第208話 大陸東部からの脱出 その1

 一時撤退と山の神は言った。更に、大規模な術を使用するとも、山の神は言った。

 ペスカとクロノス、二柱の天才は思考を巡らせる。本当にそれだけで、問題がないのか。対策は、それが一番の方法なのか。


 しかし、膨大な量のモンスターを相手にしなければならない現状で、正確な判断を下させる訳がない。

 寧ろ、思考を巡らせる余裕がない。

 

「仕切り直すのも手か」

「残念ながら、クロノスに同意だよ」


 溜息ながらに、クロノスとはペスカ呟く。良い案を思いつかない。只々時間を浪費するなら、山の神の提案に乗るべきだと考える様になっていた。

 敢えて言葉にはしない。山の神が提案して事は、根本的な解決になると思えない。単に撤退するだけではなく、今後の布石になる様な後一手が必要であろう。

 ただその案は、思いもよらず、冬也の口から発せられた。


「このまま撤退ってのも、ありえねぇぞ! 特にクロノス。気合で神気を使いこなせるようになれ! このままだと、今後は役立たずだぞ!」

「生意気な小僧だ。悔しいが、その通りかもしれん」

「ペスカと山さんは、モンスター共を浄化しつつ神気を回復しろ。何をやるにしても、今の俺たちは力を使い過ぎだ」

「じゃがのぅ。これだけの量だ。手間がかかり過ぎじゃ」

「山さん。そんな事を言っている場合じゃねぇよ。どの道、単に手ったしても、神気を失ってれば、直ぐに手詰まりになんぞ! 神気はマナの上位互換だろ? とっとと邪気を浄化して神気に変えろよ!」


 神気はマナの上位互換。冬也の理解は概ね間違いではない。

 マナと神気は共に、魔法の様に特別な力を操る為の、エネルギーとなる。違いがあるとすれば、力の強度であろう。神気とはマナを極限に凝縮したものである。


 神気とは、神の存在に由来する。

 この宇宙を誕生させたのは、神ではない。最初に神が居て、宇宙や星を作り、生物を誕生させたのではないのだ。

 それは、数多の偶然が重なった奇跡に他ならない。知的生命が生まれたのも、偶然の産物である。神は知的生命の信仰によって生まれた。知的生命が持つマナを凝縮し、力を極限まで高めた存在、それが神である。


 神はマナを持たない。マナを持つのは、地上の生命である。一部の例外として、ペスカの様にマナが昇華し神気となる場合も存在する。

 それは、ペスカが人間の肉体を持つが故である。通常の神は神気のみを持ち、神気が完全に失われれば、神としての肉体は維持が出来なくなる。


 神は知的生命の信仰により、神気を高め存在を維持する。ただし、失われた神気を回復させるのは、何も信仰だけによるものではない。

 神はマナを取り込み神気に変える術を持つ。逆も然り。地上に溢れるマナを吸収し、神気に変える。また、神気を注ぎ地上に恩恵を与える。

 そうして、神もまた地上にマナを循環させる、一役を担っている。


 邪気を浄化し、マナを自然の循環に戻すのは、然程難しい事ではない。

 この大陸東部では、マナの自然な循環が行われておらず滞っている。それは、大陸東部に悪意が淀んでいるからに他ならない。

 その中で、清浄なマナを選り分けて吸収するのは、至難の業である。


 モンスターは、単純に消滅させた方が早い。

 周囲をモンスターに取り囲まれて、絶え間なく襲われる現状で、少しでも手間のかかる行為を行うのは無謀とも言える。ここに居る誰もが神気を大幅に減らし、回復もままならない状態で戦い続けている。

 冬也の言う通り、神気の回復は必須である。


「確かにな。やるしかなさそうじゃ。クロノスとやら、お主は儂がやり方を教えてやろう」

「かたじけない。山の神」

「おおぅ。私達とは明らかに態度が違うね、クロノス」

「当たり前だ! 貴様ら兄妹には借りがあったとて、敬意を払う理由にならん」

「ほっとけペスカ。お前は自分の事に専念しろ! クロノス! てめぇはこれ以上、俺の大事な妹を挑発するんじゃねぇ。ぶっ飛ばされたくなければ、わきまえろ!」


 もしかしたら、冬也が一番冷静に状況を判断してたのかもしれない。

 大陸東部から溢れるモンスターは、大陸北部に居たモンスターとは、一段レベルが違う強靭さがある。いくら、ズマを始めとしたゴブリン軍団が強くなったとしても、手に余るだろう。

 そしてこの異常なほどの数。これが、そのまま魔獣軍団と対峙したら、必ず犠牲が出る。

 出来る事なら、それは避けたい。


 ならば、少しでもこの大陸東部から、モンスターの数を減らす。それが危険度を低下させる事に繋がる。

 同時に自分達の力を回復させられるなら、次の一手が有利となる。

 

 邪神を何度も相手にしてきた冬也は、このまま事がすんなりと運ぶとは、少しも考えていなかった。それは、ペスカも同様である。

 ペスカは冬也と同じ方法で、神剣を用いてモンスターを消し去り、マナと神気を回復させていった。


「器用じゃのぅ」


 人間の肉体を持たない山の神とクロノスは、ペスカ達とは条件が異なる。

 ペスカ達の様に自らの体内で、マナと神気分けて吸収する事など、人間の肉体を持たない神には不可能である。

 マナと神気の両方を持つペスカと冬也だから、マナと神気を使い分けて来たからこそ成せる技であり、普通の神はそこまで簡単にはいかない。

 神は通常、自然に循環しているマナを吸収する事しかしない。山の神がペスカと冬也を見て、溜息をつくのは無理もない話であった。


 モンスターの勢いは止まらない。手を止めれば、それだけ自らが危険となる。進まない神気の回復は、山の神に相応の負担となっていた。


 そしてこの戦いの中で、クロノスは役立たず以外の何ものでも無かった。

 女神セリュシュオネの加護で、モンスターから傷付けられる事は無いが、モンスターの数を減らす事も無かった。

 碌に神気を扱えないというより、厳密にはクロノスに出来る事は制限があった。


 そもそもクロノスは既に人ではない、かといえ完全な神とも呼べない。眷属とはいえ、見習の様な立場であるクロノスに使える神気はごくわずか。スールと違い、主である女神セリュシュオネの神気を使う事も出来ない。

 酷く曖昧な存在であるクロノスに有るのは、過去の知識と己の頭脳。それだけで立ち回っていたのは、クロノスが天才である証であろう。


 少しずつでも、マナを集めて神気を回復させる山の神の姿と、ペスカ達の様な半神が行う回復方法は、クロノスに新たな知恵を授けていた。

 クロノスの武器は、魔法への膨大な知識だけではなく、その優れた知能。それは、神が行う本来の方法とは少し別のアプローチで、展開される事になる。

 

「ふむ、随分と面倒な手順を踏むのだな。一度神気に変えねばマナすら自由に扱えんとは、神というのは不便なものだ。要は循環を整えれば、早く済むのだろう」


 クロノスは、咄嗟に魔法の術式を構築する。自分の権限で使える僅かな神気を行使し、魔法陣を描いていく。

 魔法陣はクロノスを中心に、半径数メートルの範囲で描かれる。そして、魔法陣が発動した時、魔法陣の上からモンスターが消滅した。


「うむ。やはり自由に使える力とは、良い物だな」


 クロノスの体には神気が溢れていた。

 種を明かせば簡単な事なのだが、クロノスは魔法陣を用いて、モンスターの浄化、マナの循環、マナから神気への変換、神気の取り込みの一連作業を行っていた。


 かつてクロノスは、マナを使って何が出来るのかを研究し続けた。その結果、魔法の大家と呼ばれる程の存在となった。

 その知識と経験は伊達ではない。


「今更、生前の因縁を持ち出すのはさもしい事だが、あの小娘に大きな顔をされるのは、どうにも腹立たしい」


 クロノスは増加した神気を用いて、数メートルから数キロメートルへ魔法陣の範囲を広げる。魔法陣の上にいた、膨大な数のモンスターが一瞬にして消滅する。

 

「クロノス! 余り神気はため込むな! お主の体は、それ以上の神気に耐えきれん!」

「わかっております、山の神。それほど私は愚かではない」


 クロノスの様子を見ていた山の神は、慌てて警告を発した。しかし、クロノスは泰然とし山の神に答えた。

 クロノスが行った広範囲の魔法陣は、モンスターを消滅させた上で、大気中に溢れる邪気を浄化し、大地にマナを還していった。

 数キロメートル範囲で浄化が行われ、辺りはマナの正常な循環を取り戻す。

 

「山の神。これで、神気が回復しやすくなったのでは?」

「ペスカといい、お主といい、最近の新入りは異端ばかりじゃのう。セリュシオネがお主に制限を設けた理由がわかる気がするぞ」

「お褒めに預かり、光栄であります」

「馬鹿者! 褒めておらんわ!」


 山の神は怒号を上げる。ただクラウスの一手で、纏わりつくモンスターが消えたのも事実。撤退には、またとない好機となった。 

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