第267話 憧れへ、その一歩を その1

 セムス夫妻と別れ、再びエルラフィア王都を歩くペスカと冬也。

 その二人を呼びかける声が、遠くから聞こえてくる。

 二人が振り向くと、遠くから走って来るトールと少年が見えた。


「トールさんじゃねぇか、どうしたんだ?」

「お二人が王都にいらっしゃっていると聞いたもので。それより、さんづけはお止め下さい冬也様」

「あんたが、様をつけて呼ばねぇなら、俺も止めてやるよ」

「それはご勘弁を、冬也様」

「そうだよ、お兄ちゃん。トールをあんまり、虐めないであげてよ」


 トールがわざわざ挨拶をする為だけに、自分達を呼び止めた訳ではあるまい。

 冬也は少しため息をつき、会話を続けた。


「ところで何の用だよ、トールさん。隣の少年兵に関係が有るのか?」


 トールの隣には、緊張した面持ちで鯱張って立つ、見た目は冬也よりも三つは下ではないかと思われる、少年の姿があった。

 所々に深い傷跡が残っている。

 彼もまた、モンスターとの戦いを生き延びたのだろう。


「仰る通りです、冬也様」


 そう言うと、トールは深々と頭を下げる。

 トールに合わせて、少年も頭を下げた。


「こいつを、アルキエル様の弟子に加えて貰う訳にはいかないでしょうか?」

「「はぁ?」」


 突然の事で、ペスカと冬也は顔を見合わせた。

 呆気に取られ僅かに時が過ぎる。

 しかし、トールと少年は頭を上げる事は無かった。


「俺は、シグルドの様な凄い人になりたい。だから、もっと修行する必要があるんです。どうか、お願いします」


 単に強くなりたいだけではない。

 少年の言葉には覇気が籠っていた。

 ペスカは、促す様に冬也を見る。

 そして冬也は、徐に口を開いた。

 

「何で強くなりたい? 修行するだけなら、何処でも出来るだろ? シグルドに憧れるのは結構だ。でも、シグルドは神に頼って強くなったんじゃねぇぞ。アルキエルと真っ向から渡り合って、傷を付けた唯一の人間だ。そのシグルドに憧れるなら、何でアルキエルの弟子になろうと思うんだ?」


 少年はゆっくりと頭を上げ、威圧感の有る冬也の眼光を、避ける事無く真っ直ぐに見つめた。


「俺は、一度逃げました。全てを諦めて自堕落な毎日を送っていました。だけど、俺はこの国を守りたい。もし、またこの国にあんな危機が訪れたら、俺がみんなを守れる存在で居たい。だからもっと力が欲しい。強くなりたい。お願いします」


 少年は再び深々と頭を下げた。


 ☆ ☆ ☆


 かつて少年は十三歳にして、類まれなる剣の才能を見込まれ、王国軍にスカウトされた。

 訓練場では歴戦の猛者達を次々と圧倒する、少年はまさに天才だった。

 

 少年の存在は、エルラフィア軍内でも瞬く間に知れ渡る。

 シグルドを超える逸材が現れたと。

 しかし、少年はそんな世評を聞き流し、ひたすら剣の修行に励んだ。 

  

 少年は才能に恵まれた。

 ただ、それだけでは無い。

 幼い頃から、ひたすらに剣を振るい続けた。

 幼い手に豆を作り、豆は直ぐに潰れて血だらけになる。

 何千、何万と日々繰り返す素振り。

 現役時には、軍の中隊を任されていた祖父を相手に、稽古に励んだ。

 十歳になる頃には、少年の暮らす街では、相手が務まる者が居なくなる程に成長した。


 そして修行の為に、少年は単身で王都へ上京する。

 同じ様に夢を抱き上京した、何百もの腕自慢達を凌駕し、少年は王都でも有名になっていく。

 少年は、いつしか増長していた。

 自分は最強なんだと。

 しかし、少年の慢心を打ち砕く存在が居た。

 齢十五にして、先代の近衛隊長と戦い勝利し、近衛隊を率いる希代の天才シグルド。

 たまたま稽古場に現れたシグルドに、少年は完膚なきまでに叩きのめされた。


「君は、まだ井の中の蛙だ。もっと鍛えると良い、特に心をだ。君はきっと強くなる」


 シグルドとの出会いが、少年の戒めとなる。

 少年はシグルドに憧れ、一歩でも近づきたいとその剣技を真似た。

 そして少年は、更なる力を手に入れる。


 王都で腕を磨き、エルラフィア軍で修行を積み、少年は高みに昇っていく。

 誰もがそう思っていた。

 しかし、ある事件が少年を変えた。

 

 シグルドの戦死。


 エルラフィア王国最強の剣、その消失は王都に衝撃を与えた。

 憧れの存在が消えた事は、少年の心に暗い影を落とす。

 茫然自失となった少年は、剣を握る事が出来なくなった。


 どれだけ強くても、戦場では死ぬ。

 まだ幼い少年は、理解していなかった。

 戦場がどんな所で有るのかを。

 死を賭しても、戦う意味を。


 そして、逃げる様に軍を辞め、故郷へと戻る。

 部屋に籠り、食事もまともに摂らない生活が続いた。

 

 少年は、認めたくなかった。

 あの強いシグルドが死んだことを。

 強さの果てには、死が待ち受ける。

 それは目指す未来が、閉ざされた様にも感じた。


 少年は怖かった。

 暗闇の中で彷徨っていた。

 何を目指せば良いのか、わからなくなっていた。

 何を信じれば良いのか、わからなくなっていた。

 

 少年は漠然と強さを求めた。

 進むべき道を見失い、途方に暮れ、ただ狼狽えていた。

 そして、全てを投げだした。


 朝目覚め、たまに食事を摂ると日がな一日、ベッドの上で惰眠を貪る。

 生え始めた髭を、剃る事も無い。

 ただ寝て起きてを繰り返す毎日。

 硬い手の皮は、柔らかくなっていく。

 筋力は、たちまち落ちていく。

 かつて、天才と呼ばれた少年の姿は、そこには無かった。

 笑う事も泣く事も無い、ましてや悔しく思う事も無い。

 心は全て、王都に置いてきた。

 少年は、怠惰の海に溺れていく。

 

 どうせ強くなっても死ぬ。

 それなら、いま死んでも同じだ。


 少年から、渇望が消えていく。

 生きる気力が失われていく。

 それでも少年が生きているのは、自ら死を選ぶ気力すらないからだった。

 

 どうでもいい、どうでもいい、何もかもどうでもいい。

 終われ、消えろ、無くなれ。

 全て妄想、全て幻想。

 

 どれだけの日々が過ぎただろう、毎日欠かさず母親が運んできた食事は、届く回数が減った。

 少年は、気が付かなかった。


 どうせ、食べやしないんだ。

 だから、持ってこなくてもいい。

 やっと、母も悟ったか。

 やつれた身体、働かない頭、朦朧としながら少年は、漠然とそう思っていた。

 

 少年は、気が付かなかった。

 届く回数が減っても、食事は少年の部屋に届けられていた事に。

 そして食事を届ける母親が、やせ細っていく事に。

 

 そして、少年が気付いた時には、既に遅かった。

 深刻な飢餓、加えてモンスターの増殖。

 世界には、悪夢が蔓延していた。

 

 ある時、外が騒がしい事に気が付き、少年はゆっくりと体を起こし、窓から外を眺める。

 そこには、怪物を相手に戦う祖父の姿が有った。

 その怪物は、大きな顎で母親を咥えていた。

 

 少年はベッドから飛び降りた。

 弱り切った筋力で歩く事もままならない少年は、覚束ない足取りで家の中を走る。

 立てかけてあった箒を手に取り、家の外に飛び出した。


 何かを助けようとか、誰かを守ろうとか、母の仇とか、祖父の危機とか、何も考えてなかった、自然と体が動いた。

 箒を杖代わりに、少年は走った。

 そして、怪物と祖父の間に割り込んだ。


 弱っていても、体は自然と動いた。

 怪物が振る鋭い爪を、掻い潜り少年は箒を怪物の下顎に突き刺す。

 怪物は顎の痛みに、咥えた母親を離し、断末魔を発した。


 生命の危機に際した、生物の本能であろうか。

 少年は、怪物をただの木切れ一本で、倒して見せた。

 

「馬鹿者! 早く逃げろ!」


 祖父の声がする。

 振り返ると、祖父の鍛えられた屈強な体は、見る影もなくやせ細っていた。

 血を流し、倒れる母の姿。

 少年は、やっと気が付いた。

  

 何が起きたのか。

 今まで何を見て来たのか。

 判然としていた少年の頭がクリアになる。

 

 ベッドから起き上がらない少年を、抱きかかえる様にし、粥を口に運んでくれた温かい母親の眼差し。

 毎日欠かさずに部屋を訪れ、少年を励ました祖父の熱い瞳。

 

 何をしていた。

 自分は、今まで何をしていた。

 何故、こんな事になるまで、自分は呆けていた。

 

 少年は母親の亡骸に縋り付き、慟哭した。

 どれだけ悔やんでも、母親は起き上がらない。

 血だらけになった母親は、再び笑顔を見せてはくれない。

 

 王都へ旅立つ少年を、母親は不安そうな笑顔で、見送ってくれた。

 母親は、王都から逃げ帰った少年を、庇い続けていた。

 そして、いつも笑顔で笑いかけてくれた。

 

「こんな物しか、食べさせてあげれなくて、ごめんね。今は何処も苦しいんだよ。でも、きっと良くなる。ペスカ様が仰ってたからね。あたしは、信じているよ。あんたは、また立ち上がれる。必ずさ」


 少年は母親の最後の言葉を思い出す。

 そして、少年は涙を拭う。

 

「爺ちゃん。剣を貸してくれ。この街は俺が守る」


 少年の目に光が戻る。

 天才と呼ばれた少年の戦いが始まった。

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