第253話 邪神の洗脳

「さて、何から始めるか。朽ち行く世界で、生者に堕落を与えるのも一興だが、フム」


 アルドメラクは、少し逡巡した。そして世界を俯瞰する。

 

「しかし、面白くない状況だな」


 アルドメラクは、世界を眺めて気が付いた。

 自分の存在が生み出されたにも関わらず、地上で生きる者達の多くが絶望していない事を。それだけに、不可解であり不愉快であった。


 しかし、アルドメラクは知っている。

 人間や亜人の脆さと戦いの歴史を。融和とは真逆の本質を。


 人間は同種族で殺し合い、奪い合う種族。欲に塗れて、簡単に堕落する。嫉妬し、他者を陥れる事に没頭する。

 残虐で好戦的な卑しい生物。


 そして亜人は、多種族とは相容れない。

 しかし同種族で争わないのは、外敵が居たからだろう。外敵が居なければ、同種族で争うはず。争いとはそういう事。

 怒りを持て余し、常に矛先を探す愚かな生物。


 魔獣とて争いの一点においては、さして変わらないだろう。

 誇りを持って戦うなど、欺瞞に他ならない。他者を殺し喰らう事に、良いも悪いもない。

 怒りと誇りを履き違えた、下らない生物。


 何故、先達は失敗したのか。

 それは、邪魔をする存在があったからだ。神々や英雄と呼ばれる一部の生物。それさえなければ、失敗など有り得ない。


 アルドメラクは、世界を俯瞰したからこそわかる。

 神々の力は薄れている。懸念すべきなのは、一部の英雄だけ。

 ならば、答えは簡単だろう。

 

「ここは先達に倣い、洗脳を施すのが妥当か」


 アルドメラクは、そう呟くと禍々しい邪気を解き放つ。そして世界中に広げていく。

 

「さぁ狂え! 怒れ! 争え! 隠れた本質を晒せ、脆弱で愚かな生き物達よ! 破壊と滅亡、それが望みであろう!」


 地上に生きる者達には耐えがたい、おどろおどろしい声が響く。全ての生物を洗脳すべく、アルドメラクは邪気を放つ。 

 しかしアルドメラクは、世界を見たからこそ知るべきであった。英雄が、何もせずに世界を渡った訳では無い事を。

 

 思う様に邪気は世界に広がらず、霧散していく。

 

「何が起きているんだ? 力が消えているのか?」


 やや驚くも、更に力を籠めて邪気を振りまくアルドメラク。しかし、何度やっても邪気は霧散していった。

 

 これまで、ペスカ達は邪神に対して後手に回っていた。

 今回は、対策を施す若干の余裕が有った。これは、ペスカと冬也が大陸を周って行った、邪神に対抗する手段の一つである。

 

 ペスカは予測していた。

 恐らく生まれたばかりの邪神は、以前の邪神達と同じような行動を取るだろうと。だからこそ、結界を敷いた。

 生物を洗脳しようと、世界中に邪気を振りまいた時に発動する、邪気を浄化し大地に還す効果を持つ結界である。


 そしてもう一つ、アルドメラクは見落としていた。

 人々の心には、ペスカの言葉が宿っている。亜人達の心には、ミューモの言葉が届いている。魔獣達は、英雄の意思を継ごうとする者しか、生き残っていない。

 これこそが、邪神に対抗する真の力。


 生物は一向に洗脳される気配がなく、アルドメラクが力を放つ程、大地が潤っていく。二つの誤算が、アルドメラクの洗脳を打ち破る。


「馬鹿な、有り得ん! 我は最強だ! くそっ! くそがぁ!」


 悪態をつくアルドメラク。 そして更に大きな邪気を放つ。

 しかし、結果は一緒であった。


「くそっ、くそっ! 何だ、一体何だ! 認めんぞ! 認められるかぁ!」


 怒りに顔を歪めるアルドメラク。そして、アルドメラクの頭の中に、声が響いて来る。


「はっはっは~! お馬鹿さんだね! あんたがどれだけ強かろうと、地上の者達には干渉出来ないよ!」

「誰だ? 何を言っている!」

「あんたの天敵、英雄だよ!」

「くそっ! 出て来い!」

「やだよ! 悔しかったら探してみたら!」


 怒声を上げるアルドメラク。挑発じみた頭の中に響く声が消える頃には、アルドメラクは声を発せない程に打ち震えていた。

 怒りと共に、急激に増加する邪気。それは一瞬で、周囲を淀ませていく。しかし、邪気は大気に溶けて消える、淀みが見る間に浄化されていく。

 満ちた怒りを嘲笑うかの様に、力が失われていく。もはや纏わりつく呪いの様に、アルドメラクから放たれた力は、浄化され世界に還る。


 ただ、それだけであれば、恐れる事は無かっただろう。簡単に調伏も出来ただろう。アルドメラクは、狂気から生まれた邪神である。

 怒りで理性を失う程、愚かではない。アルドメラクは状況を理解し、放つ力を抑えた。


「あれが、英雄ペスカか。我を挑発するとは、流石にロメリアを倒しただけはあると言う事か。だがな、人間は脆い、亜人もな! 小娘の策如きで、守り切れると思うな!」


 不敵に顔を歪ませるアルドメラク。しかし、状況はアルドメラクの不利に働いている。立ち向かう準備を済ませたペスカ達と異なり、アルドメラクは後手に回っている。

 そしてアルドメラクは、やや逡巡した。 

 

 片っ端から生き物を根絶やしにしても良い。全ての首を並べ、英雄の眼前に晒すのも一興である。

 しかし、それは本来の望みとは離れる。生物の望みは、自害では無く破壊であり、滅亡であるのだから。

 状況を打開する、一手は無いだろうか。


 やがて脳裏に、ある神の姿が浮かぶ。

 

「あぁ、あれが使えるな。そうだ、奴らに憎しみを持つ存在。奴を使えば、再び混乱に陥るはずだ」

 

 アルドメラクは、歪んだ顔を更に歪ませる。醜悪な笑みを湛え、意識を研ぎ澄ませる。

 僅かな時が過ぎ、アルドメラクは見つける。閉じられた空間の存在と、その入り口を。そしてアルドメラクは、空間をこじ開ける為に姿を消した。


 閉じられた空間。

 それは、女神フィアーナにより、ロイスマリアと隔絶された神の世界である。しかし、アルドメラクの強大な力をもってすれば、空間をこじ開け侵入するのは簡単だった。


 神の世界に残された一柱の神。その神は、座して瞑想をしていた。

 冬也に敗北して以来、神の世界に閉じ込められた戦いの神アルキエル。


 アルドメラクの狙いは、戦いの神を利用し再び混乱を巻き起こす事である。

 戦いの神は冬也に深い恨みを持つはず。ならば利害の一致は明白である。

 そして神の世界の内部から感じる、圧倒的な神気。アルドメラクは確信した。

 この力を利用すれば、必ず上手くいくと。

 

 そしてアルドメラクが神の世界に、一歩を踏み入れる。期待が高まり、興奮が抑えられない。しかし、その興奮を知ってか知らずか、神の世界に雄々しい声が響いた。


「去れ! ここはてめぇの様な雑魚が、足を踏み入れて良い場所じゃねぇ!」


 耳を疑う内容であった。しかし、言葉通りに引き返す訳にはいかない。

 アルドメラクは歩みを止めずに、中央部に居るだろうアルキエルの下に向かった。


「忠告はしたぞ! 消滅させられたくなければ、直ぐに去れ! てめぇなんぞと遊んでる暇はねぇんだ!」


 アルキエルは神の世界の中心部で、瞑想を続けながらアルドメラクに忠告を続けた。それは、強烈な神意だった。

 その声は、邪悪の塊であり過去最大の力を持つ邪神、アルドメラクの足すら竦ませた。


「何故だ、アルキエル! お前は奴らに恨みを持っているのだろう? ならば、我に協力せよ! 小僧に恨みを晴らす機会を与えてやる!」


 大声でアルドメラクは、アルキエルに呼び掛ける。しかしその声は、一笑に付された。


「けっ! そんなもん有るか馬鹿! 勘違いすんじゃねぇぞ雑魚! てめぇが、どれだけの力を持っていても、俺の足元にすら及ばねぇ。少しばかり真理を知ったからって、調子に乗るんじゃねぇ! てめぇは、会うに値しねぇ」

「な、生意気な! 閉じ込められているのを、解放してやると言っているのだぞ!」

「こんな所から出るのは、訳ねぇんだ! まだ勘違いしてやがんのか? それでも、悪意の化身か? ロメリアの方がよっぽどましだったぜ!」


 アルキエルの反応に、アルドメラク怒声を上げる。一方アルキエルは、相手にもしていない様子である。

 その態度が、アルドメラクの逆鱗に触れる。


 ただでさえ、英雄ペスカに出端をくじかれた後なのだ。怒りに体を震わせ、アルドメラクは邪気を解き放つ。

 それでも、アルキエルは意に介していなかった。 


「雑魚、そんなもんか? まぁ、ここまで来れたら、続きを聞いてやる!」


 それを最後に、アルキエルの言葉は途切れた。

 神の世界は、形の無い世界。意思により幾通りにも姿を変える。神に認められない者は言うまでも無く、自由に歩く事を許されない。

 

 そして今、神の世界を操っているのは、アルキエルである。アルキエルの神気を超える力を持たねば、強引な方法で中心部に辿り着く事は不可能である。

 ただアルドメラクは、アルキエルの神気と自分の力を比べ、自分が勝っている事を確信していた。


 中央に辿り着くなど、他愛もない。その不遜な態度を正し、必ずアルキエルを従わせてやる。

 アルドメラクは、そう信じて疑わなかった。それが、どんな結果を齎すかも知らずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る