第268話 憧れへ、その一歩を その2

 少年は、祖父に剣を渡す様に要求する。

 当然ながら、受け入れられる事はない。

 ほんの数分前まで、少年はベッドの上で身動き一つしない、生ける屍であったのだから。


「馬鹿な事を言うな! お前は早く逃げろ!」

「逃げるのは、爺ちゃんだ。そんな痩せた身体じゃ戦えない! 爺ちゃんは、街の皆を避難させてくれ!」

「それは、お前の事だろ! 早く逃げろと言ってるんだ!」

「いま戦わなくて、どうするって言うんだ! 俺がちゃんとしてれば、お袋は死なずに済んだ! 俺は戦わなくちゃ駄目なんだ! もう逃げちゃ駄目なんだ! 戦わせてくれよ、爺ちゃん!」


 少年は、マナを体中に巡らせる。

 弱って動かない手足が、体そのものが軽くなる。


「お前・・・」


 祖父は目を見開いた。

 かつて天才と呼ばれた孫が、再び目の前に居た。


「爺ちゃん、ぼーっとしてる場合じゃない! 早く!」


 少年は、祖父から剣を奪い取る。

 次の瞬間、飛び掛かって来るモンスターを、横薙ぎに切り捨てた。


 自分の命を繋ぐ為に、懸命に抗う母が居た。

 そして、弱った体でモンスターに立ち向かう祖父が居た。

 少年は知った。

 戦う本当の意味を。

 

 少年は街を駆けた。

 領都から遠い街には、軍の姿が見当たらない。

 街は惨状と化していた。

 溢れかえるモンスター。

 そして街の住人は、各々が家に立てこもり、モンスターの襲撃に耐えていた。

 全ての住人が生き残っていた訳ではない。

 少年の母親の様に、モンスターに喰われる住人も少なくなかった。

 何よりも、飢餓の果てに打ち捨てられる様に、横たわる死体が少年の心を抉った。


 少年は現状を受け止める。

 尽きる事のない悔恨の念が、少年の心を締め付ける。

 しかし、立ち止まってはいけない。

 自分は、守られて生き延びた。

 次は自分の番だ。

 自分がこの街を守る。

 母がそうした様に。

 

 少年は、街を周りモンスターを切り捨てていく。

 住人達が、より安全な場所に避難できるように。

 

 モンスターは、数を減らす事が無い。

 だからこそ、少年は足を止めなかった。

 モンスターの襲撃が止む頃には、街はモンスターの死骸が積み上がっていた。


 全てが終わり母の仇を討っても、少年の心は晴れる事は無かった。

 そして、少年は王都に上京し、軍に戻った。

  

 ☆ ☆ ☆ 

  

 冬也に頭を下げ続ける少年。

 ただ、冬也が簡単に首を縦に振る事はない。

 冬也は少年を一瞥すると、吐き捨てる様に言い放つ。

 

「止めとけ。てめぇじゃアルキエルは満足しねぇよ」

「お願いします」


 冬也は、頭を下げる少年の脇を、通り過ぎようとする。

 それでも少年は、冬也の行く先に回り込み、頭を下げた。

 

「しつけぇよ! それなら、もう一度聞くぜガキ! てめぇは何で強くなりたい? 何で力を求める?」

「守る為! 失った命に報いるには、それしかない! 俺は守る! もう何も失いたくない!」

「馬鹿かてめぇは! 自分の命すら守れねぇ野郎が、大層な事を抜かしてんじゃねぇよ!」

「それでも! 俺は引けない!」

 

 冬也は頭を掻いた。

 少年の意思は、本物だろう。

 そして冬也は、少年がかなりの実力者で有る事を理解していた。

 しかし、早すぎる。

 それが、冬也の答えであった。


 少年が心身共に成長を遂げれば、いずれその時は来るだろう。

 しかしアルキエルは、曲がりなりにも戦いの神である。

 未だに、人の命を軽んじている節が有る。

 冬也という枷があるから、死者が出ないだけ。

 死んだって、生まれ変わればいいじゃねぇか。何度だって生まれ変わって、挑んで来いよ。

 アルキエルなら、間違いなくそう答えるだろう。

 

 冬也が指名したサムウェル達四人は、アルキエルに心の強さを学ばせるべく、冬也が選んだ人物である。

 実の所、冬也にとって、戦いの技術を後世に伝える事など、二の次であった。

 

 ただ、目の前に立ち塞がるこの少年は、諦める事はないだろう。

 ならば、圧倒的な実力差を示し、諦めさせるしかない。


「仕方ねぇ、一度だけチャンスをやる。十分間だけ、俺はここから動かねぇ。俺に傷を一つだけ付けてみな」


 そして冬也は少年を威圧した。

 鋭い眼光が、少年を射抜く。

 

 冬也は神気を解放した訳では無い。

 様変わりした冬也の存在感。

 これが、幾多の戦いを潜り抜けた男の姿だろう。

 周囲にビリビリとした、緊張が走る。

 木々は暴風に吹かれた様に、ざわめく。

 この場で、平然としていられるのは、ペスカだけだった。

 トールは、声すら発せずに、固まっている。

 少年も同様に、動けなかった。


 確固たる意志が、どんな技術をも凌駕する。

 それは、異世界ロイスマリアと地球で、何が変わるだろう。

 例えば、拳銃で命を狙われたとして、どうすれば生き延びる事が出来るか。

 答えは、動く事だろう。

 がむしゃらにでも、動き続けて自分から狙いを逸らす。

 ただ、何が何でも生き延びる意思がなければ、拳銃に怯え簡単に動く事は出来ない。


 戦いに必要なのは、殺す技術ではない、意思の力である。

 それを違えれば、道を踏み外す。

 特にこのロイスマリアでは、意思の力が顕著に表れる。

 

「こんなんでびびってたら、アルキエルの前にすら立てねぇぞ!」

 

 少年は覚悟して、この場に挑んだ。

 しかし、戦いにすらなっていない。

 少年は冬也に打ち込んですらいない。 


 冬也と少年では、乗り越えて来た修羅場の数が違う。

 少年は憧れのその先を、目の当たりにした。

 現実を突きつけられた。

 

「そもそもよぅ。トールさんも、他人に押し付ける所は、何も変わってねぇなぁ。翔一の件、俺が知らねぇとでも思ったか? このガキはあんたの部下だろうが! 何で自分で何とかしようと思わねぇ、丸投げしてんじゃねぇよ!」


 トールは、死地を超えて来た。

 軍を再編し、多くの民を救ってきた、この国で一番の勇敢な軍人だ。

 冬也もそれは、認めている。

 だからこそ、冬也はトールに敬称を付けて呼んでいる。

 少年の剣の腕は、トールを遥かに超えるだろう。

 トールは少年に多大な期待を寄せて、少年はトールに恩義を感じているのだろう。

 エルラフィア軍のトップであるトールが、わざわざ一介の少年兵に付き添う事が、何よりもの証である。

 冬也が敢えてトールを罵倒した言葉、それが少年の心を刺激した。


「俺を馬鹿にするのは、構いません。だけど、隊長を悪く言うのは止めて欲しい」


 少年は、冬也の威圧に耐え、精一杯の言葉を口にする。

 

「だったら、何だって言うんだ! トールが腑抜けなのは、変わりねぇだろうが!」

「撤回して下さい!」

「だったら、実力で撤回させてみせろや、クソガキ!」


 少年は一歩を踏み出す。

 そして、冬也の間合いに踏み込むと、拳を振り上げ鋭い突きを見舞う。

 しかし、少年の突きは冬也に届かない。

 簡単に手で跳ね除けられ、少年は勢い良く後方へ吹き飛んだ。

 

 実力差は明白、結果はわかっていた事だった。

 それでも少年は立ち上がった。

 

 何故に少年は、ここまでアルキエルの弟子になる事に固執するのか。

 それは、ここ数か月の間に出版された、勇者シグルドの伝説と言われる、一冊の書籍が元になっていた。

 そこに綴られていたのは、仲間を守る為に、他国の民をを守る為に、命を懸けて神と対峙するシグルドの姿。

 最後まで己の使命に忠実であった崇高なシグルドを知り、少年ははっきりと進むべく未来を見据えた。

 

 自分が守れなかった命。

 それは、自分が不甲斐ないから。

 少年の脳裏に母親の最後がちらつく。

 一歩でもシグルドに追いつきたい。

 あの高みに近づけば、自分でも守る力が手に入る。

 

「引けない、折れない。もう俺は逃げない!」


 再び冬也に飛び掛かる少年。

 冬也は少年を払い除ける様に、吹き飛ばした。


「悲壮感丸出しで、何もかも背負った気になってんじゃねぇ! てめぇが何を背負えるってんだ、あぁ? 守るだぁ? たかだかモンスターを倒した位で、調子にのるんじゃねぇ!」 

 

 多くの傷を作り、体の痛みを無視して、何度吹き飛ばされても、少年は冬也に挑む。

 冬也の定めた十分間など、とうに過ぎていた。

 少年は、冬也に挑む事を止めなかった。

 数時間が経過しようとした頃、少年は力尽きて崩れる様に倒れた。


「失格だ!」 


 冬也は、倒れる少年を見下ろす様に、言い放つ。

 だが、冬也の言葉はそれでは終わらなかった。


「お前はまだ弱い。だから修行を続けろ! お前はまだ足りない、だからもっと学べ。トールさんは、間違いなくエルラフィアで一番の軍人だ。まだトールさんから学べる事は多いはずだ。焦る事はねぇよ、お前が一人前になった時には、必ずアルキエルの相手になって貰う」


 薄れゆく意識の中で、少年は冬也の声を聞いた。

 そして、冬也はトールに近づくと、拳で軽く胸を叩く。

 

「すみませんでした、冬也様」

「あんたのその甘い所、俺は嫌いじゃねぇよ。逸材だ。しっかりと育ててくれよ。あんたにしか教えてやれねぇ事があんだろ?」

「畏まりました、冬也様」


 トールは再び冬也に頭を下げると、少年を抱えて去っていった。

 冬也は、トール達を見送ると、徐に口を開く。


「それで、ペスカ。何か言う事があるよな」

「何の事かな?」

「とぼけんじゃねぇ、ペスカ!」

「いひゃい、いひゃい。おにいひゃん、やめれ」


 ペスカは冬也に両の頬をつねられた。

 久しぶりの痛みに、ペスカは涙目になる。


「だから言っただろ! あんな本を出したら、影響される奴が出るって!」

「うっさい! おにいちゃんの馬鹿! あの子のやる気がマシマシになったのは、私のおかげでしょ?」


 ペスカは冬也の手を振りほどき、言い返す。

 確かに、ペスカの言う通りかもしれない。

 少年の記憶を覗き見た冬也は、複雑な気持ちで空を見上げた。


 未来は自分の力で切り開く事が出来る。

 諦める事が無ければ。

 そして少年は、きっと憧れのその先に辿り着くだろう。

 冬也はそんな光景を想像し、笑みを零した。

 

 これは剣に一生を捧げた少年の物語。

 次代を担う、英雄の序章である。 

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