第149話 特訓とその裏側で

 鬼教官と化したエレナは、とても厳しかった。

 朝早くズマを起こし、密林の中を走らせる。木が生い茂る密林では、真っ直ぐ走る事が出来ない。足元は木の根が張り、少しの油断で足を捕られる。

 

 しかしエレナは、ズマの走る速度を一定に保たせる。

 少しでも速度が落ちれば、ズマには体罰が待っている。ズマは何度も叩かれ、何十キロも走り続けた。


 種族としての性なのか、それとも個人の性格か。いずれにせよ真面目なズマは、与えられた試練をこなそうと食らい付いた。


 走る訓練が終わると、休むこと無く集落に戻り、エレナはズマに戦闘訓練を行った。

 罵声を浴びせられ、殴り飛ばされ、それでもズマは何度も立ち上がる。それが、誇りあるゴブリンの姿なのかもしれない。

 だが、エレナはそれを否定した。どれだけ誇りが有っても、戦えない者は淘汰されて消える。それが、自然の摂理である。


 碌な食事を取ってないズマは、直ぐに体力が尽きる。それに元々か細い体なのだ。瞬発力や持久力は、人間より遥かに下回る。だが、エレナはズマが倒れる事を許さなかった。


 朦朧とする意識の中で、ズマは何時間もナイフを振るう。もうズマは、自分が何をしているのか、わからない。ズマは呼吸もままならずに、耳から自然と入るエレナの声に、盲目的に従う。

 

 そして、完全な限界が訪れた。

 訓練を始めてたった一日でズマが倒れ、起き上る事が出来なくなった。種族として劣るゴブリンの、ここが限界なんだろう。ゴブリンがどれだけ鍛えようと、種族を越えた力を持てるはずが無い。

 だが、エレナはその考え方を、真っ向から否定した。


 諦めるから、辿り着かない。

 挫けるから、終着点が訪れる。


「立てないか? なら立てずにこのまま、お前は死ね!」


 エレナは、ズマに冷たく言い放つ。

 ズマは息が出来ずに、苦しそうに顔を歪める。だが声が出せない程に疲弊しているズマは、首を動かす事も、声を発する事も出来ない。

 死がズマの目の前に迫る。ズマの意識が更に遠のいていく。

 

 エレナは心の中で、ズマに叫び続ける。

 生き足掻けと。


「それがお前の誇りか? お前は悔しく無いのか?」


 エレナはズマをじっと見る。

 ズマの瞳から闘志は消えていない。そして諦めない者には、必ず奇跡が訪れる。ズマは辛うじて、指を少しだけ動かした。更にズマは、時間をかけて懸命に首を横に振る。


 ズマは、生きようと抗っている。力尽きても、限界を超えようとしている。それなら、自分も全力で手を貸そう。

 エレナは更に、自分を鬼にする決意を固め、言葉を続けた。


「投げ出したければ、構わない。これは、お前の種族が抱える問題だ。私には関係ない。諦めるか? 諦めるなら、助けてやる。諦めないなら、自力で立ち上がれ!」


 ☆ ☆ ☆


 ズマは、生まれて初めて戦う技術、狩りの技術を教えられた。

 只々、嬉しかった。エレナの教えてくれる事は、何もかもが新鮮で興味深く感じた。

 だが、体がついて行かない。エレナの様に、上手く早く走れない。エレナの様に、鋭く強く、ナイフを振る事が出来ない。直ぐに息が切れ、体力の限界が訪れる。体が動かなくなる。

 ズマは生まれて初めて、己の脆弱さを呪った。


 訓練は厳しかった。しかし、ついて行きたいと思った。脆弱ならば、強くなるしかない。罵声を浴びせられるのは当たり前だ、弱いのだから。強くなりたい、その一心で、訓練に耐えた。

 朦朧とする意識の中で、漠然と音のする方に向かって、ナイフを振るった。心は前を向いている、しかし体がついて来ない。だが、限界はとっくに超えていた。


 自分が倒れたのがわかる。息が出来ない、苦しい。助けを求めようとも声が出せない。意識が遠のく中、ズマは願う。生きたいと。


 苦しい、苦しい、死にたくない。


 今まで己の存在について、深く考えた事は無かった。

 自分は誇り有るゴブリンである。立ち向かいさえすれば、何とかなる。そう思っていた。それは大きな間違いだった。

 ただ無知で有る事に甘えていた。種族ゆえの性だと甘えてた。力の差を、越えようとしてこなかった。


 エレナはこのまま朽ちろと言う。

 いやだ。死にたくない。生きたい。


 エレナは悔しく無いのかと問う。

 悔しい。脆弱な自分が悔しい。


 エレナは諦めるのかと問う。

 諦めたくない。投げ出したくない。俺は変わりたい。死にたくない。生きたい。勝ちたい。いやだ、いやだ、このままでは終われない。このまま終わりたくない。戦える。俺はまだ戦える。戦わせてくれ。俺に戦い方を教えてくれ。俺は強くなる。俺は必ず生き残る。


 ズマは、懸命に指を動かす。そして首を動かす。口を動かす。そして、動かないはずの腹を動かし、大声で叫んだ。


「がぁあああああああ~!」


 それは、ズマが生まれて始めて示した、生への執着だった。


「よくやった、ズマ!」


 叫び声を上げた瞬間、ズマは意識を失った。そしてエレナは、素早くズマに近づき、気道を確保する様に、上体を逸らせる。そして、大声でペスカを呼ぶ。


「ペスカ! 早く来てニャ!」


 狭い集落の中で、エレナの声が響き渡る。

 訓練の様子を見ていたペスカは、直ぐに駆け付けズマに治療魔法をかけた。次第に呼吸が整い、ズマの顔色が戻っていく。

 意識を失っているが、直ぐに回復するだろう。ペスカはズマの容態を確認すると、エレナに声をかける。


「エレナ。やり過ぎじゃない? 自分の部下にも、こんな無茶な訓練させたの?」

「ペスカ。勘違いしちゃ駄目ニャ。ズマは根性が座ってるニャ。左遷されて不貞腐れた奴らとは違うニャ」

「あのね、エレナ。ゴブリンにいくら期待しても、ドラゴンは倒せないよ」

「ペスカの言いたい事は、わかるニャ。でも、ズマはもう立派な戦士ニャ。必要なのは、何が何でも生き残る意思ニャ。こいつらは、必ず限界を超えるニャ」

「なら、エレナ。あんたも簡単な治療魔法くらい覚えなさいよね」

「わかったニャ。こいつらの為なら魔法を覚えるニャ」


 もしかしたら、エレナの言葉通り、ゴブリン達は種族の限界を超えて、強くなるかもしれない。ペスカは、エレナの答えに目を細めた。

 そしてエレナは、満足気にズマを見つめた。その瞳には、ズマへの称賛が籠められていた。


 ☆ ☆ ☆


 ズマの特訓が行われている一方で、冬也は密林の中で情報収取を行っていた。

 必要なのは、いま何が起きているのかを知る事である。冬也は大地母神の神気を通じて、木々に尋ねながら、密林の中を彷徨い歩いていた。


 漠然と何かが起きているのは、木々から伝わって来る。それ以上の、詳しい情報が中々入って来ない。しかし、基本的な大陸の情報程度なら、知る事が出来た。


 ドラグスメリア大陸には、エンシェントドラゴンと呼ばれる、太古から生きるドラゴンが四体存在する。エンシェントドラゴンは、大陸の東西南北に分かれて暮らし、住まう地域を支配地としている。そして現在いる場所は、ドラグスメリア大陸でも南の外れ。

 大陸の南側を支配するエンシェントドラゴンは、数日前に手下のドラゴンを従えて東に飛び立った。

 

「じゃあ、今ここには、何とかってドラゴンが居ないのか?」


 木々が騒めく様にし、冬也に答える。


「仕方ねぇ。ボスがいれば話しは早かったけど、取り敢えず獲物を持って帰るか。悪いけどお前ら、その辺の小動物を見繕って、集落に運んでくれねぇか?」

 

 密林の木々が枝や蔦を動かし、野ウサギや蛇などの小動物を捕らえ、集落へ運んでいく。


「後は、水源の確保か。水辺を探すより、掘った方が早いかもな」


 冬也は何も手ごたえを感じないまま、集落に戻ろうと歩き出した。しかし、事態は確実に進行をしていた。


 ☆ ☆ ☆


「長。黒いドラゴンの数が増しています」


 一体のドラゴンが、巨大な黄金に輝くドラゴンに話しかける。上空から見える景色は、色を失い真っ黒に染まった密林の姿である。

 そこから、次々と黒いドラゴンが現れる。


「長、あれは」

「わかっておる。あれは元々我らの同胞だ。だが、ああなってしまえば、もう救えん」

「なんて事だ!」

「お主等は、北と西の長に伝えよ」

「わかりました。長はどうなさるので?」

「儂は、こ奴らを食い止める。それに、東の長があの闇に染まれば、儂しか止められんだろう」

「お気を付けください」

 

 手下のドラゴン達が飛んでいくのを確認すると、黄金のドラゴンは大きく口を開きブレスを吐く。光の粒が含まれる凄まじい炎が、飛来する黒いドラゴンを消し炭にしていく。

 だが、黄金のドラゴンの行く手を塞ごうと、黒いドラゴンは次々と現れる


「きりが無いのぅ。儂も東にばかり構っておられぬのだかのぅ」


 黄金のドラゴンは、溜息をつく様に呟く。

 嫌な予感は大抵の場合、外れる事がない。これまでに無い動乱が、ドラグスメリア大陸に起きる。そんな予感を、黄金のドラゴンは感じていた。

 

「女神ミュールよ。我らをお守り下され」


 黄金のドラゴンは女神に祈ると、再びブレスを吐いて、黒いドラゴンを焼き尽くした。しかし、倒しても黒いドラゴンは、増え続ける。そして黒い闇は、密林を飲み込む様に、範囲を広げていく。


 悪化の一途を辿るドラグスメリア大陸で、頂点に立つドラゴンが戦いを始める。

 それは、種を守る為の戦いでもあった。

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