第319話 新たな日常 ~帰宅~
クラウスが遼太郎所有のミニバンを運転し戻って来る。冬也は溜息をつきながら助手席に乗り込む。後部座席の先頭を占領したペスカと空は、絶え間なくお喋りを続けていた。そして、三列シートの最後尾を独占したアルキエルは、にやけた様な笑みを浮かべ、車内の状況を観察していた。
自分が車を取りに行っている間に何が起きたのか、クラウスは何となく空気を察して口を噤んだ。賢い者ならば、藪をつついて蛇を出す事はしない。ただ一言だけ、ボソッと呟く。
「冬也殿、大変でしたな」
冬也は運転席のクラウスへ顔を向け、疲れた様子で軽く頷いた。
自宅へ戻る道中では、ロイスマリアでこれまで起きた経緯を、ペスカがクラウスと空に話して聞かせた。
ペスカ達は東京の状況を、簡単にだが遼太郎から聞いている。しかし、ロイスマリアの状況をクラウスと空は知らない。事情を知らないままでは、今後の行動に支障をきたす恐れがある。
ペスカ達が日本を訪れた理由は、言わずとも明白だろう。しかし今後、行動を共にしていくのであれば、正しく情報を共有する必要がある。
少なくともペスカと冬也が正式に神の一員になった事、アルキエルが冬也の眷属になった事。なによりも、遼太郎が人の魂魄と融合した、かつて神格を持つ神であった事は、知っておかねばならない情報であろう。無論、遼太郎を除く三柱の神は著しく力を制限され、この世界への直接干渉も許されていない事も。
ロイスマリア出身のクラウスにとっては、自分が知らない故郷の変化は衝撃であったろう。ともすれば、壊滅していた可能性すらあったのだから。
それは、空とて同様である。ロイスマリアの医療を発展させる為に医学を修める、その為に日本へと戻ったのだから。
ペスカの話は、彼らに衝撃を与えると共に、未来への軌道を見直す事にもなったろう。
現在のロイスマリアは、ペスカの知恵で復興と発展を遂げた世界である、急激な発展や変化には、必ず脆さを内包する。
世界情勢を安定させる為には、何を持って帰れば良いのか判断せねばならない。それには漫然と知識を得るより、必要な知識を得る事が重要になるだろう。知能の高いエルフであるクラウスは、瞬時に頭を切り替えていた。
「ところでさぁクラウス。能力者が能力を発動出来るのは、どの位の範囲なの?」
「検証は充分ではありませんが、都内に限られると思われます。都内を出ると、著しく能力が制限される傾向にある様です」
「神奈川や千葉、埼玉みたいに隣接する県では、能力が制限されるって事?」
「それについては、検証不足です。なにせ、特霊局が抱える能力者に数が限られているもので」
「そっか。忙しいかもしれないけど、検証は急いでね」
「畏まりましたペスカ様」
ペスカはある仮定の下、クラウスに質問をした。もしかすると、東京都以外では能力を使えないのではないかと。
ペスカがその仮定に至ったのは、二つの要因がある。
一つは、能力者が発生した理由には、邪神ロメリアが大きく関わっている事である。
能力者の大量発生は、かつて弱体化していた邪神ロメリアが、力を取り戻す為に行ったのが始まりである。いくら邪神とは言え、弱体したロメリアそれ程大きな力を使えたとは思えない。地域を限定して人間を利用したと考えるのが、妥当であろう。
二つ目は、空と翔一が異世界ロイスマリアに渡っても能力を使えた事実と、邪神ロメリアがロイスマリアに戻った際に、能力を発症した多くの人間が昏睡状態に陥り、その後には能力を失っている事実である。
何れにせよ、異能力は邪神ロメリアに紐づいている。それならば、未だ数を把握しきれていない能力者達が、日本全国若しくは世界中に広がる可能性を、排除出来るかもしれない。
現状で一番面倒だと思えるのは、目の届かない地方へ逃れ、潜伏される事である。ましてや海外に逃亡し、各国の諜報機関や有力者達と結びつけば、世界情勢すら危うくなる。
東京という地域に限定しているならば、それに越したことはない。それでも、今回の事件で黒幕になった者達は、一筋縄ではいかぬ存在であろうが。
今回の事件で、大規模な災害を防ぐ事が出来たのは上々だろう。しかし、次々の仕掛けられた警察に対する攻撃。その結果、黒幕の一人を取り逃した事は、一同に深い影を落としていた。ペスカの説明から始まり、車内には重苦しい雰囲気が漂っていた。
「ってかよぉ。みんな腹減ってねぇか? 俺は昼飯を食う時間がなくてよ。もう、結構な時間だしな」
重苦しい雰囲気を、払拭しようとしたのか、はたまた天然の発言なのかは、本人しかわかるまい。ただ冬也の言葉は、車内の雰囲気を少し和らげる効果があった。
「私もお腹減った。ねぇクラウス、家の冷蔵庫には食材残ってる?」
「残念ながらペスカ様。買い物をしなければ、皆さんの空腹を満たす事は出来ません」
「にしても、今の時間でやってるスーパーないよね」
「仕方あるますまい。帰りながら、何処か簡単に調達出来る所に寄りましょう」
「クラウスさん、わりぃがファーストフードは却下だ! ペスカや空ちゃんは、まだ成長期だ。余計なもんを食わせたくねぇ!」
「え~!」
「え~じゃねぇ、ペスカ!」
すったもんだが有った後、結局は自宅近くにある某カレーのチェーン店で、お持ち帰りの弁当を調達し東郷宅へと戻る。久しぶりの自宅へ戻る頃には夜が更けており、前線で力を振るったクラウスと空はかなり疲れた表情を浮かべていた。
リビングのテーブルを囲み、カレー弁当をつつく一同。ペスカと冬也の様に日本出身である者には、慣れ親しんだ味であったが、アルキエルはかなり怪訝な表情を浮かべ、匙を口に運んでいた。
「冬也ぁ。これは、食った事がねぇ味だ。不思議と後を引く感じは悪くねぇが、大して旨くはねぇ!」
「あの、アルキエルさんは、偏食家なんですか?」
「違うよ空ちゃん。アルキエルは、ブルの神気が籠った食材と、お兄ちゃんの神気が籠った料理を食べてたからね。偏食ってより、贅沢なんだよ」
「これは、お前も作れんだろ冬也ぁ」
「まぁスパイスが揃ってりゃな」
「なら、ロイスマリアに帰る前に、必要な物は必ず揃えろ!」
「はいはい。わかったよ」
食事が終わる頃には、深夜をとうに回っており、満腹感もあってか皆が眠気に襲われていた。睡眠を必要としないアルキエルは除いて。
冬也は、アルキエルに余計な事はするな、家の中に有る物には一切手を触れるなと、言い残すと自分の部屋に戻ると眠りにつく。他の者達も眠りにつくのはとても速かった。
翌朝、皆が目覚める頃には、冬也はキッチンに立っており、朝食の用意をしていた。そして、リビングには、遼太郎と翔一の姿も有る。
最初に目を覚まし、リビングへとやって来たクラウスは、少し目を見開いた。
「遼太郎殿、翔一殿、もう大丈夫なのですか?」
「ったりめぇだ。誰に言ってやがる。咄嗟に物理障壁を張ったんだ! 翔一含めて、誰一人怪我なんてしちゃいねぇよ!」
「ですが、救急車で運ばれたと」
「俺と翔一は、大した事はねぇ。ただ、運転してた渋谷署の刑事は、検査入院になったがな。それより冬也ぁ! まだ飯は出来ねぇのか!」
「ったく、うっせぇなぁ! 翔一は、パンで良かったよな」
「悪いね冬也、僕の分まで」
「構わねぇよ。問題はこの糞親父だ! 俺の前で納豆を食いてぇなんて、喧嘩売ってるとしか思えねぇ!」
遼太郎の罵声に反応し、冬也が台所から顔を出す。その手にはトレーが有り、その上には料理が乗っている。
冬也は怪訝そうな表情を浮かべ、遼太郎の前にご飯とみそ汁、そして納豆とお茶を置いた。そして翔一の前にはトーストとベーコンエッグ、それにコーヒーを置き、優しく微笑んで見せた。
遼太郎が納豆をかき混ぜ始める光景を視界の端から消し、冬也はクラウスに視線を向ける。
「クラウスさん。あんたも朝食を食うだろ? 何にする?」
「いえ、私は自分で」
「そういうのはいいから、食いたい物を言えよ!」
「そうだぜ、こいつは好きでやってんだから。好きな物を注文しろよ!」
「では、遼太郎殿と同じ物を」
「あぁ? あんたも俺の前で納豆を食うのか? いいけどよ、ペスカが起きて来る前に食い終われよ」
遠慮し言葉を濁すクラウスに対し、遼太郎はぶっきらぼうに口を開く。遼太郎の言葉に後押しされ、おずおずとした注文は、冬也の睨みを受ける事になる。
再び冬也が台所に戻った所で、リビングの戸が開く。
「あれ? 東郷さんと工藤先輩? なんで?」
「おう、空ちゃん! 無事だったか?」
「えぇ。冬也さんに守って貰ったので」
「あの馬鹿も、少しは役に立ったか。にしても昨日は、お疲れさんだったな。取り合えず、飯食うだろ? 何にするんだ?」
「え? 私、納豆はあまり好きじゃないんです」
「納豆は体に良いんだぜ、空ちゃん」
「でも・・・」
「まぁ、無理に食うもんじゃねぇしな。お~い冬也ぁ、パンとハムエッグを追加だ!」
「あいよ!」
空自身は、納豆が食べられない訳では無い。冬也が好んで食べないので、自分も食べないだけである。
丁度、空がダイニングテーブルに腰かけた頃に、ガラッとリビングの窓が開き、外からアルキエルが入って来る。
アルキエルは、食事中の遼太郎や翔一をジロっと見つめると、徐に口を開いた。
「ミスラ。お前が食ってんのは何だ? やけにくせぇな!」
「納豆だ。知らねぇのか?」
「いや、知らねぇな。ロイスマリアには、そんなけったいな食い物はねぇだろ」
「そんな事はありません、アルキエル殿。我が妻シルビアが持ち帰り、研究を致しました。一部の料理店では、注文も出来るはずです」
「それならお前が納豆を知らねぇのは、冬也のせいだな。まぁ食ってみろよアルキエル」
遼太郎は、山の様にご飯が盛られた茶碗を手に取ると、ご飯の上に納豆をドロリとかける。そのまま箸と共に、アルキエルへ差し出した。アルキエルは、怪訝な表情を浮かべながらも、納豆とご飯を口に放り込む。
アルキエルは暫くの間、ゆっくりと咀嚼を続ける。怪訝そうな表情から、何かを確かめる様なものに変わる。一口、二口と続けて味を確かめると、アルキエルは静かに口を開いた。
「これと言って旨くはねぇが、食えねぇほど不味くはねぇ。くせぇし、口の中がねばついて気持ちわりぃ。だけどこの豆自体には、不思議なうま味が有る。妙な食い物だな」
「これは、トッピング次第で味が変わるんだ。例えばネギや卵。鰹節なんか入れても旨いぜ」
「ミスラ。それなら、お前が勧める形で食わせてみろよ」
「任せろアルキエル。そうだクラウス。お前にも、遼太郎スペシャルを食わせてやるよ」
遼太郎は笑顔で、すっと立ち上がると台所へ行く。そして、幾つかの調味料とボウル、そしてパックの納豆を二つ持って戻って来た。ボウルに納豆を移すと、冬也に刻ませたネギを大量に入れる、更にキムチを少し入れ、マヨネーズをかけた後に混ぜ合わせた。充分に混ざった後、最後にごま油を垂らして、もう一度かき混ぜた。
遼太郎が納豆を混ぜている間、冬也が二人前のご飯とみそ汁、それと空のトーストセットを持ってやって来る。明らかに不愉快そうな表情を浮かべる冬也を後目に、遼太郎は言い放った。
「遼太郎スペシャルの完成だ! どんな納豆嫌いでも、必ず絶賛する逸品だ! 先ずは食べてみろ!」
クラウスとアルキエルは、ボウルの中にある納豆を、ご飯の上にかける。そして、おずおずと口に入れた。彼らが咀嚼する姿を見て、得意げな表情を遼太郎は浮かべる。それは、間違いないという自信の表れだろう。しかし遼太郎に対する感想は、思いもよらぬものだった。
「遼太郎殿。美味ではあるが、少し味にくどさを感じます。もう少し調味料を減らした方が、私は好きですな」
「ミスラ。お前は料理をしない方が良い。そこのエルフが言ったのが正解だ。ごちゃごちゃ入れ過ぎたせいで、豆のうま味が消えちまってる」
予想外の答えに、遼太郎は膝を突く。そんな遼太郎に、追い打ちをかける様、冬也は言い放った。
「いいから早く食っちまえ! そろそろペスカが起きてくる」
ただ冬也の忠告は、少し遅かった。騒がしいリビングの音が、ペスカの部屋にも届いていた。ガチャりと音を立て、リビングのドアが開かれると、けたたましい声が響いた。
「う~わ、くっさ! 誰よ、換気もしないで納豆なんて食べてるの? くさっ、くさっ、くっっさぁ~!」
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