第266話 戦いの裏側で その2

 予定の村に辿り着いた夫妻が目にしたのは、ふらつきながらも人が歩く光景だった。

 建物の脇には、打ち捨てられる様に放置された死体もある。

 それでも、人が生きのびている事が、夫妻の心を軽くした。


 急ぎ夫妻は配給の準備に取り掛かる。

 匂いに釣られるかの様に、屋台の周りは人だかりが出来ていた。

 我先にと、押し寄せる人々。

 メルフィーは、声を張り上げて、人々を制する。


「落ち着いて下さい。充分な食糧を用意してきました。慌てると危険です! どうか落ち着いて下さい」


 メルフィーの声も虚しく、喧騒は増すばかり。

 そして、配給が始まる。

 兵達が、列を整理しようと試みるが、順序良くとはいかない。

 人々は配給食を奪い合う様にし、中には二度三度と配給食を要求する者も居た。


 そして、配給食が底をつきかけ様とした時、突き飛ばされたのだろうか、倒れている少女をセムスが見つけた。

 セムスは直ぐに駆け寄ると、少女を抱える様にして起こす。

 外傷は、特に見受けれられない。

 しかし、少女の手足は見るからに細くやつれていた。 


「痛い所は無いか?」

「ありがと。おじちゃん」


 セムスの問いに、少女は弱々しく掠れた声で答えた。

 立って歩く事も困難であろう。

 事実、セムスが支えているにも関わらず、少女はふらついている。


 セムスは、少女を抱きかかえて、屋台の傍まで運ぶ。

 そして、残り僅かとなった配給食を、少女に差し出した。


「食べられるか?」

 

 少女は、震える手で匙に手を伸ばす。

 しかし、匙を握る握力すら残っていないのか、少女は匙を落としてしまう。

 セムスは、落ちていない綺麗な匙で、粥を掬い少女の口へとそっと運ぶ。

 少女は、粥を啜ると満面の笑みを浮かべた。

 そして精一杯の感動を、セムスに伝える。


「おいしい。すごく・・・おいしいよ」

「そうか。なら、もっとお食べ」


 セムスが掬って粥を差し出す。

 しかし、少女は首を振った。


「わたしは・・・もう・・いいの。後はおねぇちゃんに・・あげて」


 たどたどしく少女の口から告げられる言葉。


「君、おねぇちゃんが居るのかい? お家は何処だ?」


 セムスの問いに、少女は精一杯の力で腕を上げ、屋台からやや離れた民家を指差した。

 セムスは、メルフィーに視線を送る。

 メルフィーは、直ぐに粥を作っていた鍋を抱えて、少女が指差した民家へ向かい駆けていった。


「おねぇちゃんにもあげるから、君は安心してお食べ」


 少女は、安堵するような笑みを浮かべると、セムスが差し出した匙に口をつける。

 小さな口でゆっくりと粥を啜る。

 そして、少女が食べ終わるのを見計らい、セムスは家に送り届けようと、少女を背負った。

 少女は小さく、そしてあまりにも軽い。

 セムスの背からは、弱々しく呼吸する音が聞こえた。


「おじちゃん・・・おねぇちゃんも食べたかな?」

「あぁ、食べたとも」

「そっかぁ・・・・よかった・・・」


 フウフウと弱い呼吸に混じり、掠れた声がセムスの背から漏れる。


「早く元気になって、おねぇちゃんと遊ぼうな」

「・・・・・うん」


 途切れ途切れの掠れた声、少女は懸命にセムスに話しかけた。


「・・・・・おじ・・ちゃん」

「何だい?」

「・・・・・あり・・がと」


 ふと、セムスの背が軽くなる。

 同時に呼吸の音が途切れた。

 視界の脇には、だらんと力なく垂れ下がる少女の手。

 振り向かなくても少女がどうなったのか、セムスは理解した。


 セムスは込み上げる涙を堪え、背中の少女をしっかりと支えて運ぶ。

 そして家に辿り着いた時にセムスが目にしたのは、少女の姉と思われる女の子が横たわる傍で、滂沱の涙を流すメルフィーの姿であった。

 家に足を踏み入れるセムスを見るなり、メルフィーの口から言葉が溢れる。


「この子、ありがとうって言ったの。うぅ、うぐぅ。わだじ、何もしてない。何も出来なかった。でも、ありがとうって言ったの。うぅ、うぅぅ。なんで? なんでこんな子が死ななきゃいけないの? どうしてよ! あぁぁぁぁ!」

 

 姉は、少女の事を最後まで心配していた。

 そして、少女が食事にありつけた事を知り、安堵する様に息を引き取った。

 僅かに粥で舌を濡らして。


 セムスは、少女をそっと姉の横に置く。

 二度と目を覚まさない姉妹の姿が、夫婦を捉えて離さなかった。

 

「俺もだ、メルフィー。何も出来ない。こんな幼い子すら、救う事が出来ない。くそっ、くそ、くそぉぉぉ!」


 セムスもまた泣いていた。

 暫くの間、夫婦は姉妹から離れる事が出来ずにいた。


 幼い命が失われる世の中を、認めてはいけない。

 夫婦は以降、食事を摂る事は一切無かった。

 自分達よりも、いま倒れている人々を、一人でも多く救う。

 夫婦は国中を駆け回り、各地で配給の手伝いを続けた。

 夫婦の戦いは、神が世界に戻るまでの数か月間も続いた。

 いつしか、夫婦はやつれていく。


 どれだけ頑張っても、救えない命が有った。

 命の灯が消えていくのを、夫婦は何度も見て来た。

 挫けそうになる時があった。

 走馬灯の様に、かつて人間だった頃の記憶が、蘇る事もあった。

 しかし、拡声器から聞こえてくる、ペスカの声に励まされた。


 モンスターが溢れた時は、身を盾にして人々を守った。

 やせ細っても、夫婦はモンスターに屈する事は無かった。

 

 何故なら、心の中には強い信念が有ったから。

 それは、ペスカからもらった勇気。

 そして、守り切れなかった命の数々。


 多くの命を背に、懸命に抗う。

 英雄は、ここにも存在していた。


 ☆ ☆ ☆


 メルフィーは、ペスカに抱きしめられながら呟く。


「私達がここに居るのは、ペスカ様のおかげです」


 メルフィーの言葉に、ペスカは首を横に振った。


「あなた達が、頑張って来たのは見てわかるよ。どれだけ辛い思いをしたのか、全部わかってあげる事は、出来ないけどさ。あなた達が救った命は多いよ。だから誇りなさい、メルフィー、セムス。あなた達は、私の願い以上の事をしてくれたよ。ありがとう」


 ペスカの言葉で、メルフィーの目から更に涙が零れ落ちる。

 夫妻が落ち着きを取り戻すまで、暫くの時間を要した。


「二人は、これからどうするの? 約束通り、王都にお店出す事も出来るんだよ」

「いいえ、ペスカ様。私達は旅を続けます。これからは、大陸全土に」


 ペスカの問いに、メルフィーは首を縦に振る事は無かった。

 そして、セムスが口を開く。


「私達は力足らずです。多くの命を救えずに来ました。失われた命に報いる為、私達は懸け橋になって見せます。種族を超え、優和を保てる橋に。いくら法を作っても、反発は有るでしょう。見えぬ所で差別も有るでしょう。私達は、ペスカ様が目指す真の平和に向け、力を惜しみません」


 二人の言葉に、ペスカは静かに頷いた。


「どれだけ旅をしても、私達は家族だからね。あなた達の帰って来る場所は、私の所だよ」


 メルフィーとセムスの瞳から、再び涙が零れる。

 そして、笑いながらメルフィーとセムスは、ペスカと冬也の下から去っていった。 


 人体改造実験の末、人間として生きる事を許されなかった、メルフィーとセムス。

 ペスカに引き取られた後、居場所を与えられた。

 努力を重ね、誰からも認められる料理人となった。

 

 飢餓の蔓延する大地、旅の最中で夫婦は多くの命を救った。

 しかし、手が届かず、失われた命が有った。


 夫婦の心から、あの姉妹の姿が消える事はないだろう。

 夫婦の戦いは、まだ終わらない。

 後の世に、平和の象徴として語られる。

 これは、偉大な料理人の物語。

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