第6話 突撃、実家の昼ご飯

 カーテン越しに穏やかな光が差し込む。かけた覚えの無い布団の暖かさ、そして布団とは異なる暖かな温もり。その温もりの正体も知らずに、冬也は夢と現を行き交いし、朝の微睡みを漂っていた。


 手には柔らかな感触を感じる。手に馴染む心地よさを楽しみ、冬也は柔らかなそれを優しく揉む。

 ムニムニムニムニムニ。ムニムニムニムニムニ。

 冬也が暫くその心地よさを堪能している時、耳元近くからペスカの声が聞こえた。


「あん、お兄ちゃん。駄目」


 ペスカの声で、瞬間的に冬也は覚醒を促される。首を傾けるとペスカが、冬也を抱きしめる様に眠っていた。そして冬也の手は、ペスカの柔らかな双丘を掴んでいた。


「駄目って何が? わぁ~! ご、ごめんペスカ。っておま、お前また俺の布団に潜り込んだな!」


 慌ててペスカを引き剥がそうとするが、冬也はふと室内が普段とは違う事に気が付いた。


「なんだ? この豪華な部屋! あぁそうか、夢じゃねぇのか」


 昨日の出来事は夢であればよかった。目を覚ましたら、いつもの部屋で、また当たり前の日常が始まる。

 しかし、冬也の目に飛び込んで来たのは、高級宿らしい豪華な調度品の数々。途端に現実へ引き戻された冬也は少し頭を振り、ペスカの目が覚めない様にゆっくりと体を起こす。


「ぐぅ」

「幸せそうな顔しやがって」


 冬也は、優しくペスカの頭を撫でる。


「こいつも疲れてたんだろうし、もう少し寝かせてやらないとな」


 冬也は、そう独り言ちると、ベッドの端に座り直した。


「それにしても、ペスカは何者なんだ?」


 冬也の記憶では、ペスカは子供の頃から変な行動をする事が多かった。

 日常茶飯事の言動に、冬也は次第に慣れていった。思い起こせば小学生のくせに、分厚い専門書を読み漁ったり、家中の家電を分解する事も有った。


「そういや、ペスカがTVをバラバラにした時は、親父が泣きそうな顔してたっけ」


 ペスカは、ここを異世界だと言った。自分を賢者と言い、地球で生まれ変わったのだと言った。それを証明するかの様なペスカの魔法と知識。そして、ペスカに魔法を教わったおかげで命拾いした。謎のカードで街に入り、高級宿にも入れた。


「ペスカが起きたら、色々詳しく聞かないとな。まだ何か隠し事してやがるしな。俺が気が付かないとでも思ってやがんだろ。でもこいつ、ちゃんと話すかな? まぁ話さなきゃ、お仕置きだけどな」

「う~ん、なあに? おに~ちゃん」

「あ~ごめんペスカ。起こしちゃったか?」

「な~んか、幸せな夢見てた~」


 悩む自分が馬鹿らしくなる程の、起き掛けの呑気なペスカ。冬也は少し腹が立ち、ペスカの頬を少し摘まんだ。


「うみゅ。みゃにさ。おみ~ちゃん」


 冬也はペスカの頬で少し鬱憤を晴らすも、腹がぐぅ~と鳴る。昨日の朝以降に摂ったのは、栄養補助食品と水の簡易的な食事のみな事を思い出す。


「ペスカ、取り敢えず飯にしねぇか?」

「うん。おなか減ったよ」


 着替えを用意していないので、そのまま宿の一階に下りて朝食を頼む。テーブルについて、暫く待つと出てきたのは、パンと卵焼きとサラダにスープであった。


「異世界っても、飯は普通だな?」

「そう? 私はヤマトベーカリーの、ふかふかパンが好き~」

「いや、そう言うことじゃなくて」


 パンは硬かったが、スープに浸せば食べられない事は無い。他の料理も、日本と然程変わりの無い味だった。空腹で食えれば何でも良い気分であった冬也は、取りあえず満足し食事を終える。

 一心地つくと冬也はペスカへ問いかける。


「ペスカお前は何者だ? 何を隠してる? 全部話せ!」

「わかってるよお兄ちゃん、全部話すって。その前に行く所が有るんだけど、良いかな?」

「そこに行けば、全部話すんだな」

「約束するよ、お兄ちゃん」


 冬也は、真剣な表情で答えるペスカを信じる事にした。


「ご飯も食べたし、レッツゴー!」


 どんな時も明るく振舞えるのは、ペスカの長所である。この笑顔に、どれだけ支えられて来ただろうか。冬也の些細な悩みなど、馬鹿らしくなってくる程に。

 しかしここは、冬也の知らない世界である。一抹の不安を抱えつつ、冬也はペスカと共に宿を後にした。


 街を歩きながら冬也は周囲を見渡す。異世界の都市と言えば、想像するのは中世の発達してない都市であろう。しかし、この都市の美しい街並みは、とても異世界とは思えない。ヨーロッパのどこかでは無いかと、冬也は考えていた。


「ヨーロッパじゃないよ。この街の名前は、エーデルシアって言うの」

「心を読むなペスカ。それも魔法か?」

「はぁ、お兄ちゃんの場合、顔に出てるんだよ」


 街を歩く人々が、武器を携えている訳もない。荷車を引く者、店の開店準備で忙しなくしている者、畑に向かうのか鍬などを抱えて門から出ようとしている者と、ごく平和な光景が繰り広げられている。

 だが、昨日の出来事が嘘の様な、争い事とは縁遠そうな光景は、返って冬也を不安にさせた。


「ところでペスカ。昨日の怪物は、死んだと思うか?」

「あれは、簡単に死なないよ。間違いなく生きてるね」

「じゃあ、追ってきたりとかするんじゃねぇか? あんなのが街に入ったら大変だぞ!」

「それは無いと思う。結構ダメージ与えたと思うし。お手柄だねお兄ちゃん」


 冬也はペスカの言葉で、少し胸を撫で下ろす。そして続けざまに、質問を重ねた。


「兵士がお前の事を、メイザー伯がどうのって言ってたけど、メイザーって何だ?」

「その辺は、後でまとめて話すよ~。ガツガツしてるとモテないよ~」


 早々に質問を打ち切られた冬也は、再び周囲を見渡す。歩く人々は、欧米人と変わらない。街には、いまいち異世界感を感じられない。せめて、二本脚立って歩く動物めいた人がいれば、信じる事も出来そうだけど。そんなもやもやとした感覚を覚える冬也に、再びペスカから声がかかった。


「お兄ちゃん、猫耳少女はこの街にはいないよ。残念だったね」

「だから、心を読むなって」

「お兄ちゃんってば、わっかりやすいからな~。うふふ」

「因みに亜人は、こことは別の大陸にたくさんいるよ。会いたければ、今度連れてってあげるよ」

「亜人って言うと、あれか? 耳の尖った人もいるのか?」

「エルフの事? もちろんいるよ! まぁそっちは直ぐに会えるかな」

「そっか。本当に異世界へ来ちゃったんだな」

「そんな事より、見てお兄ちゃん。ここが目抜き通りだよ」


 ペスカが指を指した先には、様々な店が立ち並び、沢山の人が行き交う場所だった。

 服や雑貨の様な物を売る店。見た事もない色鮮やかな果実を売る店や、見覚えの無い野菜を売っている店。そして美味しそうな匂いが漂う飲食店が集まっていた。


「ペスカ。何だあれ、果物か? なんか毒々しい色だぞ。食えんのか?」

「甘くて美味しいよ」

「ペスカ。何だあれ! キャベツに似てるけど」

「キャベツで間違いないよ。日本のとは少し変わってるけどね」

「ペスカ! 旨そうな匂いがするな! なんだろな?」

「喜んでもらえて何よりだけど、お兄ちゃんがお上りさんになってるね。フフッ可愛い」


 冬也は抱えていた疑問を完全に忘れ、目の前に広がる新鮮な光景に驚いていた。旅行者の様にはしゃぐ冬也を、ペスカは優しく見つめる。

 散歩でもする様に、二人は暫くウィンドウショッピングを楽しむ。そして、目抜き通りを抜けると、かなり大きい邸宅が見えてきた。


 邸宅まで歩みを進めると、ペスカは門の前で立ち止まる。門の両脇には、剣を携えた屈強そうな兵士が立っていた。


 この街の治安状況を、冬也が知る由もない。だが、この町に入ってからスリの被害どころか、恐喝紛いの無頼漢にも遭遇していない。地球でさえも、外国人旅行者が安全に旅行が出来るのは、日本だけと聞くのに。

 そんな状況で門に兵が立っている理由は、それなりの地位に有る者の屋敷だからであろう。

 

「なぁ。まさかこれが、目的地?」

「そうだよお兄ちゃん。連絡を入れておいたはずだけど、クラウスはいる?」


 ペスカは何とも気軽に、門に立つ兵士に声を掛けて、カードを見せる。カードを見た兵士は、恭しく頭を下げた。


「お待ちしておりました、ペスカ様。中へどうぞ」

「ペスカ、ここでも同じ対応かよ? 何なのお前?」

「まあまあ、細かい事は気にしない! 禿げるよ!」

「禿げねえよ!」


 門を越え庭を抜け、邸宅の入り口までやってくると、中から執事服を着た男が現れ、深々と頭を下げる。


「お待ちしておりましたペスカ様。旦那様と奥様は現在留守にしております。お帰りになるまで、中でごゆるりとお寛ぎ下さい」


 ペスカは執事服を着た男へ、挨拶代わりに手を上げる。そして勝手知ったる風に、ずかずかと邸宅の中を進み、応接室にたどり着いた。そして、どかっとソファーに身を投げると、冬也に声を掛ける。


「緊張しなくて大丈夫。ゆっくりしよお兄ちゃん」

「お前はどこのお嬢様だよ! ペスカが遠くに感じるよ」

「もぉ、何言ってんのよ。私はいつでも、お兄ちゃんの愛する妹だよ」


 二人がリビングのソファーに背を預けると、直ぐにメイド達がお茶とお菓子を運んでくる。

 だが、十人以上は悠々と入る広いリビングと、執事やメイドが当たり前に働く邸内に、冬也は分不相応な感覚を覚えていた。ペスカは、気にも留める様子もなく菓子を食べていたが、冬也は手を出す気にはなれなかった。


 非常に落ち着かない感覚の中、時間を持て余しキョロキョロと冬也は辺りを眺める。

 家人の趣味なのか調度品は少なく、昨夜の高級宿の方がよっぽど立派に感じる。宿と異なるのは、リビングの戸辺りにメイドが待機している事だろう。


 数刻の後、部屋の外がざわめきだし、メイド達の手により部屋の戸が開け放たれる。そして、一人の青年が部屋に入ってきた。背が高く耳の尖った美形の青年は、勢い良くこちらに近くと、ペスカの前で膝を突き深々と頭を下げる。


「ペスカ様、良くお戻りになられました。このクラウス、一日千秋の思いで、ペスカ様のお帰りをお待ちしておりました」

「クラウス、久しぶりだね!」

「ところでペスカ様。そちらの御仁は、どなたでしょうか?」

「私のお兄ちゃんだよ!」


 クラウスはペスカに視線を送ると、冬也の方へ体を向ける。そして軽く微笑し、冬也に頭を下げた。


「貴方がペスカ様の兄君でしたか。話は妻から聞いております。私はルクスフィア領を治める、クラウス・フォン・ルクスフィアと申します。何卒良しなに」

「東郷冬也です。よろしくお願いします」


 更に状況がわからくなったが、冬也は取りあえず頭を下げる。それは日本人の性であろう。


「ペスカ様、冬也様。もうじき妻も戻ると思います。昼食を取りながら、色々お話をお聞かせください」


 クラウスの後に続いて歩き通された場所は、パーティーでも開くのかと思える広い食堂であった。大きな一枚板のテーブルが鎮座し、十数脚の椅子が綺麗に並んでいる。

 二人を上座に座らせた後、クラウスは執事を一人部屋に残して自分も席に着く。そしてペスカは、昨日の出来事をクラウスに説明し始めた。


「そうですか。あの森にマンティコアが出るなんて、不可解ですね」

「クラウス、火事の方はどうなったの?」

「ペスカ様から念話を頂いてから、直ぐに兵士を差し向けました。現在、鎮火作業中です」

「あいつはどうなったの?」

「姿を見たとの報告が、上がっておりません。恐らく飛び去ったのかと。詳細は未だ調査中です」


 冬也は二人の会話を、ただ無言で聞いていた。ペスカの印象はいつもと全く違い、しっかりとしたビジネスウーマンの様である。そのペスカに対し、恭しい態度を崩さないクラウスという人物。

 最早、混乱でしかない冬也に、ペスカが声をかける。


「お兄ちゃん。放火魔で捕まらなくて良かったね」

「まぁ過ぎた事は、良いではないですか。今日は当家のシェフが、腕によりをかけた料理をご堪能下さい」


 クラウスの合図と共に、料理は次々と運ばれてきた。運ばれた料理の中に、見た事も無い珍しいものは一切無い。むしろ日本で見慣れた料理の数々が運ばれてきた。

 それを見た冬也は、流石に声を荒げる。


「ご飯に味噌汁、焼き魚に納豆。これ全部日本食じゃねぇか! 何でだよ!」


 冬也の言葉に、クラウスは首を傾げる。何か不思議な事でもと言いたげな表情を浮かべるクラウスを、即座にペスカがフォローした。


「まあ、食べてみてよお兄ちゃん」


 ペスカに促され、冬也は味噌汁やご飯に手をつけた。


「う~ま~い~ぞ~!」

「どこの食通だよ、ペスカ。ってか微妙に違うな。出汁の取り方か?」

「そうだね、出汁が足りないね。それとお米は、品種改良が必要かな?」

「ご教示ありがとうございます、ペスカ様。未だ品種改良は、難儀しております。これからも一層の努力を重ねる所存です」

「うむ、そうしたまえよクラウス君。かっかっか」

「ペスカ、お前は何キャラなんだよ。クラウスさんでしたっけ。こいつ直ぐ調子に乗るんで、あんまり乗っからないで下さい」


 昼食は、ペスカを中心にがやがやと騒がしいものになった。丁度食べ終わろうとした時であった、食堂のドアがメイドの手によって開かれる。ドアが開かれた瞬間、冬也の耳には聞き覚えの有る声が届く。そして眉を顰めて冬也は振り向いた。


 ドアから入って来たのは、ペスカを置き去りにして消えた義母。十年を経過しても、義母の顔は些かも変わらない。例え変わっていたとしても、冬也は忘れる事はなかったろう。決して、他人の空似とは言わせない。


 ペスカを置き去りにした事は、決して許さない。

  

 義母の姿を見た瞬間に、怒りがこみ上げる。顔を真っ赤にして冬也は立ち上がり、怒鳴り声を上げた。


「てめぇ! こんな所で何してやがる!」


 今にも殴りかかりそうな勢いで、義母に詰め寄ろうとする冬也を、クラウスが後ろから羽交い絞めにして止める。

 そしてペスカは頭を抱えた。異世界の街に着いて早々、波乱が訪れようとしていた。

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