第322話 新たな日常 ~再会~

 寿司屋を出て、商店街を散策するペスカ達。昼食に満足したのか、心なしか一行の表情は明るい。穏やかな雰囲気で、先の出来事を思い出すかの様に、少し目を閉じるアルキエルの心情には、感嘆にも近いものが有るのだろう。


 アルキエルは、良くも悪くも純粋である。神として、これまで己の存在意義を体現してきた。それ故に、間違いを犯した。しかし今は冬也達と出会い、知り得ない事を理解しようとしている。

 本質を理解する事は、誰しもが出来る事ではない。そこに秘めた長所を見つけ称賛する事も、中々に難しい。しかしそれが出来るなら、人でも神でも成長を続けていけるのだろう。


「なぁアルキエル。旨かっただろ?」

「あぁ、寿司と言ったか? あれは極上だ。ただ飯の上に生魚を乗せたんじゃねぇ。あの小さい食い物には、途轍もない技術が詰め込まれてやがる」

「随分と絶賛してるじゃねぇか」

「あたりめぇだ。特に、お前が親方と言った奴だ。奴は気迫に満ちていた。旨い物を食わせてぇ、満足させてぇって気持ちが、あの小さな食い物に凝縮してやがった。間違いなく奴は一流だ」

「どうアルキエル? 日本って凄いでしょ?」

「ペスカぁ。凄いかどうかは、まだわからねぇ。俺が見たのは、一端だろ? それだけじゃ判断出来やしねぇ」

「なら、図書館にでも行ってみる? ここからそんなに遠くないしさ」

「図書館ってのは、文献が揃ってる場所だろ? 文字面を眺めて、何がわかるってんだ?」

「少なくとも知識は得られるよ。知ってるのと知らないのじゃ、大きな違いが有ると思うけどな」

「そうだなペスカぁ。お前の言葉は一理有るかも知れねぇ」


 図書館に向かうには、ここから駅を挟み反対方面へ向かわなければならない。そこまでゆっくりと街を眺めながら、一行は歩みを進める事になった。流石に大きな街である、特に駅前であれば交通量もかなり多い。

 相変わらず空気が淀んでいる、人間が多すぎで鬱陶しいと、アルキエルは文句を言う。車はともかく、少なくともガタイが大きく眼光の鋭い外国人に、好んで近寄ろうとする人間はいないのだが。


 先導する冬也は、決して威圧的ではない。歩道を歩いていても、避ける様な事はされない。ペスカは勿論だろう。しかしアルキエルが視界に入った瞬間、多くの人間は視線を逸らして、避ける様に歩道の隅を歩く。

 これはアルキエル自身が威圧して、人間を近寄らせまいとしているのではない。ロイスマリアでも見かけた光景である。アルキエルが恐れられる存在である証拠なのだろうが、あからさまな態度を取れば不満も感じよう。


 ペデストリアンデッキを抜け、駅の反対方向へ辿り着く。大きなショッピングビルが立ち並ぶエリアを、歩いている時の事だった。ベビーカーを押している母親とすれ違う。ペスカ達とすれ違おうとした瞬間、ベビーカーで眠っていた赤ん坊が、火の付いた様に泣き出した。

 慌ててベビーカーを止め、母親が赤ん坊を抱き上げる。少し困った顔で、懸命に赤ん坊をあやしていた。


 アルキエルのせいではないだろう。なぜならば、赤ん坊を連れた人間と、何回もすれ違った。もし、アルキエルが原因なら、駅の周辺は赤ん坊の泣き声が連鎖していたはずだから。


 急に泣き出した赤ん坊が気になったのか、アルキエルは立ち止まり、赤ん坊をあやす母親を眺める。そして何かに気が付いたのか、ぽつりと呟いた。


「おい、あれ!」


 アルキエルの言葉で、ペスカと冬也も親子に目をやる。急に泣き出す赤ん坊など、何でもない良くある光景である。しかし何故か見過ごせず、ペスカと冬也も暫くその光景にくぎ付けとなった。

 ペスカは何故か、赤ん坊に懐かしさを感じていた。そして、ゆっくりと親子に近づいていく。母親の前まで歩くと、ペスカは話しかけた。


「あの、すみません。赤ちゃん、抱いて良いですか?」


 突然の申し出に、母親は少し驚いた様子であったが、直ぐにペスカへ笑顔を返した。


「ごめんなさい。ご迷惑をかけて」

「いえ、そんな事」

「いつもは、あんまり泣かない子なのよ。急にどうしちゃったのかしら」


 母親が話をしている間、赤ん坊は大泣きしながら体をよじり、ペスカに手を伸ばす。赤ん坊の様子に、母親は少し首を傾げる。


「あら、どうしたの? おねぇさんが気に入ったの?」


 母親はそう言うと、柔らかく微笑んでペスカに赤ん坊を差し出した。


「この子、あなたを気に入ったみたい。ごめんなさい。迷惑をかける様だけど、あやして貰えるかしら」


 ペスカは微笑んで頷くと、母親から赤ん坊を受け取り、優しく抱きしめた。その瞬間にペスカは悟った。この赤ん坊とかつて会っている事を。そして女神セリュシオネが約束を守ってくれた事を。

 ペスカに抱かれた瞬間、赤ん坊はピタッと泣き止む。その代わり、ペスカの瞳からは涙が零れていた。


「久しぶり。やっと会えたね勇者さん」


 ペスカは、赤ん坊を見つめながら呟く。その瞳から流れる涙は止まる事はない。そんなペスカを宥めようとしたのか、赤ん坊は小さな手をペスカの頬へ必死に伸ばした。

 母親は最初こそ不思議そうにしていたが、赤ん坊の様子を見て安心したのか、何も言わずペスカの様子を見守った。


 やがて冬也がペスカに近づく。冬也がそっと手を伸ばそうとした時、赤ん坊は伸びて来た手を強く握った。赤ん坊の力では、微塵も痛さは感じない。しかし小さな手の温もりは、何かを語りかけている様に思える。その柔らかい手は、冬也の心を掴んで離さなかった。


 懐かしい友の匂いを感じる。


 冬也は、涙を拭う事なく赤ん坊に笑いかけているペスカに目をやる。そして、赤ん坊に視線を落とす。そして冬也は、魂魄の正体を理解した。


「お前・・・。そうか、そういう事か。ほんと久しぶりだ。また会えるなんて、思ってもみなかった。良かったな、優しそうな母親で。幸せそうだな」


 冬也は優しく語り掛けると、赤ん坊はにっこりと笑う。冬也の瞳が涙で滲んだ。

 様子を見ていた母親が、ペスカと冬也に語り掛ける。


「不思議ね、この子はたまにぼうっと遠くを見てるのよ。それとね私、この子を身ごもった時に、女神様と会った気がするの。覚えていないんだけど、何かを言われた気もするのよ。ほんと不思議。今日だって、この子がどうしても外へ出たいって駄々を捏ねたのよ。あなた達と会えたのは、運命なのかしらね」


 ペスカは赤ん坊へ、念話を送っていた。しかし、反応は赤ん坊そのものであった。赤ん坊に前世の記憶が残っているかは、ペスカにもわからない。だが間違いなくこの赤ん坊は、自分達を知っていて会いに来た。その事がペスカは心を震わせた。ペスカが赤ん坊に頬ずりすると、赤ん坊はキャッキャと嬉しそうに笑った。


 最後にゆっくりとアルキエルが近づいて来る。アルキエルが近づいた瞬間、赤ん坊から笑顔が消える。泣き喚く訳でもなく、赤ん坊はじっとアルキエルを見つめる。対するアルキエルは、赤ん坊を見下ろすと静かに語り掛けた。


「よぉ! 久しぶりだなシグルド。てめぇは、俺に傷を付けた唯一の人間だ。それにてめぇの魂魄は、輝きを失ってねぇ。てめぇがいつか、俺の前に立つ事を待ってるぜぇ」


 それだけ言うと、アルキエルは赤ん坊から離れる。それでも赤ん坊は、じっとアルキエルから視線を逸らさずにいた。そんな赤ん坊の頭を、冬也は優しく撫でる。


「大丈夫だ。今でもお前は俺の目標なんだ。それにお前は、勇者なんだからな。いつか、俺とも結着を着けようぜ! 今度こそ、勝ち逃げするんじゃねぇぞ親友!」

「ふふっ。わたしよりも、よっぽどこの子の事を知ってるみたいね。あなた達の言っている事は、さっぱり理解出来ないけど、この子とあなた達は、凄く深い繋がりがあるのね。なんか不思議だけど、この子の顔を見るとそう思えるわ」

「えぇ。理解出来ないかもしれませんけど、この子は私達の大切な友人です。この子が、あなたの様な優しお母さんの下へ生まれた事が嬉しいです」

「あなたみたいに可愛らしい子に、そんな事を言ってもらえると、私も嬉しいわ」


 やがて赤ん坊は疲れたのか、眠ってしまう。ペスカは可愛らしい寝顔を見つめ、大事な宝物を渡す様に、母親に赤ん坊を返す。母親はゆっくりと赤ん坊をベビーカーに乗せた。


「そう言えば、名乗ってなかったわね。私は新藤美郷。この子は新藤勇大」

「私は東郷ペスカです」

「俺は東郷冬也。あっちのは、アルキエルだ」

「あなた達とは、また会えそうな気がするわ」

「私もそう思います。あっ、ちょっと待って!」


 別れを告げようとする母親に時間を貰い、ペスカは眠る赤ん坊の頭に手を添える。そして、目を閉じて念を籠める。


「この子の未来に、希望が有らんことを。この子の未来に、祝福が有らんことを。この子に安寧が有らんことを。我が神名を持って切に願う」


 柔らかい光が、眠る赤ん坊を包み込む。母親は少し驚いた顔をしたが、直ぐに頭を下げた。


「あやしてくれただけじゃなくて、この子の為にお祈りまでしてくれたのね。本当にありがとう。じゃあ、私は行くわね。また会いましょう」


 頭を何度も下げて、母親は去っていく。過ぎ去る親子の姿を心に焼き付ける様に、ペスカと冬也は静かに見送った。そしてペスカと冬也は、改めて心に誓った。古き友が生きる世界を、必ず守ると。

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