第144話 トロール襲来と逃走劇

 冬也の抗えという言葉に、ゴブリンは震えながらも立ち上がる。

 圧倒的な強者に対し、ゴブリンは立ち向かおうと意志を固めた。誇り有る者の姿が、そこには有った。


 だが、その脆弱な体躯で何が出来るというのだろう。

 ドラグスメリア大陸で、最弱と呼ばれるゴブリン。どれだけ足掻いても、力の差は埋めようがない。


 最弱と呼ばれるには、それなりの理由があった。

 ドラグスメリア大陸にも、野生動物は多く存在する。雑食である魔獣達は、体が大きければその分食事の量が増す。食物となる野生動物を奪い合い、魔獣は戦う。

 時として、負けた魔獣は食物となる。弱肉強食の世界で、至極当然とも言える行動原理である。


 しかし、体が小さく肉付きの悪いゴブリンは、よっぽど相手が飢餓状態で無い限り、喰われる事が無かった。所謂、腹の足しにならないという事である。

 その為、力の弱いゴブリンは、体格に勝る他の魔獣に食物を奪われる。似た様な体格のコボルトには、早さで勝てず食物を奪われる。見た目が一番脆弱そうなスライムは、変幻自在の体で翻弄し、ゴブリンから食物を奪い取る。


 力、速度、知恵、全てにおいて、他の魔獣よりゴブリンは劣る。

 どの種族の魔獣にも負け続けた挙句、取れる食物は精々木の実くらい。だが、それすらも木々によって阻まれ、収穫出来るのはごく僅かであった。

 故に、ゴブリンの体は大きく成長する事は無い。そして、ゴブリンは最弱と呼ばれる様になった。

  

 しかし、ゴブリンはドラグスメリア大陸に生まれた種族の一員として、他の種族に劣らない誇りを持っていた。

 戦いにおいて、背を向ける事は絶対に無い。どれだけ力の差があっても、怯む事が無い。速さで負ける相手でも、諦めずに追い続ける。

 ゴブリンは最弱であっても、侮蔑の対象では無かった。


 冬也の怒気が籠る言葉を聞いてなお、震えながらも立ち上がるゴブリン。その意志ある瞳を見た冬也は、笑みを浮かべた。


 一先ずペスカの指示で、意識の戻らないゴブリン達を、冬也とゴブリンが手分けして、小屋に運んでいく。

 小一時間程し一段落した頃に、空いている小屋を使いペスカ達は休息を取る。

 そして、ペスカがゴブリンに、ゆっくりと問いかけた。


「いい? わかり易く、丁寧に説明してね。そうじゃ無いと殴るからね」

「俺はずっと、わかり易く話してるぞ猿よ。ウガッ」


 ゴブリンは直ぐペスカに小突かれる。


「あのね、私は猿じゃ無くて人間。知らないなら、いま覚えなさい!」

「猿じゃ無いのだな。聞いた事が無いが、人間か。覚えておこう」

「それで、あなたにも名前が有るんでしょ? 先ずは、あなたの素性から教えてくれる?」

「俺は、ズマだ。東の集落の長をやっていた」

「私はペスカ。それと、こっちにいるのは冬也。覚えた?」

「毛が長いのがペスカで。怖い奴が冬也だな。覚えたぞ」

「ズマ。あなた東の集落って言ったわね。何が起きたか教えてくれる?」

「わかった。あれから、十回は日が昇ったと思う。いきなりトロールが我が集落を襲ってきたのだ」


 食物を奪い合う以外で魔獣が戦うのは、己のテリトリーを侵された時か、種族の尊厳をかける時くらいである。

 人間とて、見知らぬ他人が勝手に自分の家へ、ずかずかと入り込んだら追い出そうとするだろう。尤も、身内が傷付けられれば、黙ってはいないはずである。


 魔獣は他種族の集落へは、無為に近づかない。暗黙の了解というより、相手に敬意を払うのは、戦いに身を置く者として当然の礼節であろう。

 そして集落に近づき、仲間を傷付けた他種族には、必ずけじめを付けさせる。


 食物の奪い合い以外で、無用な戦いを仕掛けない。食物の奪い合いで命を落とした者の身内は、決して相手を恨まず復讐もしない。勇敢に戦った者の誇りを踏みにじる事は、侮蔑の対象となるのだ。 


 揺るぐ事の無い信念が有るから、ドラグスメリアの魔獣達は強い。この大陸では、生まれた瞬間に戦士となる。例え子供であろうと、死ぬ間際の老躯であろうと、戦いにおいては平等である。

  

 だが、その日は違った。

 オス達が狩りに出かけたゴブリンの集落を、トロール十体の群れが襲った。オス達が戻った時には、メスと子供達が全て倒れ伏していた。

 命を奪わない様に、滅多打ちにされている。そして集落に蓄えて有る食物は、奪われていなかった。それは不可解極まりない。

 メス達が殺され喰われたのなら、まだ納得がいく。何の理由もわからず、ただゴブリンの集落は蹂躙された。

   

 ズマは生を受けてから、こんな屈辱を受けた事が無かった。何が起きたのか、理解が出来なかった。傷ついたメスと子供達を治療し、その日を終える。そしてトロールは、翌日にも襲来した。


 トロールは、体が大きく力が強いが動きは愚鈍である。一対一ならば、攻撃を避ける位は出来る。

 しかし、集落には傷付いたメス達がいる。戦うべきで無いと判断したズマは、集落のオス達全員に指示を出した。


「俺はこいつ等を引き連れて逃げる。お前等は、メス達を守れ」


 ズマは、トロール達を挑発して、自ら囮になった。トロール十体を引き連れて、ズマは逃げた。仲間に危険が及ばない様に、ひたすら密林を走り回った。


 棍棒が無情に振り下ろされる。伸びる枝を薙ぎ払い、激しく風を切る音が聞こえる。ズマは音を捉え、直観的に棍棒を躱す。当たれば一巻の終わり、必死の逃走劇であった。


 動きは鈍重でも、トロールは何方向にも別れて、ズマを囲い込む。

 何も気が付かないズマは、突然に目の前を塞がれる。挟み撃ちに有ったズマは、咄嗟に右手に逃げる。しかし逃げた先には、別のトロールが待ち受けており、間髪入れずに攻撃を受けた。

 間一髪で棍棒を躱したズマは、更に右手へ逃げていく。だが、そこでもトロールの待ち伏せが有り、棍棒が降り下ろされる。

 ズマは棍棒を躱すと、木に登り枝を伝いながら逃げた。しかし、枝を伝い逃げても、木を大きく揺らされて、降り落とされた。


 走り続けるズマは、体力をどんどん減らしていく。

 息が切れても、止まる訳にはいかない。命がけの逃走は、何日も続いた。何度も日が沈み、また昇る。

 ゴブリンやトロールは、夜目が利かない。ズマは、日が落ちてからの時間は、じっと息をひそめた。

 

 密林は必ずしも見方では無い。

 油断をすれば、夜目が利く小動物や昆虫等に、手痛い攻撃を喰らう。昼も夜も無く、ズマの緊張状態は続いた。

 

 日が昇れば、トロールが動き出す。

 その前に、ズマは走り出した。食事や睡眠を取る間も無い、常時緊張の逃走劇が何日過ぎただろうか。逃げ続けるズマの後方から、一体、また一体とトロールが消えていく。

 囮に興味を失くしたのか、他の目的を見出したのか、逃げるズマに考える余裕など無い。そもそも、なぜ集落が襲われたのか、わからないのだから。


 だが、逃走は長くは続かない。トロールを引き連れて逃げ始めてから、十日目にズマは力尽きた。


 もう動けない。体中に力が入らない。

 ズマが倒れた時に、追手のトロールは三体にまで減っていた。

 仲間の為に倒れる訳にはいかない立ち上がり、ズマはトロール三体に向かい合う。そしてズマは、棍棒の風圧で軽々と吹き飛ばされた。

 

「そこに、俺達が駆け付けたって事か」

「そうだ。助かった」

「でもよ、ズマ。ここはお前の集落なのか?」

「違う。ここは南の集落だ」

「じゃあ、お前の集落が今どうなってるかは、わからねぇんだな」

「そうだ。家族達は、また同じ目に遭わされているかもしれない」

「お前等の仲間は、後どれだけいるんだ?」

「西にもう一つ集落が有る」


 冬也は舌打ちをして、黙り込んだ。ズマの話しを聞いても、胸糞悪さが増すばかりだった。

 話を聞いた後もずっと黙り込んでいたペスカが、重い口を開く。


「あのさ、ズマ。前からトロールに酷い事をされてたの?」

「そんな訳あるか! 奴らと我等ゴブリンは、良好な関係だった。奴らは、獲物を取れない我等に、獲物を分けてくれる。小賢しいコボルト共とは違う!」

「トロールって何食べるの? 動物?」

「何を食うかは知らん。だが、蛇やリスをよく貰ったぞ」


 ペスカは、再び考え込む様に、眉根を寄せる。


「ペスカ、どうした? 何かわかったのか?」

「いや、情報が少なすぎるよ。トロールの行動意図が全くわからないし。そもそも、私はトロールの生態をしらないんだよ」

「ペスカ、それが何か関係あるのか?」

「だって、食料が目的じゃ無ければ、他に何の目的が有るの? 元々暴力的な側面が有る種族かも知れないでしょ。また襲われる可能性は、どの位あると思うの?」

「じゃあ、どうすんだよペスカ」

「先ずは、バラバラの集落を、一つに集める所から始めよう」


 ペスカの言葉に、ズマは首を傾げる。ペスカの頭には、既に段取りが組み上がりつつあった。

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