第7話 ペスカと母とお兄ちゃん
羽交い絞めして止めるクラウスを、冬也は怒鳴りつけた。
「離せよ、この野郎!」
「ペスカ様の兄君とて、妻への無体な真似を、許す訳には参りません」
だがクラウスの言葉は、冬也の怒りに火を注ぐ結果となる。
「てめぇ! 大事な子供を捨てて、こんな所で幸せってか! ふざけんじゃねぇぞ!」
冬也はクラウスの拘束から力づくで抜ける。不可能だと思ったのか、クラウスは冬也の行動に驚きの表情を浮かべた。
そして冬也は早かった、一瞬の内に義母へ近づくと拳を振り上げる。しかし、冬也の行動を予測していたのか、ペスカが義母を庇う様に立ちはだかる。
慌てて、冬也は既に振り抜きかけた拳を、力づくで止めた。
「止めてお兄ちゃん! 全部、誤解なんだよ!」
「どけ、ペスカ! そいつは、お前を捨てたんだぞ!」
「だから、誤解だって。全部話すって言ったでしょ。ちゃんと話を聞いて、お兄ちゃん」
涙目で訴えるペスカの姿に、冬也は拳を緩める。納得できるはずがない。ただ、ペスカの話しだけは、聞いてやらないとならない。
冬也は乱暴に椅子に腰かけ、威嚇する様に全員を見渡した。
「この感じだと、全員事情を知ってるんだよな! 誰が俺に説明すんだ?」
冬也から無意識に、得体の知れない力が解き放たれる。本人すらわかっていない力に、クラウスや義母の肌が瞬間的に粟立った。
本当の意味で、冬也が怒る事は滅多にない。ただ一つ言えるのは、冬也がその状態に陥れば、相手は唯じゃすまない。それをよく知るペスカは、宥めようと冬也に声をかける。
「お兄ちゃん、怖いよ。怒らないで、ね」
ペスカが上目遣いで懇願しても、冬也の留飲が下る事は無い。
「私から説明するわね」
ゆっくりと、冬也の正面に座る義母。
「シルビアさん、あんたが娘を捨てた理由。ちゃんと聞こうじゃねぇか。納得出来なきゃ、骨折くらいは覚悟しろよ」
「良いわよ、冬也君。それで貴方の気が済むなら、幾らでも殴って頂戴!」
真剣な眼差しで、冬也に向き合う義母シルビア。ペスカと同じ、美しい金髪と青い瞳。顔立ちもペスカとよく似て美しい。似ていないのは、胸のサイズだろうか。成長中のペスカは、残念と言ったところだろう。
シルビアの瞳は、覚悟を決めた様な意志が宿っていた。いつかこんな日が来ると、わかっていたかの様に。
既に一触即発の雰囲気にも似た様子である。そこにペスカが割って入った。
「ちょっと待ってシルビア!」
「いいえ、ペスカ様。彼の言う事には、間違いは有りません。わたしは、罰を受けなければならないのです」
「あ~もう、お兄ちゃんといい、シルビアといい。二人共頑固なんだから! いい、お兄ちゃん! シルビアをぶっ飛ばしたら、お兄ちゃんは私がぶっ飛ばすからね! 一応シルビアは、私の母親なんだから!」
ペスカは冬也の隣に座って、やや凄んでみる。ただ冬也に睨まれ、直ぐにそっぽを向いた。それは、ペスカの本能的な回避行動だったのかも知れない。冬也が本気で怒った時は怖いのだから。
だがシルビアは真っ直ぐに冬也の目を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
ペスカはこの大陸で、一二を争う優秀な賢者だった。
魔法に秀でたペスカは、魔法研究の第一人者であり、農業、工業、経済まで、あらゆる物を発展させていった。ペスカの発明した物は、生まれ故郷である国を始めとして、今やあらゆる国に流通している。ただ、ペスカは元々体が弱くて、寿命も余り長くないと言われていた。
そして、ある事件がきっかけで、更に体を壊し寿命を縮めた。その事件は大陸中を巻き込む大事件に発展し、ペスカは先頭に立ち解決に導いた。
当然ペスカは、大陸中で英雄視された。だがその代償は高く、ペスカは死の淵に立たされた。そこで、浮上したのが転生である。
とある神からの提案で、記憶と経験を持ったまま、転生する事を勧められた。そして、母体に選ばれたのが、シルビアであった。ペスカのマナと親和性が高いシルビアは、ペスカの魂を子宮に収め、日本に転移した。
日本に来たからと言って、安全に出産どころか、生活の保障すらない。その手助けをしたのが、冬也の父、東郷遼太郎であった。
遼太郎は、シルビアの生活を面倒を見る一方で、様々な助力をしていった。その一つが、シルビアの在留特別許可とペスカの日本国籍取得。その為シルビアは、遼太郎と戸籍上の婚姻を果たした。それでも、すんなり許可が下りたのは、法務省等に顔の利く、遼太郎の采配によるものだった。
ただし、シルビアはペスカの部下で有り、元の世界でやるべき事が多く残されている。せめて有る程は成長するまでと、ペスカに許しを請いながら、シルビアは日本での生活を続けていた。いずれは帰らなければならない事に、変わりがなくても。
「都合の良い話を並べたなぁ。それはペスカを捨てた理由になるのかよ?」
「私が、ペスカ様を残して帰って来れたのは。冬也君、貴方が居たからよ」
「どう言う事だ?」
「貴方は、ペスカ様を何が何でも守ってくれる。実際に森の中でも、ペスカ様を守ってくれたでしょ? 遼太郎さんってよりは、貴方を信じたのよ。冬也君」
納得がいかない表情の冬也を諫める様に、シルビアは優しく冬也に説明を続けた。
「転生を勧めて下さった神様から、助言を頂いてたの。日本に行ったら、東郷遼太郎とその息子を頼れってね」
「神様の思し召しってか。笑わせんじゃねぇよ!」
「理解してくれなくても構わないわ。事実ですもの。それと、初めて貴方を見た時に、神様の言う事は間違いないと、確信したわ」
「そりゃ、どういう事だよ」
「貴方は、他人の為に力を振るえる子。他人の為に怒れる子。ただの幼稚園児が、友達を助ける為に、倍以上に体が大きい小学生に立ち向かう。そんな事が出来る子は居ないもの」
シルビアが初めて冬也を見たのは、まだ彼が幼稚園に通っていた頃であった。
虐められている友達を助けようと、体の大きな小学生達を相手に、冬也は立ち向かった。対格差がありすぎる。当然、敵うはずがない。何度倒されても、殴られても、冬也は必ず立ち上がる。根負けした小学生達が、去っていくまで、それは続いた。
ぼろぼろになって傷ついた冬也。痛いはず、泣き出してもおかしくないはず。だが冬也は自分の事より、虐められて泣いていた友達へ、真っ先に声をかけた。
なんて強い子なんだろう。
なんて温かい魂を持っているんだろう。
神のお言葉は、間違っていなかった。
この子なら、必ずペスカ様を守ってくれる。
この子なら、必ずペスカ様を導いてくれる。
幼い冬也の姿に、シルビアは涙が止まらなかった。
「私はペスカ様の意思を継ぐ者。ただ、幼いペスカ様を置き去りにした事実に変わりは無い。裁きは受けます。その権利は、貴方に有る。冬也君、好きなだけ殴りなさい。それで、私の罪が消えはしない。でも、貴方の心が少しでも軽くなるなら、それで構わないわ」
シルビアの瞳が、真っすぐに冬也の瞳を射抜く。その瞳には嘘が無い事を、冬也は確信した。
それでも、納得した訳では無い。許せるとも思えない。十年に渡り抱えた冬也の想いは、すんなりと解消出来るはずが無い。
だが、冬也はシルビアの事情を察して、この場の怒りを治める事にした。
心配そうに見つめるペスカの頭を軽く撫でて、冬也は席を立つ。
「悪いが、休ませて欲しい」
冬也が言うと、すかさずメイドが案内を申し出る。メイドに案内されて寝室に通されると、冬也はベッドに身を預け、少し休む事にした。
知らされたペスカの謎。聞かされたのは、理解できない話ばかり。冬也には受け止めきれない内容だった。
暫くの間、冬也が悶々としていると、ノックの音が聞こえ、扉が開きペスカが中に入って来た。
「お兄ちゃん。私の事嫌いになっちゃった?」
「そんな訳ないだろ」
「怖い?」
「怖いのは、お前が傷つく事だ」
不意にペスカが抱き着いて、涙を流す。冬也はペスカを、やさしく抱きしめ返した。
目を真っ赤に腫らしたペスカが少し落ち着くまで、冬也はペスカを抱きしめていた。
「ペスカ。お前はどうするんだ? ここに残るのか?」
「何言ってんの? お兄ちゃん。日本に帰るに決まってるじゃない」
「だってここが、お前の故郷なんだろ?」
「お兄ちゃんは、帰りたいでしょ?」
「当たり前だ!」
「お兄ちゃんの隣が、私の居場所だよ」
冬也にとって、ペスカの居ない日常は考えられない。想像しただけで、寂しさで胸を締め付けられる。冬也はペスカを抱きしめる力を、少し強める。
「もしかして、お兄ちゃん寂しいの? お兄ちゃんは、妹大好きっ子だからな~!」
「うるせぇよ、馬鹿ペスカ」
だがそれは、ペスカとて同様で有り、冬也が傍に居る事は、当たり前になっていた。ペスカは、抱き着く力を強め、冬也の胸に顔を埋めた。
☆ ☆ ☆
冬也は、そのまま部屋を出ずに寝てしまう。冬也が寝た後、ペスカは起こさない様に、部屋を出る。そして、屋敷の一室に入って行った。
部屋の中には、クラウス、シルビアの二人が、ペスカを待っていた。
ペスカが入室すると、席を立ち頭を下げるクラウスとシルビア。ペスカは座る様に、ジェスチャーで指示をする。ペスカが腰かけたの確認すると、クラウスが話し始めた。
「先ずは報告を聞こうか、シルビア。森の探索はどうだった?」
「はい、うっすらとですが、魔力の残滓が有りました」
「あれとの因果関係はわかったか?」
「今は何とも言えません。まだ調査が必要かと思います。それに、他領の状況も気になる所ですね」
「メイザー領に、連絡を取ってみるか。シルビア、それも含めて調査の続行を頼む」
「わかりました、クラウス」
二人の会話を聞いていた、ペスカが徐に話に割って入った。
「ねぇ、シルビア。私が転生した後は、あれの情報は入っているの?」
「現在は、動きを潜めてます。私がペスカ様と日本にい居た間は、テロ活動が盛んだった様です」
「そっか。でも、モンスターって事は、間違い無く奴らが係わってるよ」
ペスカの言葉に表情を引き締める、クラウスとシルビア。
「クラウスは、陛下を通じて、他領と他国にも連絡を入れる事。シルビアは、引き続き調査をよろしく」
「「かしこまりました」」
ペスカの命令に、クラウスとシルビアは、深く頭を下げた。
「ところでペスカ様、兄君はご一緒に連れて行かれるのですか?」
「何よ、クラウス。お兄ちゃんに何か不満?」
「あら、それでは屋敷で少し鍛えてから、出発なさっては如何でしょう? 冬也君は、かなり運動神経が良いですし」
「どのみち、私はマナの回復が暫くかかりそうだし、それも有りかな」
会話が終わり、ペスカは部屋を出た後、冬也のマル秘特訓計画を、一晩中かけて練り上げる。そしてペスカは、翌日昼近くまで眠った挙げ句、冬也にお仕置きされるのであった。
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