直ぐに見つかった。何故なら、朱に染まった川は、鮮明に彼らの目へ飛び込んで来たのだから。

 遼太郎が安西を救出しようと走り出す一方で、翔一は救急車を呼ぶ。そしてペスカは、安西の状態を確認する事なく、直ぐに呪文を唱えた。


「我が名において命ずる。この地に眠る全てのマナよ、我に力を貸せ。彼の者を苦しめる戒めを解き、従前の姿へと戻せ。我は神の一柱ペスカ! 我が力を持って、彼の者に救済を与えよ!」


 ペスカが唱えたのは、治療の魔法ではない。時間遡行の魔法である。

 一部が壁にめり込む書庫、その隙間から流れ出る血。その情報だけで判断し、ペスカは呪文の効果を決めた。恐らく、医者すら匙を投げる重症であろう。単に治療するのでは、間に合わない。


 ペスカの判断は、正解だった。

 事務所内は目が眩む程の光に溢れ、書庫と壁の間に吸い込まれる様に消えていく。そして呪文を唱え終わった後、ペスカは片膝を突いた。


 ペスカの魔法は、医療行為と呼ぶには語弊が有る。厳密には、医療行為を模した治療技術である。

 山中美咲に対して行ったのは、麻薬中毒の症状を体から取り除き、やせ細った体を一時的に健康な状態にしただけ。即ち、中毒症状は取り除いたが、回復に至った訳ではない、一時的なまやかしである。

 そして、安西にかけた魔法は、体を元の状態へと戻す遡行技術である。ただし、これには条件が有る。遡行とは、文字通り遡る事。言わば、元の状態を知らなければ、遡行させようがない。極めて難しい魔法であり、精神力を大きく削る。


 ペスカにとって安西が、冬也と同程度に近しい関係ならば、そう難しい事ではない。容易に元の状態など、想像が出来るのだから。しかしペスカと安西が顔を合わせたのは、数回程度である。ペスカは記憶の断片に有る安西の映像を呼び起こし、忠実に再現しようと心血を注いだ。

 力を限定された状況で、しかもイメージを緻密に再現する。それがどれだけ困難な事か。呪文を唱え終わったペスカが、膝を突くのは無理も無い事であろう。


 安西の体が修復されるのは、遼太郎が力づくで書庫を退けるのと、ほぼ同時に行われた。そのおかげか、遼太郎の目に映る凄惨な光景も、ほんの僅かの間で済んだ。

 ただでさえ目を覆いたくなる光景である。長らくパートナーとして、任務をこなして来た男の悲惨な姿は、見る事すら辛いだろう。

 遼太郎は書庫を退けると、直ぐに安西の脈と呼吸を確認する。そして触診の要領で、体のあちこちを確認していった。

 体が修復されても、意識は戻っていない。遼太郎が安西の無事を確かめている間、翔一は破壊された事務用品の欠片を片付け、救急車が来るまでの安置出来るスペースを作る。遼太郎は安西を抱き抱えると、翔一が作ったスペースへと運んだ。


「にしても、助かったぜペスカ」

 

 安堵を浮かべた遼太郎は、明らかに疲れた感じで座り込むペスカの肩を叩いた。


「うん。でも、間に合って良かったよ」

「そうだね。ただ、ペスカちゃん。何をしたの? 心なしか、安西さんの肌つやが良くなってる気がするけど」

「何言ってんだ翔一! あぁ? よく見りゃ、十年くらい若くなってる気がするな」

「仕方ないでしょ。私の記憶を素に、体を元に戻したんだから。安西さんと会ったのは、子供の頃なんだよ!」

「いや、お前。町田の件で、会ったばっかりだろ!」

「あんな緊急時に、よく知らないおっさんを、観察する訳ないでしょ!」

「ペスカ。こいつは、これでもまだ三十五歳だぞ!」

「パパリンうっさい! 助かったんだから良いでしょ? 若返ったんなら、尚更だよ! 失態が帳消しになる位、頑張ってもらわないとだよ!」

「まあな。最近、稽古をつけてやれてなかったからな。修行が足りてねぇんだ」

「それにしても、凄い魔法だね。医療が遥かに進歩した気分になるよ」

「翔一君、馬鹿なの? それともKYかなにか? ロイスマリアでもこんな事が出来るのは、私以外にはセリュシオネ様くらいしかいないよ」

 

 因みに、ペスカの言葉は、半分は真実である。大きな力を持つ三柱の大地母神ならば、近い事は出来る。おおらかな性格の女神フィアーナと女神ラアルフィーネ、ガサツな性格の女神ミュール。この三柱に緻密な作業が向いていると思えない。可能だとすれば、女神セリュシオネとその眷属であるクロノス位であろう。

 そう考えると、この場所で起きた現象は、神の御業を超える奇跡であろう。


 ☆ ☆ ☆


 一方で、三堂を連れ去った鵜飼は、隠れ家にしている一軒の民家へ移動していた。三堂の自宅に運ばなかったのは、寝るスペースすらないゴミ屋敷であったからだろう。


 三堂を抱えてゲートを潜る姿を、一人の男が訝し気な表情で見つめる。

 鵜飼が抱えているのは、かつて人間であった何か。息をしているのが不思議な程に、崩れ果てたゴミ屑。そんな物を持ち帰るなんて、どうかしている。男の目は、そう語っていた。

 そして、鵜飼が三堂を床に置くと、男が問いかける。


「何があった? いや、何でこいつを、ここに連れて来た!」

「はぁ? あんた、こいつの元上司なんだろ? それにこいつは、俺達の仲間じゃないのか?」


 鵜飼の言葉に、男は深い溜息をついた。これまで慎重に行動してきたつもりである。それが、一部の軽率な行動で、無に帰そうとしている。何よりも、そこまで考えを巡らせているのが、自分だけである事に、男は酷く落胆した気分に陥っていた。


「鵜飼。君はもう少し、利口だと思っていたよ」

「ならこいつは、三堂はどうするんだ? 深山さん!」


 侮蔑する様な見下した目で鵜飼を見ると、深山は徐に口を開く。


「一応聞くが、三堂を遣ったのは誰だ?」

「TVに映っていた外人だ!」

「そうか。なら、三堂はもう終わりだ。君は直ぐに移動の準備をしろ! それとメンバー達に連絡だ。ここは、放棄する!」

「はぁ! 何で?」

「何で? 何でだと? 君は一部始終を見ていなかったのか?」

「見ていない。三堂が言ったんだ、撤退しろと。それで一度は撤退した。だが念の為に、戻ったんだ。途中で三堂が倒れているのを見つけた。だから連れて来た! それの何が悪い!」


 倒れる仲間を、危険を承知で救出したのだ、責められる謂れは無い。鵜飼からすれば、そう考えるのも無理はない。だが得られた反応は、蔑む様な冷たい視線と言葉である。


「考えの足りない君にも説明してやる。どうせ、君が三堂に命じたのは、特霊局の連中を抹殺する事だろう?」

「その通りだ」

「三堂が倒れていた場所に、特霊局の奴らはいたのか?」

「確認する余裕は無かった。でも、いなかったと思う」

「だから、君は考えが足りないんだ」

「なんだと!」

「聞け、鵜飼。三堂を遣れるのは、東郷以外ならTVに移った男二人だけだ。あの外人がいたなら、東郷と工藤が一緒だったはずだ。三堂は、工藤の探知でマークされてるはずだ。ここに乗り込まれるのは、時間の問題だ」


 途中までは我慢をしていたのだろう。しかし、蔑まれる様な口調に耐えきれなかったのか、鵜飼は声を荒げる。だが、深山は淡々と説明を続けた。

 深山の推測は、理にかなっている。言われれば、確かにそうだとしか思えない。初めて鵜飼は、自分が失敗した事を自覚した。

 見る間に鵜飼の顔は、青ざめていく。今の鵜飼が何を言っても説得力を持たないだろう。それは、本人が一番自覚している。しかし、鵜飼は口を開くしかなかった。高いプライドが、そうさせたのだろう。


「だ、だけど。こいつはどうするんだ? 見捨てるのか?」

「当然だ」

「あんたの部下だった奴だろ?」

「だから何だ。今は部下でも、同士でもない」

「そんな・・・」


 鵜飼は、言葉を失った。せめて、三堂を助けた事が功績になれば、失敗がチャラになる。そんな浅はかな考えは、深山に通じないのだろう。

 そして、深山は僅かに三堂を見やると、少し口角を吊り上げた。


「せっかくだから、こいつを奴らへの土産にしてやろう」

「何をする気だ?」

「君は言われた事だけを熟せばいい。それとも、三堂と一緒に捕まりたいのか?」

 

 舌打ちをしながら、鵜飼は部屋を出る。そして深山は、既に息も絶え絶えになっている三堂に近づくと、腰を下ろし耳元に口を近づけ、言葉をかけ始めた。


「いいか三堂、よく聞くんだ。今、君を苦しめているのは、神の力だ。強大な神の力を君は手に入れたのだ。苦しいだろう。それは仕方がない、人間が手にしてはいけない力だからだ。でも、君はそれを手に入れた。君は幸運なんだ。よく聞け三堂。君は、その力を制御しなくてはならない。いや、もう制御出来るはずだ。神の力は君の体に馴染み始めている。その力を使えば、君が憎んだ社会を壊す事は造作もない。そうだ、君はその力を使って、新時代の神になるのだ」


 深山は、三堂の深層意識に働きかけていた。それが人を支配し、己の統制下に置く能力。深山自身が、支配者の意味を籠めて、ルーラーと呼んだ能力である。

 深山の問いかけに応える様に、三堂の呼吸が落ち着いて来る。既に人とは呼べない程に、崩れかけようとしている三堂の体が、強靭な肉体へと変化を遂げていく。

 その様子を見届けると、深山は立ち上がる。そして、まだ意識が戻らない三堂を残して、部屋から去っていった。

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