第35話 ライン帝国の異変

 ペスカは進軍前に、カルーア領軍五十名を十人一班に編成する。そして、シルビア、セムス、メルフィーをそれぞれ班の隊長に任命し、残り二班はシグルド指揮下に入る事に決めた。帝国内での戦闘も加味し、カルーア領に残る五十名分の兵器は、帝国軍に預ける事にした。


 帝国軍の中隊は、隊長であるトール指揮の下、独立して行軍する。

 国境門を越えたペスカ率いる遠征隊と帝国軍の中隊は、帝国軍を先頭に戦車、トラック、カルーア領軍と続き、ライン帝国に入国した。

 

 ライン帝国は、エルラフィア王国の東に位置し、エルラフィア王国の三倍の国土を持つ。中央には豊かな平野、南は海に面し、農林水産業から工業まで発展し、あらゆる物が生産流通している。


 ライン帝国はかつてライン王国として存在していたが、軍国主義を掲げる王の下、長年に渡り少しずつ周辺の小国を統合し、現在のライン帝国となった。ライン帝国はその広大な領土故、併合前の国が辺境領として自治を認められていた。併合前の各王は辺境伯として領地を治め、内部組織にはライン王国を祖にする貴族が多数存在している。

 

 以前のライン帝国は、エルラフィア王国を含め周辺国といざこざが絶えなかった。しかし、二十年前の騒動を機に軍国主義を撤廃し、周辺国と不可侵条約を締結した。それと同時に騒動を治める為、ラフィスフィア大陸の各国と同盟を締結した。ライン帝国はエルラフィア王国と並び、同盟中心国の一つであった。

 

 現在の皇帝は、同盟締結時の皇帝から後を継いだ三十代の若い皇帝であるが、国内の生産流通システムを革新した上、関税の見直しを図り周辺国との貿易流通を活発化させ、帝国経済を飛躍的に向上させた賢帝として知られている。


 国境門を越えたペスカ達は、帝国軍の中隊が記憶をなくす前にいた領都へ、一先ず向かう事に決める。エルラフィア王国との国境に隣接する領地である。一晩野営をし、翌日の昼頃には目的の領都へ到着した。しかし途中の行程では、モンスターは一切現れなかった。


 異常の無い道中に、トールは終始眉をひそめていた。

 ペスカの言葉を、全て疑っているのではない。事実、記憶の無いまま国境門にいたのだから。しかし、それが邪神と言われる存在の企みだと語られても、俄かには信じがたい。ただ、確実に帝国内で何かが起きている。そんな予感はしているのだ。だから今は、帝国内で何が起きているのかを、速やかに確認する事が大切である。

 トールは、逸る気持ちを抑えつつ、状況把握に努めようと必死であった。

 

 目的の領都は、高い塀で囲まれ大きな門が有る。しかし門には警備の者が見当たらない。違和感を感じながら領都へ入ると、街中にも人影が無く、巡回の兵士を見かける事も無かった。見張りのいない門、人のいない領都、それが偶然の一言で片づけられるはずがあるまい。仮に大規模なイベントがあったとしても、領都に入る前に誰かとすれ違うはずである。原因不明の大規模な失踪と言いたくなる状況に、帝国軍の兵士達すら一様に口数少なく顔を曇らせている。

 少し堪りかねた冬也は、口を開いた。それに合わせて、ペスカはトールに質問を投げる。


「なぁ、街に人がいないって、おかしくねぇか?」

「ねぇ、隊長さん。これがいつもの雰囲気って訳じゃ無いよね?」

「当たり前だ。この領都は流通で栄えた都市だ。いつもは商人達で賑わっている」

「警備の兵が見当たらないのは、あなた達が国境門に行ったせいじゃ無いよね」

「当然だ。我が中隊は帝国の正規兵だ。この領都には、たまたま駐屯していただけだ。この領地にも領軍は別にいる」

「シグルド、王都に通信は繋がる?」

「いえ、領都に入ってから雑音が酷くて繋がりません」


 ペスカは軽いため息を吐くと、再びトールに話しかけた。


「ほら。やっぱり帝国で何か起こってるんだよ。理解してくれた?」

「あぁその様だ。疑っていた訳では無いのだが、申し訳ない。急いで我々は、領主の下へ行き状況を確認して来る。すまないが、君達はこの広場で待機して貰えないか?」

「う~ん、良いけど。セムス、着いて行って」

「承知しました、ペスカ様」


 ペスカの命を受けたセムスが、指揮下のカルーア領軍を連れて、トール率いる帝国軍と共に領主宅へ向かい歩き出した。そして、ペスカは次々と指示を出していく。


「シルビアとメルフィーは、領都の調査をお願い」

「かしこまりました」


 シルビアとメルフィーがそれぞれ、カルーア領軍と共に駆けて行く。


「俺たちはどうするんだ?」

「私達は待機だね。お兄ちゃん、一応いつでも戦闘が出来る様に準備しといてね。シグルドは、シルビア達が戻って来たら、領都を出て王都へ報告」

「わかった」

「承知致しました」


 ペスカ達は中隊長の言葉通りに、戦車とトラックを広場へ移動させる。移動を終えるとシグルドは、カルーア領軍の一班に門の警備を指示し、残りの一班は広場周辺の安全確保を命じた。ただ待つのが暇だと言うペスカは、冬也を連れ広場を離れる。そして商業区域や様々な通り等で、色々な魔法を使い始めた。


「どうだペスカ?」

「威力が弱くなってるね。何かの結界が張られているのかな?」


 色々と場所を変えて魔法を試したペスカだったが、その結果に苦い顔をしていた。試し終わったペスカと冬也が、戦車の有る広場へ戻って来る。ペスカは、領都中で魔法を威力が弱まっている事を、シグルドに話した。


「仮に結界があったとしても、ペスカ様ほどの使い手なら、領都に入った時に結界の有無を感じるのでは?」

「そうなんだよね。まぁその辺りは、シルビアが調べてくれるかな」

「お前が解らない事が、シルビアさんで何とかなるのか?」

「そう言えばお兄ちゃんは知らなかったっけ、シルビアは結界や空間魔法のエキスパートだよ。ただのまったりおばさんじゃ無いよ」

「そう言えば、シルビア殿はルクスフィア領で、諜報活動をなさっていると聞いた事が有ります」

「マジかよ。意外だな! うわっ!」


 話をしていると、冬也の後ろの空間が歪み、シルビアが現れる。


「女性の秘密を探る物では無くてよ、冬也君」

「ビックリさせんじゃねぇよ、シルビアさん」


 冬也を驚かせた事で意趣返しは満足したのか、ペスカの前に立つとシルビアは真剣な表情で報告を始めた。


「ペスカ様。この領都は、外と空間が遮られております。昔ロメリア教会に潜入した時に感じた物と同種の、異質な空間です。恐らく魔法の効果は、極端に弱くなっていると思われます」

「魔法は試したよ。やっぱり邪神ロメリアか」

「これが通常の魔法結界なら、大した問題は無いでしょうけど、異質な力を感じます。もし、ロメリア教会と同質の効果があるなら、放って置くとロメリア狂信者が大量生産される事になります」


 シルビアの言葉の深刻さがわからない面々ではない。冬也でさえ、それがどれ程の事を意味しているのか理解したのだから。

 しかし、悪い報告は続く。シルビアに置いて行かれた、カルーア領軍が広場に戻って来る頃、メルフィーとその率いる領軍が調査を終えて帰還する。

 そして、その報告はシルビアの言葉通りの展開を、確信させる内容であった。


「ペスカ様、やはり屋外には人は見当たりません。屋内にはマナの気配が多数有り、住人は屋内に居ると思われます。ただ屋内の人々は生活の気配どころか動いている様子がありません」

「ただ、ぼ~っと座ったり、突っ立っているだけって事?」

「はい、不審な点はもう一つ。男性が極端に少なくなっています」

「建物に居るのは女性や子供って事?」

「はい。どの建物も同じ状況です」


 報告を聞いたペスカは、腕を組み険しい表情になる。そしてペスカ、少し考え込む様に目を閉じる。目を閉じてから、僅か二秒から三秒であろう、ペスカは目を開けるとシグルドに指示を出す。


「シグルド、トラックで外に出て王都に連絡! 兵器の量産を急がせて! 他の工場も使って大量生産体制を取る様に伝えて!」


 シグルドは軽く頷き、直ぐにトラックを走らせた。


「ペスカ、トールさんやセムスさんを待たなくて良いのか?」

「急がないと、手遅れになりそうな気がするんだよ」


 シグルドが通信を終え広場へ戻る頃、丁度トール達も広場へと帰還する。ただ、兵を含めトール達は、皆一様に硬い表情をしていた。

 到着したトールがペスカに向かい重々しく口を開く。


「ペスカ殿、領主はこの領都にいない。領軍もだ」

「どういう事?」

「我々は領主宅へ行ったが、声を掛けても反応が無い。緊急故、強引に押し入ると、中には誰もいなかった」

「ペスカ様、トール様と共に屋敷内を捜索しましたが、誰もおりませんでした。屋敷内は埃だらけで、かなりの間掃除がされていない様子でした」

「使用人達は?」

「敷地内に使用人用の住宅が有りました。使用人達は、椅子やベッドで身動き一つしない状態でした。話しかけても応答は有りません」

「ペスカ殿、この領都には我々が拠点にしていた兵舎が有る。そこには常時領軍が在中している。念の為、兵舎も訪ねたが完全にもぬけの殻だった。武器も持ち去った様だ」


 報告を聞き終わったペスカは、地面を蹴り上げる。完全に先手を打たれている。事は簡単に収まるレベルを超えているだろう。

 そして冬也は、敢えて誰も口にしない言葉を、確認する様に口にした。

 

「どういう事だ? 普通兵士ってのは、領地を開ける事は無いだろ?」

「そうだよ冬也。たとえ戦争でも、領土を守る軍は残す物だ。しかもここは領都。領民がいるのに、最低限の防衛戦力が残っていないのは、異常事態なんだよ」


 冬也の質問にシグルドが答える。ペスカは黙ってトールに体を向けると、静かに問いかけた。


「隊長さん。あなた達はどうするの? いや、どうしたいの?」


 トールは少し俯くが直ぐに顔を上げる。その顔には、悔しそうに固く唇を噛みしめ、血が滲んだ後が有った。

 何かが起きている。人の意志では逆らえない何かが。それはペスカの言葉通り、邪神と呼ばれる存在が関与しているのだろう。

 問題はこの領地だけには留まらない、それは確実なのだ。既に領軍が街を去っているという事は、目的地は推して知るべしであろう。それは、各地でも同様の事が起きているはずなのだ。


「帝都へ向かう。この領都の住人達は心配だ。しかしこの帝国で、不可思議な事が起きているのは事実だ! 事態の収拾を図らねばなるまい!」

「あなた達だけで、何とかなるの?」

「出来るかどうかの問題では無い。我々は帝国を守る盾だ! 我等の命に代えてもこの帝国を守る!」


 トールが叫ぶと、帝国兵が足を揃え踵を鳴らす。トールと帝国兵の姿を見たペスカは、やや口角を上げトールに言い放った。


「そう、わかった。ならあなた達は、私の傘下に入りなさい! 預けた兵器の使い方を教えてあげる! この街も帝国も救ってあげる!」

「ペスカ殿、あなたは一体何者なのだ?」

 

 トールは、目を白黒させてペスカに問いかける。そしてペスカは、くるっと一回転してポーズを決める。


「私は伝説の大賢者、ペスカ様だよ! 帝国丸ごと私が救ってやるぜぇ!」


 ペスカの言葉に、トールを始め帝国軍やカルーア領軍も、一斉に片膝を突き頭を下げた。


「ペスカって名前は、印籠かよ!」


 冬也の呟きも空しく、帝国中隊がペスカの指揮下に入る事が決まる。全軍は一旦領都を出て野営をし、翌朝に領都の空間遮断解除を試した後、帝都に向け出発する事になった。

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