第346話 ヴァンパイア ~対話~

 鵜飼は出発の準備を整え、深山の私物であるレクサスGSの運転席へ乗り込み、エンジンをかける。遅れて深山が玄関から出て来る。そして後部座席のドアを開けようとした時、深山のスマートフォンが震え、通知が来た事を知らせた。

 深山がスマートフォンを手に取ると、それは通知ではなく電話だった。しかもその相手は、東郷遼太郎。三堂による特霊局襲撃、その直後の電話で、深山の中に僅かな緊張が走る。


 深山は眉根を寄せて、咄嗟に頭を働かせた。

 既にバレている可能性は高い。だが、相手は東郷遼太郎である。IQが高いくせに、面倒だと考える事を放棄し、強引な行動を起こす男だ。もしかすると、まだこちらの素性は知られていない可能性も有る。 

 ただそれは、相手が東郷一人という条件であればだ。


 三島健三、この男は底が知れない。奴の人脈は広く、政治家から投資家に留まらない。また独自の情報網を持っており、その情報量は侮れない。そして最大の脅威は、恐らく東郷の娘として登記したペスカであろう。この二名を相手に、頭脳戦では勝ち目がない。

 

 まだ疑っている段階なら、電話に出ないと疑念は確定に変わる。とっくにバレているなら、このまま電話を無視して、逃げる事を優先すべきだ。しかし相手は東郷だ。こちらの予想を遥かに超えた行動を起こす可能性も、視野に入れなければならない。

 

 僅か一秒か二秒の間に、これだけの事を考え、深山は答えを出した。少し咳払いをし喉の調子を整え、いつもの後輩へと戻る。そして液晶に指を添えスライドさせた。


「もしもし。先輩っすか? どうしたんです?」

「深山か? 久しぶりだな。話が有るんだけど、今すぐ会えねぇか?」

「話しって、今すぐは難しいっすよ。これから仕事ですし」

「もう霞が関か? 違うだろ? 経堂の辺りにいるんだろ?」


 その言葉で、深山は悟った。そして、明るく人懐っこい後輩から、冷徹な支配者の顔へ戻る。その声は極めて冷たく、感情の無い機械の様に、起伏の無い一定のトーンが響く。


「東郷さん。あんたどこまで知ってんだ?」

「さぁ、どこまでだろうな。詳しく話してやるから来い! そこからなら、三十分はかからねぇだろ?」

「そっちは、お一人で?」

「当たりめぇだ。ダチと重要な話しをするんだ、サシじゃなくてどうするよ」

「なら、こちらも一人で参りましょう」

「場所は、事務所近くの喫茶店だ。この時間でも開いてるからな」

「わかりました。直ぐに伺いましょう」


 深山は通話を終えると舌打ちをする。それは遼太郎も同じであった。

 変わらない遼太郎、変わってしまった深山。深山は敵と認識し、遼太郎は仲間と思っている。既に両者の間には、超えられないほど深い溝が出来ている。

 

 深山は直ぐに、鵜飼へと指示をした。


「俺を降ろしたら、ゲートを開いて移動予定の隠れ家へ、車ごと移動しろ。それと、これから行く喫茶店までのゲートを繋いでおけ。君はゲート内で待機してろ。合図をしたら、直ぐに俺を引き上げろ。二つ目の隠れ家は、三島にもバレてないはずだ」

「わかった」

「これは君の不始末の後処理だ。俺の言いつけを守らずに、事態をややこしくしたんだ。君の能力に利用価値が無ければ、切り捨てている所だぞ」

「わかってる。もうヘマはしない」

「ならいい。それと、仲間達の連絡は忘れるなよ。連絡自体は、サイバーにやらせろ。テレスコープには、三堂の監視を急がせろ」

「それもわかった」


 でっぷりとした腹が邪魔で、助手席には座れないのだろうか。深山は後部座席で踏ん反っている。元来深山は、仕事は勿論の事、プライベートでも、そんな態度を取る事の無い男であった。

 太り気味の深山のせいで車両が狭くなれば、ハンカチで額の汗を拭いながら、笑顔で頭を下げる様な男であった。

 何が深山を変えたのか。それは、間違いなく能力の存在だろう。純粋な善人などこの世には存在しない。例え存在しても、それはたった一握りの神に近づいた者であろう。

 深山とて心に闇を抱えていてもおかしくはない。それが、能力と共に溢れ出したとすれば、変貌も理解は出来よう。


 深山は鵜飼に指示を告げた後、口を開く事は無かった。そして目的地まで一キロ位まで近づくと、車を停めさせる。深山は車を降り、そこからゆっくりと歩いて、目的地へ向かった。

 深山は歩きながら、これからの対策を頭に描く。度重なる特霊局の妨害で、方向修正を余儀なくされて来た。更に今回は、導火線に火が付いた爆弾を抱えた仲間が、本陣へと戻って来たのだ。

 一つでも対応を間違えれば、爆発して全てが終わる。しかし、悠々と歩みを進める深山には、緊張感どころか、鼻歌を歌うゆとりすら感じられた。

 それは、能力に依るところが大きいのだろう。


 やがて指定された喫茶店に辿り着く。ドアを開けると、奥まった場所に有る二人掛けの席に、遼太郎が座っている。店員に連れである事を話し、深山は遼太郎の向かいへ座る。

 暫く会っていないと言っても、一か月か二か月程度である。社会人であれば、ざらであろう。それでも、懐かしいと感じるのは、互いの距離が離れている証拠かもしれない。


 遼太郎は、直ぐに本題を切り出す。当然であろう。互いの近況を報告する場所ではないのだ。ましてや、牽制して相手の様子を伺う必要も無い。そして、深山も遼太郎が発する最初の言葉を予想していたのだろう。


「深山。お前が黒幕一味のリーダーだな」

「ええ、そうです。これまでの事件は、概ね私の指示です」


 遼太郎に対して敬語を使うのは、これまでの関係に義理立てているのだろうか。ただ遼太郎は、言葉の端々程度は気に留めない。


「俺が警察へ一緒に行ってやる。今すぐに計画を中止しろ!」

「私がそれを聞くとでも?」

「聞かなきゃ、強引にでも連れて行く」

「ははっ。流石、赤腕の鬼。やる事が強引だ」

「だから、何だ!」

「東郷さん。あんたのその行動は、迷惑そのものなんだ。どんな時でも力づくで解決する。あんた本人は、それでスッキリするだろう。そのせいで、どれだけの人間が迷惑を被ったと思ってる!」

「そりゃあお前、詭弁だろ? 多少は後処理を警察に任せる事もあるけどよ」

「なら、新宿での騒ぎはどう説明するんだ? 混乱はまだ収まっていない。日経平均は、かなり下落するはずだ! 重傷者をあれだけ出したんだ、予備費で賄える状況だって超えてるはずだ!」

「話しをすり替えんなよ、深山。そもそも、やくざ連中を片っ端から巻き込んだのは、お前だろ! 結果は一緒だよ、早いか遅いかの問題だ。予算関係に問題が生じたなら、お前が厚生労働省に移って、予算案を作れよ」

「いつもあんたはそうだ! 騒ぎを大きくして、後は丸投げだ! あんたは好き勝手にやって、美味しい所だけ持っていくだけだ!」

「だから、話しをすりかえんなって。原因を作ったのは、お前だろ?」


 深山は、気が付いていない。口調が変わっている事に。ヒートアップすればするほど、遼太郎が冷静になっていく事に。

 この場合、詭弁を弄してでも自己の正当性を確保し、一連の目的を遼太郎に納得させるのが、深山の取るべき行動であろう。

 しかし今の深山は、遼太郎に不満をぶつける事しか出来ていない。それでは誰も納得はしない。討論ですらなく、言いがかりをつけたがるクレーマーと大差ない。


 それは、深山自身にもわかっていた。頭の中では理解していても、口から勝手に言葉が飛び出す。

 意志とは関係なく飛び出す言葉に、焦れていた。制御しようとしても、かなわない事に怒りすら覚えていた。

 

 それは今の深山が、ある感情を理解していないからであろう。昔の深山なら、もしかすると理解出来たはずである。

 遼太郎に対する憧れは、人一倍強い。その分、嫉妬もする。信頼しているから、不満をぶつける。頼っているから、愚痴を吐き出す。

 敵と認識しながらも、本人を目の前にして、甘えているのは深山である。


「なぁ深山。能力に頼らなくても、出来る事は有るんだぜ。それを、今までお前がして来たんだ。もういいだろ? やり直さねぇか? 例え膿を取り除いても、新しい膿が出来るだけだ。人間の社会なんて、そんなもんだ。だから少しずつ変えてくしかねぇんだ。そうじゃねぇのか?」


 遼太郎の言葉は、深山の心に突き刺さる。寧ろ、突き刺さり過ぎた。


「それは、何年かかるんだ? 何百年かかるんだ? それで俺達は幸せになれるのか? 俺達は、いつだって人柱だ。それは、これからも変わらない! もう沢山だ! 俺は新しい世界を創る!」

「新しい世界を創って、どうするんだ? 今までよりも、平和になんのか? お前の創る世界は、どんな世界なんだよ!」

「資本主義はもう限界なんだ! 資本主義を元に、新たな仕組みを構築する。賛同者は多くいる。特に、有識者の中にね」

「なぁ、そりゃ絵に描いた餅じゃねぇのか? 描いただけの餅は、食えねぇんだぞ」

「だから駄目なんだ! 誰もが危機感すら感じていない! そういう馬鹿な事を言って、反対するのは富を得た一部の人間達か、それにたかって甘い汁を貪る連中だ! 一部の人間が、この世界を狂わせている。俺はそこから潰す! 東郷さん、あんたも反対するなら潰すぞ! これは警告じゃない!」

「だったらどうする? 俺を洗脳するか?」

「望み通りにしてやるよ!」


 狭い喫茶店の中に、深山の怒声が延々と響き渡る。それは深山の切実な叫びだったのだろう。

 頑張って来た。耐えて来た。必死に変えようと努力した。その為の仲間を少しずつ集めた。だけど、世界は変わらない。小さな声では、世界どころか日本中にすら届かない。

 日本が良い国だと言われても、実感がない。人間の悪意を見て来たから。その犠牲になった者達も、多く見て来たから。

 弱者に優しく有れ。何度叫んでも、強者が聞き入れる事はない。手を取り合おう。何度語りかけても、惰性を望む者ばかり。

 誰もが幸せを求めるくせに、誰もが変化を否定し停滞を望む。怖いだろう、当たり前だ。苦しくても前に進み続けなければ、成長は有り得ない。停滞は、死と同義であるのだから。


 ともすれば、深山の優しさが狂わせたのだろう。優し過ぎる余り、許せなくなったのだろう。

 

 遂に、深山は能力を発動させる。三堂の時は、意識が無かった為、わざわざ語りかけた。意識の有る者を相手にするなら、目を合わせるだけで能力は発動する。

 目を合わせて後、一分、二分と時間が経過する。そして遼太郎は、ゆっくりと口を開いた。


「洗脳は完了したのか?」

「なっ! なんで、なんでだ?」

「俺を洗脳するなら、一か月くらい前にしておけば良かったんだぜ。多分だけどな」

「どう言う事だ! そんな訳があるか! 俺が洗脳出来ないなんて!」

「別におかしな事はねぇさ。マナ、いやマナって言ってもわからねぇか。その総量が、お前と俺では違うんだよ。だからお前の能力は、俺には利かない」

「要するにお前は、正真正銘の化け物になったって事か?」

「まぁ、似たようなもんだ。お前に言われたくはねぇけどな。世界を壊そうとする化け物にはな」


 深山は自分の能力に、絶対の自信があったのだろう。通用しないなど、欠片も考えていなかったに違いない。


「お前のターンが終わったなら、こっちの番だよな?」


 言葉の途中で、深山の背後にゲートが開いた。そして、深山を一瞬で呑み込むと、すっと消える。流石の遼太郎も、予想をしていなかったろう。悔しそうにテーブルを叩いた。


「東郷。お前が、化け物になったのなら。俺も人間を止める。こんなぬるいやり取りは、もう終わりだ! 俺が新世界の神になり、世界を変革する!」


 振り返って見えれば、この地点が深山にとってのターニングポイントなのだろう。世界をかけた深山と遼太郎の戦いが、加速しようとしていた。

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