第342話 ヴァンパイア ~壊滅~

 時は僅かに遡る。事務所に貼られた護符に、反応が有った事を知らされた遼太郎は、リビングを飛び出した。そして、同じくリビングにいた空と翔一も立ち上がる。しかし彼らの行動は、アルキエルの一言によって遮られた。


「ミスラぁ、ちっとは落ち着け! お前だけ行っても、何も解決しねぇ! おい、空ぁ! お前はペスカをぶん殴って、叩き起こして来い! 小僧! お前は、ミスラと一緒に準備をしとけ! ペスカが起きてきたら出発だ!」

「アルキエル! 呑気な事を言ってる場合じゃねぇんだよ! 事務所が襲撃されたんだぞ!」

「だから何だ! 神気がまともに使えねぇ俺達が、慌てて飛び出して何か出来んのか? ミスラぁ、今のお前は唯の人間と変わりゃしねぇんだ! ちっとは、冷静になって頭を使えや! 俺達は、戦いの神なんだ。戦いしか出来やしねぇ。この状況で必要になるのは、小僧とペスカだ! 違わねぇだろ、あぁ?」


 遼太郎には、返す言葉が無かった。確かにアルキエルの言う通りなのだ。護符に反応があり、特霊局のメンバー達に連絡がつかない。これだけの情報で、焦ってしまった。事務所が襲撃を受けたのは間違いはない。だが駆け付けた時、万が一にも局員の一人が致命傷を負ったとすれば、それを救えるのはペスカしかいない。

 襲撃をしたのは、間違いなく黒幕の一味であろう。戦力だけならば、遼太郎だけで充分かもしれない。しかし奴らが逃走した場合、翔一がいなければ追跡すら出来ない。


「あぁ、わかった。翔一、着いて来てくれ。一通り、必要になるかもしれねぇ道具を、車に運ぶぞ」

「わかりました、東郷さん」


 遼太郎は、翔一に声をかけながらも、アルキエルの言葉を反芻していた。

 昔のアルキエルは、どちらかと言えば短絡的だった。冬也と相性が合うのは、そのせいでも有るだろう。だが、今のアルキエルは違う。新宿という日本で最大の都市を犠牲にし、暴れ回っていた男とは全くの別人だ。洞察力と判断力は、ペスカにすら劣らない。

 作戦の立案から遂行まで一人で全てをこなす。正に戦いの神だ。


「ミスラぁ。また下らねぇ事を考えてんな。知ってんだろ? 俺の中には、知略と戦術の神格が有るんだよ。たまには、奴らの力を使ってやらねぇと、拗ねやがるからなぁ」


 遼太郎の考えを見透かした様に、アルキエルは言い放つ。ただその顔には、少し照れくさそうな表情が浮かんでいた。


 俺の実力じゃねぇ、借り物の力だ。俺の中に眠る親友達が、力を貸してくれているんだ。


 アルキエルの表情は、そう語っている様に見えた。そして遼太郎には、もう一つ重要な事を語っている様にも思えた。


 お前にも仲間がいる。それに俺が、お前の一番の親友だって事を忘れんなよ。仲間がいるから、戦えるんだ。それは人も神も同じだ。


 アルキエルの表情を見て、遼太郎は肩から力が抜けていくのを感じた。急いては事を仕損じる。確かにその通りだろう。

 冷静を取り戻した遼太郎は、翔一と共に準備を急ぐ。そして、数分も経たずにペスカが目を擦り、二階から降りて来る。

 出発の準備を整えた一行は、車に乗り込んだ。向かうのは、特霊局の事務所。車通りがまだ少ない早朝の道路を、遼太郎のワゴンが爆走した。


 ☆ ☆ ☆


 一方、安西を倒した三堂は、少し呼吸を整えると共に、指を折りながら数えていた。


「ここにいるのは、逃げたのを含めて三人かぁ。その内、一人は能力者って事だねぇ。いやぁ、まったく馬鹿だよね。自分達の口で、仲間の人数と秘密を教えてんだからさぁ。赤腕の鬼がやってくるまで、あと少しって所だねぇ。その前に、食事を済ませておかないとねぇ」


 三堂の推理は、ごく簡単なものである。

 事務所の中におらず、敢えて寮にいるという事は、事務所内では戦力にならないという事。即ち、能力者である事の証である。緊急時にも関わらず、能力者らしき者の名は一人しか挙がらなかった。それは、能力者が一人であると、容易に推測が出来る。安西が敢えて逃がした事から察するに、現状では安西が一番の戦力なのだろう。

 戦いにすらならない。これからは、一方的な狩りの時間だ。

  

 三堂とて、遼太郎の実力は評価している。だからこそ、この場では通り名を使って呼称した。

 赤腕の鬼。それはかつて、各省庁内で都市伝説の様に噂された、武術の達人の名である。どれだけ集団で襲いかかっても、傷一つ付けられる事は無い。刀剣類を持つ相手にも怯む事は無く、例え拳銃を突きつけられても、歩みを止める事は無い。そして必ず全てを鎮圧し、両腕を返り血で染めている。

 

 文字通り、鬼の様な存在である。TVの中継を見る限り、実力は更に上がっている。渡り合うには、まだ少し力が足りない。

 だが、ここには能力者が一人いる。そう遠くへは行っていないはず。それを食らえば、赤腕の鬼とも対等に戦えるはず。


「逃げた三人を吸い尽くせば、鬼くらいは倒せそうかなぁ。そうだといいねぇ。でも、新宿にいた化け物の一体がやって来たら、逃げるしか無いよねぇ。依頼には含まれてないんだしさぁ」


 コツコツと足音を立てながら、三堂は独り言ちる。寮の場所は、知っている。間違える事もない。だが三堂は寮へと向かわず、裏路地へと足を踏み入れた。

 三堂は予想していた。非力な自分なら、どうやって逃げると。当然ながら、正面の通りには出ないだろう。自分ならそうするからだ。寮の避難口から出て、塀を超えて隣の民家へ移動する。民家を抜けて、そのまま裏通りへと移れば、特霊局の事務所からは死角になる。安西が作り出した、逃げられる時間なのだ。それを有効に使わなければ、立つ瀬がないだろう。

 ただ残念ながら、三堂の推測は余りにも的確であった。

 

 既にはぁはぁと荒い息になり、全力で三人は路地を走る。エリーはスマホを片手に、通話を繰り返す。そして、林は少し遅れながら、肩で息をしている。雄二はキョロキョロと辺りを見回し、警戒しながら走る。

 三人は信じていた。今も安西が襲撃者を足止めしてくれていると。そして、自分達は直ぐに遼太郎へ連絡を取り、応援を呼ぶのだと。


 通信妨害すら仕掛けて来る連中が、何もせずに逃がしてくれるはずが無い。この場で唯一の能力者である設楽雄二は、張り詰めた緊張の中にいた。

 どこから襲われるか、何が仕掛けられているか、慎重に探りながら走る。それは、肉体だけでなく、精神も酷使する。だが、仲間の為に懸命になって、自分の使命を遂行しようと努めていた。


「リンリンさん。頑張って走って!」

「勘弁して欲しいでござる。こういうのは、拙僧の範疇ではござらんよ」

「rinrin! Hurry up! Go! Go! Go! I can’t get hold of him」

「まだ、東郷殿には繋がらないでござるか? エリー殿、はぁはぁ。とつぜん、はぁはぁ。英語を話すのは、はぁはぁ。止めて欲しいでござるよ」

「リンリンさん、無理して喋んな!」


 時が過ぎる毎に、体力の無い林が遅れていく。それを雄二とエリーが励ます。林は自分を置いていけとは言わない。そして、二人は林を置いていくなど口にする事はない。

 林は、サイバースペースにおいて、力を発揮する存在である。特霊局内でも稀有な人材であり、決して失う事は出来ない。誰が欠けても言い訳ではない。しかし、優先順位は存在する。林は特霊局の中で、最も保護すべき存在であるのだ。

 そして、雄二は林を守る様に、傍について走る。既に一キロは、走っただろうか。未だに通信妨害のエリアを抜けない。

 ただその逃走劇は、長くは続かない。


 三人が全力で駆ける中、突如エリーが大声を上げる。


「Hey! Ryotaro! Were are you right now?」


 遼太郎と連絡が繋がった。三人に安堵の表情が浮かぶ。だがその時であった。

 猛スピードで、後方から迫る影が有る。警戒を続けていた雄二はその陰に気付くと、林とエリーを守る様に壁となる。しかしその影は、あっさりと雄二を躱し、林とエリーの首を掴んで押し倒した。首を掴まれた二人は、見る間にやつれていく。

 倒された拍子の転がったスマートフォンからは、声が聞こえている。その影はそのスマートフォンを拾うと、耳に当てて会話を始めた。

 

「あれぇ? その声は知らない人だねぇ。君でいいや、赤腕の鬼に伝えてくれるかなぁ。来るのが遅いってさぁ」

 

 それだけ言うと、影はスマートフォンを握りつぶす。そこにいたのは、髪の長いやせ型の男であった。その時、雄二の中に溢れたのは、驚きよりも怒りが多いだろう。雄二は全身に炎を纏い、臨戦態勢を取りながら、声を荒げた。


「てめぇ! 何をしやがった!」

「何を? そりゃ食事だよぉ。見てわからないのかい? 君も愚かな人間の一人って事なんだねぇ。そんな大層な能力を持っているのにさぁ。仕方ないよねぇ、君も僕のご飯なんだからさぁ」


 男の近くには、林とエリーが倒れている。万が一にも自分の能力で巻き込む訳にはいかない。雄二は、素早く男との距離を詰めると、炎を纏った拳を振るう。男は雄二の攻撃を避けようともせずに、片手で受け止める。受け止められた瞬間、雄二の拳を包んでいた炎は、男の手に呑み込まれていった。


「なっ!」


 言葉を放つ余裕すら与えられない。雄二の全身から、力が抜けていく。それは、掴まれた男の手によって、吸い取られる様だった。次第に、雄二は体を支える力を無くし、崩れる様に倒れる。それでも男は、雄二の手を離さない。雄二の意識が失われるまで、それは続いた。


「相手の能力も知らずに、突っ込んでくるなんて、若い証拠だねぇ。それが命取りになるって、赤腕の鬼は教えてくれなかったのかねぇ。可哀想に、さようならお元気で」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る