第166話 スールの下へ

 ペスカと冬也が、密林の中をひた走る。

 目指すのはゴブリンの里より北東方向、スールが倒れる場所へ。

 

 最古のドラゴンであるスールは、大陸の東で致命傷を負い、命の危機に瀕している。ペスカと冬也は、木々に問いかけながら、方角を確認し走り続けた。


 スールの倒れる場所は、ドラグスメリア大陸の東側に近い場所である。巨体のブルが全力で走っても、数日はかかる。人間であれば、一か月では済まないだろう。


 しかし、ペスカと冬也はマナを足に込め、猛烈な速度で進む。密林の木々は状況を察し、自ら枝を払い、根を動かし、スールまでの道を作った。

 そんな木々の配慮に、冬也は感謝の言葉を伝える。


「助かるぜ、ありがとな。このまま進めば良いんだな?」


 木々は、冬也の言葉に応える様に、枝を震わせた。

 

 トロールとの戦いで、冬也は空間を越えて、ゴブリンの里からペスカの下に辿り着いた。当然、スールのマナを良く知っていれば、それを基点として空間の移動が可能ではある。

 しかし、スールと面識の無い冬也には不可能であり、今はただ走るしか無かった。


 二人はマナを使い、走る速度を極限まで上げている。

 これはマナを大量に消費する方法で、魔法の扱いに長けたクラウスの様なエルフでも、数時間もすれば枯渇する。

 大量のマナを保有するペスカと冬也にとって、その消費は微々たるものだ。それでも、長く使用を続ければ、後の治療に影響を及ぼす。

 辿り着く事が目的ではない。スールの治療が目的なのだ。着いた時に、マナが空では意味が無い。

 だが、今は急ぐ事が何よりも優先される。

 

 急く心を抑え、ペスカと冬也は進む。

 そして時折、木々から伝えられる声からは、緊迫感を煽られる。

 スール危険。虫の息。そろそろ死ぬ、死ぬ。もう死にかけ。手遅れ。


 着いた時には亡骸だったなんて、洒落にもならない。冬也は、マナだけではなく、神気を身体に纏わせようとする。


「駄目だよお兄ちゃん。神気は抑えて。余計なのを呼び込んでも困るし」


 既に冬也から零れだす神気に、魔獣達は怯えて近寄ろうとしない。

 これまでの道中で、魔獣と遭遇しなかったのは、ペスカと冬也の走る速度が余りに早く、追いつけないからだけでは無い。

 辺りを住処にする魔獣達は、怯える様に体を縮め、脅威が過ぎ去るのをじっと待っていた。


 そしてペスカが憂慮したのは、魔獣では無い。

 冬也の神気に釣られ、新たに生まれた邪神を呼び寄せれば、辿り着いてもスールの治療どころでは無くなる。焦る気持ちは、ペスカにもある。

 しかし今は、過剰な力を使ってはいけない。

 

 スールの命は、今にも尽きようとしているのだろう。一分一秒が惜しい。急がなければならない。

 しかし、余計なトラブルで、時間を取られるよりは、ましなのだ。大きすぎる力は、それだけトラブルを呼び込む。

 綱渡りの様な状況で、ペスカと冬也は神経をすり減らす。


 神の末席に加わったとは言え、ペスカと冬也の肉体は、人間と変わらない。

 肉体の疲労も有れば、空腹にもなるし、眠気も出る。極度の緊張を強いられれば、神経系への影響も出るだろう。

 だが、今は自分達の身体を、気にしてはいられない。過ぎる時間と共に、命の灯が小さくなる。

 ペスカと冬也は、ただ走る、ひたすらに走る。


 巨大なドラゴンが倒れる様は、密林の中からでも、外からでもよく見える。敵からすれば、襲って下さいと言っている様なものだ。

 そして密林の木々はそして、スールを隠そうと枝を伸ばす。それでも、大きいスールの身体の全ては覆えない。

 しかし木々は、冬也の想いを察して、スールを守ろうとしていた。

 

 やがて、木々が開けた道の先に、枝に包まれた大きな黄金の塊が見える。

 それが、スールである事は、ペスカ達には直ぐにわかった。近づくほどに、傷の酷さがわかる。胴には大穴が空き、黄金の鱗には、血が赤黒くこびりつく。

 この傷で、生きているはずが無い。恐らく誰もが思うだろう。

 それはペスカと冬也も同様であった。

 

 スールの下に辿り着くと、ペスカは即座に容体を確かめる。これまでの疾走で、息が上がり、大量の汗をかいている。そしてスールの身体を確かめていたペスカは、徐に振り向き冬也を見る。

 その表情は、酷く青ざめていた。疲れとは違うその表情に、冬也も事態を把握した。


「お兄ちゃん・・・」


 ペスカには、それ以上の言葉が出なかった。ペスカは、歯噛みをし俯く。だが、冬也はペスカの頭を撫で、スールに近づいた。

 

「諦めるな、ペスカ。まだ終わってない」

「お兄ちゃん?」


 冬也はスールの身体に触れると、自分の神気を流し込んでいく。

 

「この体は俺が治す。セリュシオネ、こいつの魂を返せ! 文句は言わせねぇぞ。早く返せ!」


 冬也の神気が膨れ上がり、どんどんスールの身体に流れていく。

 黄金の身体は更に光り輝き、大きく開いた胴の穴は、少しずつ小さくなっていった。小高い山の様な大きさのエンシェントドラゴンを、神気で満たすには、冬也の神気だけでは足りない。

 ペスカは、自分の神気を冬也に流し込んだ。二人の神気が重なり、スールへ流れる力が増していく。

 

「セリュシオネ! 早くしろよ!」


 冬也は脅す様な声色で、天を見上げて叫ぶ。

 スールの傷が完全に塞がると共に、光の球がスールの上に落ちて来た。光の球はスールの身体に溶け込む様に、馴染んでいく。そして、スールは息を吹き返した。


 スールは、ゆっくり目を開ける。そして自分の身体をゆっくりと見渡す。

 傷が塞がっている。痛みも無い。目の前にには神々しい光を放つ、人間が立つ。

 スールは、直前に女神と会った記憶を持っていた。確かあの女神は、こう言った。


「五月蠅い子供がいるから、特別に君を現世に返す。君は目を覚ました後に、その子の眷属になりなさい」

 

 スールは自分の身体に、新たな力の流れを感じる。そして、その力がどこから来たものかを悟った。スールは、巨大な体を起こし、冬也に頭を向ける。


「あなたが儂の主となるお方ですかな?」

「はぁ? 主だ? 知らねぇよ!」

「いや、主よ。お名前をお聞かせくだされ」

「何言ってんだ、主じゃねぇよ。俺は冬也だ」

「私はペスカだよ」

「冬也様。これより先、この身この命、全て貴方の物」

「だから、何言ってんだ糞ドラゴン!」

「主とペスカ様、お二人の手足となり働きましょう。儂の力、何なりとお使いくだされ」


 スールは頭を下げる。だが、冬也は依然として首を傾げていた。


「お兄ちゃん。状況を理解しないの? あれだけお兄ちゃんの神気を流して、命を繋いだんだよ。スールは、お兄ちゃんの眷属になったの」

「いらねぇよ。馬鹿じゃねぇのか?」

「馬鹿なのは、お兄ちゃん! ちゃんと状況を理解してよ!」


 ペスカは、深い溜息を付いた。

 既に事切れていたスールを、冬也は自分の神気を使って蘇らせたのだ。だが冬也は、全く事態を理解していない。

 スールは既に、神に最も近いドラゴンではなく、神龍となっている。それは、ペスカと冬也同様に、神の座に片足を突っ込んだ様なものである。

 

 そしてもう一つ、冬也が理解していない事がある。スールに神気を流したのは、直接的には冬也だが、間接的にペスカの神気も混じっている。


「と言う訳で、スールは私とお兄ちゃんの間に生まれた、子供みたいなもんだね!」

「馬鹿な事を言ってんじゃねぇよ、ペスカ!」


 冬也に頭を叩かれ、ペスカは少し涙ぐんだ。そんなペスカを庇う様に、スールが会話に割って入る。


「主、ペスカ様。ご報告が様々ございます。じゃがその前に、少々お力をお貸しくだされ」

「なんだよ、言ってみろ」

「お二人のお力で、結界を張って下され。東の地からこれ以上、闇が漏れない様に」


 ペスカと冬也は、二つ返事で了承した。


「では、儂の背にお乗りくだされ。上空からの方が、結界の範囲が見え易いじゃろうしのぅ」


 スールは、少し屈むとペスカと冬也を背に乗せ、ホバリングの様に上空へ浮かぶ。そして、ゆっくりと上昇していった。

 上昇した先で、ペスカと冬也は事態の深刻さを知る事となる。


 時は巡り、歯車は回る。

 ペスカと冬也の本当の試練が始まろうとしていた。 

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