第83話 蘇るシュロスタイン
モーリスの縛めを解く為、冬也が神剣を手に取る。
豆腐でも切るかの様に、硬い鉄格子を易々と切る。そんな冬也の様子に、モーリスは目を見張る。次に冬也はマナを封じる特殊な枷を断ち切り、モーリスを完全に自由にした。
久しぶりの自由を手に入れたモーリスは、腕や足を動かす。満足に動かせないのは、わかっている。しかし今は動かせるだけで充分。モーリスは、少し笑みを深めた。そして、冬也に向かい頭を下げる。
「助かりました。私はモーリス。貴殿はペスカ殿のご同輩か?」
「ペスカの兄、冬也だ。よろしく」
「冬也殿の力はこの世の物では有るまい。凄まじい力だ」
冬也に頭を下げた後、モーリスはゆっくりと牢から出る。そしてペスカの前まで歩み寄ると、片膝をついて頭を下げた。
「ペスカ殿。誠にかたじけない。私はまたあなたに助けられた」
「モーリス、頭を上げなさい。あんたが生きていた。それがこの国の救いになる」
ペスカは治療の魔法をかける様に、空へ指示をした。やつれた身体が元に戻る事は無いが、体を動かすエネルギーを与える事は出来るはずだ。
モーリスの体を空の魔法が包む。優しい光が、モーリスを癒していく。
空がモーリスを癒している間、ペスカは空と翔一の紹介を始め、シュロスタイン王国を含む三国間の戦争と国の現状、帝国の現状、神の関与等を掻い摘んで伝える。概ね予想をしていたのか、然程モーリスに驚く様子は見えなかった。
一通りの治療が終わると、モーリスは立ち上がる。そしてストレッチをする様に、ゆっくりと各部の動き方を確認する。先程よりは、幾ばくか体が軽い。
「空殿、ありがとう。素晴らしい治癒術だ。それに、あなたの隠蔽を見破れるのは、そう多くはない。素晴らしい才能をお持ちの様だ」
空に対しても、モーリスは深々と頭を下げる。そして、再びペスカに体を向けて語りかけた。
「やはり神が関与してましたか。ライン皇帝の死と言い、大陸は予想以上に混乱状態に有るようですな」
「私は早い所、エルラフィア王国に帰りたいんだけどね」
「お気持ちはお察しします。それにしても、神二柱を倒されたのは流石ですな。だが、惜しい男を失くした」
モーリスの表情が少し曇る。その表情を見て、冬也がモーリスに問いかける。
「なぁ、あんたはシグルドを知っていたのか?」
「存じています。剣を交えた事も有る。類まれなる剣の才、柔軟な対応力。何よりも素晴らしいのは、彼の誠実さでしょう。力に溺れず精進を続ける、それは中々に難しい。彼の様な男に、未来を託したかった」
モーリスは思い出す様に、少し目を閉じて冬也に答えた。直ぐに目を開け、真剣な顔つきに戻る。
「ロメリア神にメイロード神でしたか。神の二柱が倒れたとは言え、未だ二柱が健在。厄介な事この上ないですな」
「まあね。だから、大陸の東側でもたついている場合じゃ無いんだよ」
「だとすれば、直ぐにこの現状を何とかせねばなりませんな。ペスカ殿、空殿、結界を張って下さい」
モーリスの言葉通りに、ペスカと空は自身の周囲に結界を張る。結界が張られたのを確認すると、モーリスは大きく深呼吸をし、体内にマナを循環させる。そして、一気にマナを解き放った。
モーリスから膨大なマナが解き放たれると、城に震度六程の揺れが起きる。その揺れは城に留まらず、王都を巻き込む。兵達は座り込み、戦へと歩きゆく住民達は、訳が分からずパニックに陥った。
揺れが収まると王都の様相は一変する。武器を抱える住民達はキョトンとした様子で、何故武器を持っているのかを不思議がり、武器を捨てそれぞれ自宅へ戻っていく。兵達は周囲の安全確認の為、城や王都を駆けずり始める。
王都全体を探知していた翔一は、驚きの声を上げた。
「凄い! 一気に清浄化した!」
「まだだ、翔一。城の中に澱みが有る!」
「冬也殿の仰る通りですな。さて、行きますか」
モーリスはゆっくりと歩き、地下区画を抜けて階段を上がる。階段を上りきった所で、兵士達がモーリスに気が付き、辺りは騒然となる。
洗脳をされていても、行動の指針は朧げに残っているのだろう。モーリスは、将軍職を剥奪され、地下に幽閉されている。それは周知の事実になっている。
兵士達は慌てふためき、モーリスを捕えようと集まる。そんな兵士達の様子に、モーリスは声を荒げた。
「貴様ら! 今がどの様な状況か、わかっておるのか! それでも、シュロスタインの兵士か! 国を守るのが役目であろう! 民を守るのが使命であろう! 今は一刻も早く戦争を止めねばならんのだ! 急げ! 貴様らは民の安全を確保せよ!」
モーリスの一喝により、動揺する兵達が整然とする。そして兵士達に、王都内の状況と住民達の安否確認を急がせた。モーリスは歩きながら、通りすがる兵や、官職の者達に指示を与えて行く。モーリスの厳粛な雰囲気が伝播する様に、城内の雰囲気が変化して行く。
大きな戸の前まで歩いた所で、モーリスは振り返った。
「この先には陛下がいらっしゃる。恐らく澱みの中心点が陛下です。皆様、私にお任せを」
「モーリス。大丈夫なんだね」
「ペスカ殿。痩せても枯れても、このモーリスは軍を預かる身。この身にかけて、事態を収拾致します」
モーリスはペスカの問いに雄々しく答えると、戸を開け放つ。謁見室では玉座にだらりと座った国王が、大声で喚き散らしていた。
「先ほどの、揺れは何だ! まだわからんのか、愚か者め! 戦況はどうなっている! 早く民共を出陣させぬか!」
謁見室内は悪意が渦巻き、暗く淀んだ空気に溢れている。国王は視点が定まっておらず、ぎらついた視線をあちこちに向けている。モーリスは、ペスカ達を入り口付近に立たせ、玉座へ近づいて行った。
「貴様、モーリス! 何故、牢から出て来た! 何をやっている、早くこ奴を捕らえよ!」
その声に側近達は殺気立ち、列挙してモーリスに襲い掛かる。モーリスは鋭い眼光で威圧し、側近達を怯ませた。
「えぇい、何をしている! こ奴は重罪人だ! この場で処刑せよ!」
その声に従い、側近達は剣を抜こうとする。しかし、モーリスは更に睨みを利かせて、威圧を重ねた。その視線に側近達は、震えあがり腰を抜かす。
「お静まり下さい、陛下!」
謁見室中に響き渡る大声で、モーリスが叫ぶ。その声に国王がたじろぐ。モーリスは歩みを止めず、玉座へ近づいていく。
「貴様! 誰に向かって言っておる! 来るな! これ以上来るで無い! 誰か、こ奴を止めよ!」
「静まれと言っている!」
どれだけ国王が喚いても、周囲の者達は怯えて動こうとしない。そして周囲を黙らせた眼光と静まれの一言が、国王の口を閉ざさせる。国王のぎらついていた視線は一変し、怯える様にモーリスから視線を外した。玉座の目の前まで歩み寄ったモーリスは、国王の頬を平手で叩く。謁見室内に、乾いた音が響き渡った。
「陛下、目をお覚まし下さい」
国王は玉座から滑る様に、崩れ落ちる。そのまま四つん這いになり、背を向けて逃げようとする。だがモーリスは、それを許さなかった。国王の襟首を掴み上げ、何度も平手打ちを見舞う。
「陛下、神に惑わされ何をなさっている! 今がどの様な状況に有るかご存知でしょう! 目を覚まされよ!」
その光景は、見ている者達に畏怖の念を感じさせる。平手を見舞う毎に、悪意が消え去っていく。やがて謁見室内から、悪意に満ちた感情が消え去り、整然とした雰囲気に変わっていった。
頬を赤く腫らした国王は、穏やかな表情でモーリスに話しかけた。
「降ろしてくれ、モーリス」
モーリスは国王の表情を変化を見ると、玉座に下ろし平伏した。国王は謁見室に響き渡る大声で言い放ち、モーリスに向かい頭を下げた。
「モーリス、其方の忠義見事であった! 其方のおかげで、儂は正気を取り戻した!」
神の洗脳を振りほどき、国王は完全に意識を取り戻した。しかし国王には、洗脳時の記憶がはっきりと残っている。自分が命令した事も何もかも。それ故に、戦争まで至った事への責任を感じた。
そして国王は瞬時に悟る。国王で有る自分を平手打ちしたのだ。モーリスの極刑は免れまい。だが三国間の戦争を収めるには、モーリスが必要だ。平伏するモーリスに対し、忠義を認め自らが頭を下げる事で、モーリスに罪が無い事を周囲に示した。
「陛下。此度の事」
「モーリス! これから忙しくなるぞ! 戦争を止めねばならぬ。これ以上犠牲者は出してはならんぞ!」
モーリスの言葉を遮る様に、国王は大声を発する。
「モーリス! 其方を将軍へ復帰させる。だが、その前に少し休んで、食事を取れ。誰か、モーリスに食事を摂らせよ!」
モーリスは、側近に連れられ謁見室を去る。そして王都全体を探知し続けていた翔一は、ようやくホッとした表情に変わった。
「もう、大丈夫そうだよ。危険な気配は消えうせた」
「そうだね。探知お疲れ、翔一君」
「あのおっさん、すっげぇな。張り手かましたの、国王だろ! かっこいいな!」
「ちょっと、お兄ちゃん。そんな事、大声で言わないで! せっかく国王陛下が、モーリスの不敬罪を無かった事にしたのに!」
「馬鹿だなペスカ! 悪い事したら謝るのは、当然だろ!」
入口付近で騒ぎ始めるペスカ達を見て、国王が笑い声を上げた。
「はっはははぁ、罪を犯したら頭を下げる。其方の言う通りだ! 誰がモーリスを責めようか! あの男は国の宝だ!」
国王はペスカ達を近くへ呼ぶ。
「モーリスを牢から出したのは、其方達であろう? 感謝する」
洗脳を受け、国を混乱へと導いた事への反省か。はたまた国王としての責務を果たせなかった事への自責の念か。国王は玉座から下り、ペスカ達に頭を下げた。
そもそも国王は、国を代表する者である。他国の王にでさえ、頭を下げてはならない。それは、臣下に下る事を意味しているのだから。己の配下に頭を下げるのは以ての外、唯の客人に対して頭を下げるのは論外であろう。
それでも、国王は深々と頭を下げた。そして、ペスカ達に請う。
「図々しいと思われるかも知れん。其方達は、色々精通していると見える。今、この大陸に何が起きているか教えてくれんか?」
客人とも呼べないだろう。侵入した得体の知れない者達に、謁見室からの退去を命じるどころか自ら声をかける。ましてや、そんな者達に教えを請おうと頭を下げる。そんな事が出来る国王が、世界にいったいどれだけいるのか。
国を治るには誠実足れと言わんばかりの態度に、ペスカはシュロスタイン王国の光明を見る。そしてペスカが代表して、委細の説明を行った。
「そうか。ではアーグニールやグラスキルスも、我が国と同様の状況かも知れんな」
「陛下。我々はこれから南下し、アーグニール王国へ向かいます。モーリス将軍同様に、ケーリア将軍が存命で有れば、起死回生の一手になるかも知れません」
「すまないな。いずれ我等も必ず力になる。せめて今は、其方達の援護をさせて欲しい。兵站は底を尽きておろう」
「ありがとうございます、陛下」
国王は側近達に、ペスカ達の兵站を整える様に命じる。そしてペスカ達は、車を取りに行く為に謁見室を離れた。車を城に乗り付ける頃には、兵站を積み込める準備が出来ている。
手分けして荷物を運んでいると、食事を終えたモーリスが姿を現した。急いで駆け付けたのだろう、すこし息が荒い様に見える。
「ペスカ殿。アーグニールへ向かわれるとか」
「うん。ケーリアが生きていれば、助けて来るよ」
「ケーリアの事です。殺しても死なんでしょう」
「信じてるの?」
「感です。ケーリアの事、よろしくお願いします」
「任せて! そっちは戦場を何とかしてよね!」
「はい。お任せ下さい」
モーリスは胸を拳で叩くと、ペスカの姿を深く瞳に焼き付けた。
モーリスの瞳には変わらず熱い炎が宿る。それは死への旅路とは違う、別の強い覚悟。師から託された国を守る。仲間と誓い合った、平和な世界を再び築く。何より敬愛するペスカと、再び相見えんと心に誓う。
ペスカは激励代わりに笑顔を深めて、モーリスに視線を送る。
何時、何処で邪神ロメリアが現れるかわからない。そんな不安は残る。だが、ペスカは知っている。かつての右腕が、どれ程の力を持っているかを。
簡単にやられない。簡単にやらせはしない。
両者の視線が交差する。再び生きて会おう。二人の瞳が熱く物語っていた。
ペスカ達は車に乗り込み、南へ向かい車を走らせる。向かうは、アーグニール王国。混迷を極める大陸に平和を取り戻すペスカ達の戦いは尚も続く。
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